久しぶりの更新ですが、今回もうちのご主人様(父)が書き込みをします。

byゆうきち

 

2018年(平成30年)

1月1日
サラタロウ誕生日(17歳)

 

1月12日(金)
最近、サラタロウの夜鳴きが、うるさくなった。
以前は全然鳴かない猫でしたが、あまりにも声が大きいので、東京に来てからの、かかりつけの動物病院へ相談に行く。
体重…3.2kg…1年前より1kg位痩せていた。
「分離不安症」と「腎不全」との事!!
夜鳴きに効果が期待できるという、お試しサプリメントを処方して頂いて、帰宅後ゴハンに混ぜて食べさせようとしたけれど食べてくれなかった。
そこから、サラタロウの闘いが始まった!

単純にゴハンにサプリメントを混ぜたことに、サラタロウが憤慨してゴハンを食べないのかと勘違いしていた。あまりにも食べてくれないので、サプリメントを混ぜずに通常のゴハンにもどしたにもかかわらず、食べない日が続き、みるみる衰弱していった。

 

1月13日(土)~1月16日(火)
飲まず食わずの日々が続き衰弱が進み、「ふらつき」もひどくなり厳しい状態になってきた。

 

1月14日

1月14日

 

1月16日

 

1月16日

 

1月17日(水)
近くに往診をしてくれる動物病院があったので、点滴をしてもらって少し元気に回復してもらおうと考えた。
往診にきた先生の判断で即入院!!
動物病院に入院してから、点滴、血液検査、エックス線検査、超音波断層検査

 

1月18日(木)
動物病院…休診日
「いつ死んでもおかしくない状態」との事で病院で入院したまま点滴処置を受ける。


1月19日(金)
午前中…サラタロウの様子を見に動物病院に行く。

 

1月19日


サラタロウは反応が薄く「いつ死んでもおかしくない状態」

病院で時間をかけて点滴した方が回復しそうな気がしたが、最悪、病院でひとりで死ぬリスクも多分にある。

家に連れて帰るか難しい選択に迫られた!

1月17日(水)の入院時…体重は2.7kg…この5日間で500g痩せた事になる。
検査結果…
★白内障
★口内炎
★肝腫瘍(肝のうほうの可能性…肝のうほう状…肝腫大)
★腎結石
★変形性脊椎病(年齢に伴う)
★腎不全悪化
★貧血(輸血が必要)
★極度の脱水
★血液検査の結果は、数値がはじけて計測できない程、悪化していた。

入院先のケージの中のサラタロウは、点滴につながれ、オムツをして私の呼び掛けにも反応が薄く、目を閉じて小さくうずくまりサラタロウは必死に闘っていた。

私は一度帰宅し、夕方家内と息子を引き連れ再び動物病院にサラタロウの様子を見に行った。
夕方、病院に行くと、午前中は目を閉じてうずくまっていたサラタロウが、家内や息子の声に反応して、点滴につながれたまま、立ち上がってケージから出ようと、私の膝の上に身を乗り出して「鳴いた!」…家に帰りたいと、泣き叫ぶ魂の叫びに聞こえた。このまま、病院のケージでサラタロウをひとり淋しく死なせる訳にはいかない。家内と息子の「家に連れて帰りたい!」と云う言葉が私の背中を後押しさせた。
私は、この日午前中のサラタロウの様子を見て、どうするのがサラタロウにとってベストなのか判断に手をこまねいていた。病院で手厚い看護をしてもらうのか?家で看取る可能性も視野に入れて連れて帰るのか?
だが、夕方の魂の叫びを発し立ち上がったサラタロウを見て、もう迷いはなかった。家族の元へ連れて帰る決意をした。

そうと決まれば、それからの行動は早かった!

