あぶな!
あぶなかった!
あやうく手を出すとこだった。
「お金」の話だ。
パートのお給料では制限があり、
好きな「時」に、服や化粧品が「買えない」と「思っている」
実際、お金がないと「買えない」
お金と物々交換。
今回「怖い」買い物をした。
自分の予算をかなりオーバーしてしまった。
今月は「なんとか」払えるけど、「来月」は「わからない」
正直「やっちまった」感はある。
「また」「キラキラした人」をみて「買ってしまった」のかも。
ここなのだ。
まず、「間違い」を「認める」のがだんだん「軽く」なってきた。
昔なら絶対「正当化」していた。
これも「チャレンジ」だと。
「学び」だと。
それはそうだと思う。
でも、内心、「ジャッジ」している自分はそーとー「後悔」している。
この「後悔」をするのがものすごく嫌でさけていた。
ハッピーちゃんのヨアソビMOMEDの影響もある。
アローネスの誘導も手伝ってもらった。
「後悔」や「みじめ」に対しちょっとだけ「軽く」なった。
それでもやっぱり「お金」に関しては根強い。
お金が「無い」ことは事実だから「バイト」を探し始めた。
探し始めるとどんどん心が「重いコンクリート」のようになっていった。
そして探すことが「義務」みたいになってきて、
「検索」が止まらなくなっていった。
ふと、アンベリちゃんが3月に「アート」をやる話を思い出した。
私が好きな人たちは「自分がもっているものを全部出している」
便秘とは無縁の人だ。
私は「アート」に対して「嫌悪感」がある。
コンプレックスが大暴れするのだ。
でも、このコンプレックスは普段は暴れない。
私が「暴れないように」「見ないように」させているからだ。
「自分が持っているものを全部出す」
自分が「持っているもの」は正直わからない。
でも、何かしら持っているんだろう。
それが「存在」だったらいい。
話がズレた。
バイトの話だ。
ノイローゼのようにバイトを探しているときふと思い出した。
「整ってない」
安住村で話していたことを思い出した。
私はそういえば「整ってなかった」
だからこんなトラップ(バイト探し)にハマってしまうのか。
よくよく考えてみると「無駄遣いが多い」
「無駄遣い」もバイトに行きたくない口実なのかもしれない。
でも「整ってない」ことは確実で事実だ。
「お金がない」も事実だ。
そして「豊か」なのも事実だ。
あぶなかった。
「整っていない」を思い出してよかった。
バイト探しやーめた。
読みたい本があるんだった。
書きたい小説があるんだった。