はじめて「タロットセッション」というものをした。

 

好きな人の配信でタロットをしていると知り

 

強烈に惹かれ

 

お金がないくせに申し込んだ。

 

すると、振り込んだだけで「大満足」してしまった。

 

 

zoomに少しとまどったが

 

とにかく緊張だけはしたくなくて緊張だけはしないぞと誓ってボタンをおした。

 

話し始めると言葉にならない絡まったものが出るわ出るわ。

 

話していても頭は思考停止していてうまく働かない。

 

それなのにゆみこさん視点で紐解いてくれてました。

 

私がはっきりしたかったのはブログでも何回か書いている

 

「ぴょんぴょん」地獄。

 

こんな恥ずかしいこと聞けるか、と事前まで思っていたが

 

どうにもこうにも自分ではらちがあかず、すがる気持ちできいた。

 

 

解決した。

 

 

私は「ぴょんぴょん」に対して怒りが湧いているのではなかった。

 

全然別方向だった。

 

これは私では見つけられない。

 

長年「ぴょんぴょん」をいろんな角度、感情からみてきたが、

 

そもそも「ぴょんぴょん」が原因ではなかった。

 

相手との関係性だった。

 

ずっと虫眼鏡で拡大していたが、

 

違った。

 

今回つかうのは望遠鏡の方だった。

 

私は「相手」をまず、「排除」していた。

 

なんでかというと、相手を悪者にする自分がいるからだ。

 

相手をわるものにしてはだめなのだ。

 

相手は悪くないのだ。

 

悪いのは私なのだ。

 

捉え方がぜったいまちがっている

 

私の方が勘違いしているのだ。

 

だから、まず「相手」を「見ない」で

 

自分ばかり見た。

 

自分の勘違いしている部分を、

 

自分は勘違いを起こしていると頭から信じて疑わず

 

それを探していた。

 

でも、蓋をあけると鍋の底は焦げていた。

 

ゆみこさんに「そもそも相手に言いたいことは言えていた?」

 

と問われ目が点になった。

 

私と相手は長い付き合いだ。

 

私より年上で経験豊富で頭もいい。

 

すべてにおいて「ベテラン」なのだ。

 

経験したからこそ言える言葉をもっていた。

 

だから、私は言えなかった。

 

「そうは思わない」ことに、

 

友人の考えを

 

私は「そうは思わない」とは言えなかった

 

言えなくても

 

思うくらいでもいいのに

 

自分にすらも「思わない」としていた

 

そのささいな我慢が積み重なり

 

私は全身から火がでる勢いで怒り散らした(自分だけで)

 

 

でもやっと原因がわかった

 

 

わたしは

 

私はもう

 

死んでもいい

 

それくらい

 

スーパー元気

 

もうまっさら

 

チリひとつ落ちていない

 

 

心配性の友人からみると

 

私は能天気なんだろう

 

少しは先をみなさいという

 

世間をみなさいという

 

夢ばかりみていてもご飯は食べれない正論

 

それは本当だとおもう

 

そしてちょいちょい、話の中にそれを入れてくる

 

そのアドバイスがクソバイスだった

 

考えてみると私のもう一人の友人も同じだった

 

「うるせーよ」なんて思ったことない

 

そもそも人に反抗したことがない

 

ゆみこさんの「うるせーよ」に笑ってしまった

 

 

私は自分で友人の言葉を選んだ

 

私のわるいとこは物事を浅くしか考えられないとこ

 

未熟さ

 

アホさ

 

そして極め付けがパッパラパー(能天気)

 

だからこれはだめだ

 

やったらだめだ

 

もっとちゃんと考えないと

 

そうやって自分を押さえつけていたのに

 

その友人が「ぴょんぴょん」

 

なんて軽いタッチなワードをだしてきたから

 

お前だってやってんじゃねーか

 

 

 

 

そしてこれを作りだしてるのも私だとわかった

 

じゃあもうこれいらない

 

「全部まるっといらない」

 

ゆみこさんのこの言葉がとっても心地よい

 

あ、いーんだ

 

ものすごく気持ちのいい風がふきました

 

とってもとっても気分がいい

 

やっと力が抜けた

 

完全に手ぶらになった

 

走ります