★内服薬を処方してもらい
★自力で食べる事も出来ないので「強制給餌」用のスポイトで食べさせる仕方を教わった
★自宅での点滴の仕方を伝授して頂き実践練習

車で帰宅し、家内にサラタロウの紙オムツを買って来てもらった。脱水症状がひどく「ふらつき」があり自力でトイレに行く事も出来ないので病院で使用していたものと同じ「紙オムツ」を用意した。


1月19日(金)~1月26日(金)

次回病院に再診してもらうまでの1週間、「強制給餌」「点滴」出来るだけの事を家でしてあげる事にした。
購入した紙オムツは一度使ったきりで、サラタロウが嫌がるのでやめた。
サラタロウにもプライドがあるのでしょうね!
紙オムツは、おしりが汚れてしまうので、お風呂でシャンプーしてあげたら、気持ちよさそうな、サラタロウでした。
脱水症状は、続いていたが、徐々に食欲が出てきて、スポイトを使わず自分で食べるようになった。
自分で食べる様になってからは、完食して驚かされる。
まだまだ足腰は弱いけれど、自力で歩ける様になるまで回復してきた。

 

1月26日(金)
退院してから1週間…動物病院で経過観察。
貧血と云われているサラタロウだが、「血液検査」をした。採血するのが、可哀相だった。
血液検査の結果は、一週間前と大きくは変わっていない。
強制給餌から自分で食べれるようになったが、便秘ぎみでウンチが出来なかったので摘便してもらい。輸血セットと内服薬を買って帰宅した。帰宅後、摘便してもらったので、おしりをシャンプーして洗い流した。
それからは、食欲が倍増、常にペロリと食べる毎日。
大好きな「マグロの刺身」はおかわりの催促!!
自力でウンチが出来る様になった。
元気になってくると、点滴を嫌がるようになってきた。点滴直後は、お腹に輸液がたまり、たっぷん、たっぷんして歩きにくそうだった。

 

1月30日

 

2月1日

 

2月1日

 

2月6日

 

2月9日(金)
動物病院で診察…食欲が倍増し、自力でトイレに行ける様になった事。部屋の中を歩き回れる程に回復してきて、毎日の点滴を嫌がるようになってきた事をお伝えし、先生と相談して点滴を一日おきにする事に決めました。
血液検査の結果は、前回2週間前に採血した時の結果が 、前々回とそれほど変わっていなかったので、貧血のサラタロウを考慮して、今回は見合せる事にした。リンの数値を下げてくれるお薬と、前回退院の時に処方して頂いた内服薬を頂いて帰宅した。
その後、朝晩一日2回、ゴハンに内服薬を混ぜて食べさせ、点滴は3人で役割分担して行った。
そんなには、長生き出来ない事は、判っていたが、サラタロウにとっていいと思われる事は、全てやってあげたかった。

 

2月10日

2月17日

 

2月18日(日)
サラタロウにゴハン茶碗を購入(高さがあるもの)…足腰が弱ってきたので、立って食べれる方が、楽に食事が出来るだろうと思ったからだ。
この新しい茶碗で、夜ゴハンを食べきってくれた。

 

2月18日

 

2月19日(月)
食が細くなってきた!

今まで、完食していたので、不安になった。
以前飼っていた、先住猫の「ムサ」が亡くなる1ヶ月前から、ゴハンを毎日完食して驚かされたのを、思い出した。サラタロウがずっと完食していたのは、嬉しい反面、嫌な予感は常に付きまとっていた。
夜、点滴をして就寝。

 

2月19日

 

2月20日(火)
朝…サラタロウが、ゴハンをあまり食べなくなった!
夕方、家内が強制給餌して食べさせた。少し食べてくれた。
夜…家内から連絡があってサラタロウの様子がおかしくなってきたとの事。
好物の「マグロの刺身」を買って帰宅。
サラタロウは、ベッドから起き上がってきて「マグロの刺身」に興味をしめしたが、食べるには至らなかった。抱き上げて、1つまみ手で取って口元にもっていくと、一口だけ食べてくれた。
元気になってくれる事を願い、家内と二人で連日の点滴をした。

 

2月20日

2月20日

2月20日

生前最後の写真

(亡くなる7時間位前)

 

サラタロウの瞳孔が開いてきている様に感じられた。そして、時々大きな声で苦しそうに鳴いた。

ベッドに入れて休ませてあげた。しばらくして、様子を見に行くと、ベッドでお漏らしをしていた。身体を拭いてあげながら、もうトイレに行く元気がないのかと感じた!!

日付が変わる頃、サラタロウが落ち着いて過ごせる様に、ダンボールで「巣穴」の様な、薄暗いスペースを作った。
サラタロウが手足を伸ばして横に寝れる様にしてあげたかったからだ。
(死に場所を作ってあげた気分になった。)

 

2月21日(水)
ダンボール・スペースの中で、少し落ち着きだしたサラタロウだが、時々苦しそうに鳴いた。
声をかけて身体を撫でてあげると、安心しているようにみえた。
ただ、見守りながら、時々大きな声で数回鳴くサラタロウを撫でてあげる時間が朝方まで続いた。

午前5:40分…
サラタロウが、今まで以上の「雄叫び」をあげて、吐き出したい素振りをみせた。

上半身を起こして、吐き出しやすい体勢をとらせたが、何も吐き出せず、とても苦しそうで可哀相だった。

「最期の時間」

別室で寝ている家内を呼びに行って「サラタロウ、もうダメかもしれない!」と伝え
サラタロウの部屋へ戻った。
サラタロウは最期の時を待っていた。
「サラタロウ…今まで、ありがとう!ありがとう!」と何度も連呼しながら、優しく身体を撫で続けた。

午前5:43分
サラタロウが静かに息を引きとった。
17歳2ヶ月

全身の力が抜けたのか、首が「カクン」となった。
亡くなる瞬間に立ち会うとは、こう云うことなのか?初めての経験で、よく理解出来ないでいたが、呼吸している気配もなく、お腹も動いていない。
私は、「サラタロウ」と名前を連呼したが反応がない!
少し時間がかかったが、サラタロウの「死」を確信した。
サラタロウの死後直後の「顔」は赤ちゃんの様な、優しい顔だった。

 

2月21日

2月21日

 

苦しみから解き放たれた、穏やかな死顔は、まるで眠っているようだった。

闘病生活が続いていたので、いつかはこの日が来るとは覚悟していたが、こんなに早く来るとは思っていなかった。
「サラタロウ…もう、苦しくないよ!ゆっくり、休んで下さいね!」

サラタロウの事は、出来る事は、やってあげたいと思っていたが、今思えば、まだまだやり足りない事だらけだった様な気がする。

出勤前に、サラタロウの部屋を片付けて、部屋の片隅に寝かせて仕事に出掛けた。
帰宅すると、家内が花瓶に花を添えてくれていた。
わずかに死後硬直がみられたが、それほど硬くはなかった。
家内と一緒に、風呂場でサラタロウをシャンプーしてあげた。
「もう、サラタロウにしてあげられる事がなくなってきた事が悲しい!」
シャンプー剤をお湯で流していると、どんどん死後硬直がとれて身体が軟らかくなってきた。
ドライヤーで乾かしている時も、サラタロウの身体が軟らかいので、不思議な感じがした。まるで、気持ちよさそうに眠っている様な気がした。
綺麗になったサラタロウをベッドに寝かせて、電気を点けたまま一緒の布団で眠りに就いた。

 

2月22日(木)
明日…私の休みに合わせてサラタロウを荼毘に付す事が決まった。
明日の午後12:30分…送迎車が迎えに来る。サラタロウと一緒にいれるのは、残り僅かとなった。
家内が、また花を買って来てくれた。
夜…サラタロウと一緒に写真撮影をした!

 

2月22日

 

2月22日

 

2月22日

 

 

2月23日(金)
午後12時30分…送迎車が来る時間。
家族で、サラタロウを見送ってあげたかったが、学校や仕事の調整がつかず、私一人でサラタロウの荼毘に付き添う事になった。家族達は各々家で別れを告げた。
私は、サラタロウの旅立ちに持たせる物の準備にかかった。Shebaの「カリカリ」に「またたび」、それから昨日家内が準備してくれた大好物の「マグロの刺身」と「ちくわ」は出掛ける前に、準備する事にした。
花束も持って行きやすい様にまとめる事にした。沢山の花束を まとめていると、突然こみあげてきた。色々な人に愛された猫だった。
「死水」をとらせた。

サラタロウのお世話が出来なくなる事が悲しい…。

死後硬直はなく、軟らかい身体は眠っている様だった。
何故…死後硬直がないのだろうか?
考えられるのは、持病の悪化か、点滴の影響なのか…定かではない。

点滴が吸収される前に亡くなったせいか、右前足は輸液が溜り膨れていた。

サラタロウに持たせる「手紙」を書き出した。気持ちをうまく表現出来ない自分がもどかしい。

12時に送迎車の方が迎えに来た。予定より30分も早かったので、10分待ってもらって、あわてて「手紙」を書き終えて、「マグロの刺身」と「ちくわ」を冷蔵庫から紙皿に移した。

サラタロウを抱きかかえ、サラタロウが生前過ごした部屋をあとにした。

送迎車で火葬場に向かう途中、少し迂回してもらいサラタロウが生まれ育った地域に立ち寄ってもらう事にした。
以前、私が経営していた美容室のマンション前で停車してもらった。
ここはサラタロウと出会った場所である。
近所には、サラタロウがお世話になったお寿司屋さんやパン屋さんがあった。東京を離れて9年、町も様変りしていた。ここでお別れをして、火葬場へ向かった。

簡単な手続きをした後、火葬場へ移動した。

祭壇があり、サラタロウを入れる小さな籠が準備されていたが、サラタロウをのびのび寝かせてあげたかったのと、最後の写真を撮りたかったので、籠には入れずに祭壇の前で飾り付けをした。
自由にさせて頂けたので、サラタロウに持たせる「マグロの刺身」「ちくわ」「ドライフードのカリカリ」「またたび」「手紙」を並べた。
線香をあげて合掌。

 

2月23日

2月23日

 

葬儀屋さんに無理を云って、火葬場の部屋へ入れてもらい 石綿を敷いた台車にサラタロウを移した。

 

2月23日

 

2月23日

 

2月23日

 

2月23日


サラタロウの死後硬直がなかった事が幸いし、思った以上に小さい台車にコンパクトに収める事ができた。身体が軟らかくて助かった。
「花」で飾り付けして「マグロの刺身」「ちくわ」「カリカリ」「またたび」「手紙」を持たせた。
熔炉へ納め、扉を閉める前に、サラタロウへ「ありがとう!またな!」と声を掛けて合掌。
扉をしめて、点火ボタンを私が押した。
1時間位、サラタロウを荼毘に付している間、外の煙突からでている僅かな煙を見ていた。

 

2月23日

 

拾骨の為、祭壇前に行って絶句した。
サラタロウの骨が標本みたいに整列していて綺麗過ぎたからだ。

 

2月23日


できれば、石綿の上で横たわるサラタロウの骨と対面したかった!

拾骨時、ここが仏様にみえる骨だよと説明をうけた。
サラタロウ自慢の真っ直ぐの長いシッポは、まさに標本の如く綺麗でした。

 

2月23日

 

骨壺に納められたサラタロウを抱きかかえ、帰路に着いた。

葬儀屋さんに「火葬で焼かれて熱かったでしょうから、たくさん水を上げて下さい!」と云われたので帰宅後、早速、水を上げた。
サラタロウの部屋は、家主を亡くし、がらんとして静か過ぎた。「サラタロウ…お疲れ様でした!」

 

4月10日(火)
四十九日です!

 

4月10日

 

特別、何をする訳ではありませんが、とりあえずの「一区切り」です。
家内が「花」を準備してくれて大好物の「マグロの刺身」「ちくわ」「水」を供えた。

骨壺の蓋を開けて、骨に触ってみた。そこには、骨になったサラタロウがいた。
そして、静かに骨壺の蓋を封印した。

その後、歴代のサラタロウの「首輪」を並べて写真を撮ったり、噛みあとが残る「眼鏡のフレーム」を撮影した。

今までサラタロウのお世話をする事が生活の一部だったが、サラタロウが亡くなってからは、「もう、何もしてあげられなくなった事が悲しい!」
合掌。

 

【エピローグ】
私とサラタロウの出会いは、予期せぬ偶然からだった。当時、経営していた美容室の裏口からサラタロウが、不意に現れたのが始まりでした。

家内が美容室の近所に子猫がいると口走り、家に余っていた猫缶を食べさせてあげようと美容室の裏口を少し開けて缶詰めを準備しておいた。
現れたのは子猫ではなく、身体の大きな雄猫…それがサラタロウでした。
よほどお腹が空いていたのか、大きな缶詰めをペロリと平らげました。
それから、毎日やって来る様になりました。

ちなみに、子猫と思っていた猫は、片眼が見えない発育の悪い雌猫でした。

後で聞いた噂話で定かではありませんが、この雌猫が「サラタロウの彼女説?」「サラタロウの子供説?」などの情報がありました。
私は、この片眼が見えない雌猫を「めだか」と名付けました。

2匹は、とても仲良しでした。サラタロウの食事中に「めだか」が、横取りに来てもサラタロウは自分は我慢して譲って食べさせていました。なんて男気のある猫なんだろうと感心していましたが、「マグロの刺身」の時だけは別で、近寄る「めだか」を威嚇して自分で食べ続けました。

サラタロウがダンボール箱で眠っていると、一緒に「めだか」もダンボール箱に入って眠っている姿には、癒されました。

この「めだか」は、動物愛護の方が保護したのでしょうか?
いつの間にか姿を現さなくなりました。

サラタロウは東京都稲城市の地域猫でした。

最初に飼っていたのは近所のお寿司屋さん。子猫のサラタロウが「首に赤いリボン」を着けてふらふら歩いていたとの事でした。
誰かに飼われていたのかもしれません。
寿司屋の店主は「タマ」と名付け、夜は寿司屋の店舗でネズミの見張り番をさせていたそうです。この当時の好物は「あなご」だったそうです。
お寿司屋さんが近所に引っ越す際に一緒に連れて行ったそうですが、旧店舗があった場所が、サラタロウのテリトリーで近かったからでしょうか、ひとりで戻って来てしまいました。

近所のクリーニング屋さんも、サラタロウを自宅で飼うつもりで、連れ帰ったそうですが、脱け出して車の往来の激しい大通りを渡って、住み慣れた地域に戻って来たそうです。

サラタロウは、パン屋さんにも毎日足しげく通って食べ物をもらっていました。

裏口から入れない時は、正面玄関の自動ドアが開くのを待って、お客さんと一緒に入って厨房に遊びに行っていたそうです。

このパン屋さんの店主も猫好きでサラタロウを可愛いがってくれていました。

サラタロウが、毎日のパトロールであちこちに顔を出しに出掛けるので、私は何かあった際の為に、連絡先として、サラタロウに電話番号付きの「首輪」を着けました。
この首輪が発端で、パン屋さんの店主の逆鱗に触れ、パン屋さんに呼び出されました。
事情を説明しましたが、「飼うんだったら、ちゃんと飼え!」と云われました。
おっしゃる通りです。
その言葉が後押しして、夜はサラタロウを美容室の店舗内に置いて帰る事にしました。
もう、地域猫でもなければ、通い猫でもありません。

閉店後の美容室はサラタロウにとって安心出来る場所になりました。

昼間は、ご近所にパトロールに行き「挨拶回り」。
美容室に戻って「お昼寝」と「接客係」

美容室のお客さんに写真を撮られたり、遊んでもらったり、癒し系の看板アイドル猫でした。
身体は大きいけれど、ビビリで優しい猫で鳴きもしないので、猫好きでないお客さんにも評判が良かったです。
気が付けば、「美容室の看板猫」になっていました。

美容室では、色々な事がありました。

「ヤモリ」や「セミ」を咥えて来るのはいいのですが、「すずめ」を捕まえて自慢気に咥えて帰って来た時は、さすがにビックリしました。
殺さないで、そっと咥えているので美容室の店内に「すずめ」を解き放されたら大変です!
「すずめ」を咥えたサラタロウを抱きかかえて、外でサラタロウの口を開かせると口元から「すずめ」が飛び立ちました。

また、クリスマスツリーの飾り付けを落として追いかけっこするのが大好きでした。

こんな事もありました…
営業時間前の美容室店内で、近所の野良猫…通称「黒耳」とバトル。
劣勢だったサラタロウでしたが、私が仲裁に入りサラタロウに加勢すると、一転…強きになるサラタロウ!

「黒耳」をマンションの廊下まで、私と一緒に追い掛け、塀をよじ登って逃げる「黒耳」を、その後追い掛けもせずに私と一緒に見送る始末。まるで、桃太郎役の私が、家来のサラタロウを引き連れ、鬼退治をしているみたいな光景でした。
自慢気に美容室に帰る、おバカなふたりだった。

それから、マンションの住人宅に入ろうとして、前足をドアに挟まれて負傷した事件もありました。
美容室に戻って来た時に、足を引きずっていたので動物病院に連れて行ってビックリ…
あれほど足を引きずって痛がっていたサラタロウが、診療台の上では、痛がる様子を見せるでもなく普通に歩くじゃありませんか?!
こう言う時には、「痛がって下さいよ!お願いします…サラタロウ!」

この動物病院の先生が、歯の状態などから推定して、勝手に誕生日を決めてくれた…張本人です。(笑)
そして、サラタロウを猫AIDSのキャリアと診断された方です!

「首に赤いリボン」を付けていた子猫時代を知る、お寿司屋さんの店主が話していた年齢より1歳上の設定でしたが、サラタロウに少しでも長生きして欲しいと思っていたので動物病院の先生がつけてくれた誕生日で本決まり!

思い返せば…
サラタロウを美容室で正式に飼う前の「通い猫」の頃、美容室のスタッフの同級生が、大学の獣医学部にいたので、サラタロウをモデルに、三種混合ワクチン接種の練習をして頂いた事がありました。
極めつけは、動物愛護の方が美容室に出入りしている猫と知りながら、勝手に捕獲し去勢してしまった事!!

去勢した「しるし」として、耳の一部をカットされてしまいました。
ただただ、ビックリです。本音を云うと、勝手に去勢する前に、声を掛けて欲しかった。
耳の一部をカットされる位なら、私が動物病院で、去勢してもらったのに…本当に可哀相で憤りを感じました!

 

その後、私の都合で福島県郡山市に帰郷しました。

新幹線で移動し、サラタロウは先住猫のムサとは別の部屋で外に出る事もなく、完全に家猫になりました。

東日本大震災の影響で、2年半住んだ福島県を離れ沖縄県へ避難。
飛行機を乗り継いで沖縄県島尻郡与那原町へ。

マンションのすぐ目の前が海でしたが、家猫のサラタロウは外に出る事もなく沖縄県で4年半過ごしました。
そして、サラタロウの首から「首輪」を外す事にしました!…もう、迷子になる事はないからね。

海に連れて行ってサラタロウの写真を撮りたかったのですが叶わぬ夢となりました。
車で動物病院に連れて行けない時は、キャリーバックにサラタロウを入れて海沿いを歩いたので、沖縄の海を感じさせてあげる事が出来たと思います。

沖縄の自宅マンションのすぐそばで、毎年花火大会がありました。
あまりにも近いので花火の音だけではなく、振動まで伝わってきました。
ビビリのサラタロウは毛布に隠れて花火大会が終わるのを、必死に耐え忍んでいました。(笑)

そして、私の都合で…
子供の怪我の治療を優先し、東京へ帰京する事にしました。

ビビリのサラタロウを飛行機に乗せる事は心配でしたが、船を使うと日数がかかるので、仕方なく飛行機で上京する事にしました。

そして、住み慣れた町、サラタロウが生まれ育った東京都稲城市に引っ越しました。

引っ越し当日、サラタロウは自分の部屋で行方不明になりました???

何故…???

どこを探してもサラタロウが見つかりません。
これは「神隠し」ですか「マジック」ですか?
鳴かない猫…サラタロウを探すに一苦労!
やっと現れたのは、クローゼットの中でした。
サラタロウには本当に驚かせられました!

この部屋でサラタロウは
17歳2ヶ月の生涯を終えました。

 

私が生涯…最初に飼った猫が「ムサ」で、最後に飼った猫が「サラタロウ」です!

もし、サラタロウが話せるなら、ぜひ聞いてみたい事があります。
「幸せだったかい?!」

サラタロウ…今まで「ありがとう!」
サラタロウに出会えて嬉しかったよ。ゆっくり休んで下さい!

「じゃあ、またね!」
合掌

 

2016年3月30日

 

沖縄県島尻郡与那原町にて

 

 

2017年1月15日

東京都稲城市にて

 

 

 

これが最後の更新になります。

「大きな顔」と「長い真っ直ぐなシッポ」が特徴のサラタロウ!!

「シッポ」だけは灰色と黒のアメショー柄?

もしかして、ハーフだったの?(笑)

サラタロウ、色々な思い出をありがとう!!

 

 

byゆうきち

 

 

 

サラタロウの近況です。先月、予防接種と血液検査をしました。
血液検査の結果は、どこも異常がなく正常値内でした。めでたし、めでたし!!
強いて云えば、下痢になる時があるのでドライフードが、消化器症状対応のi/dに変わった事ぐらいです!

サラタロウも、もう14歳お爺さん猫なんですが、子供みたいに、よく遊びます。




「若い者には、負けていられないニャ!」


















1年位前に、もう古くなってきたし、外に出る事がないので首輪を外したのですが、首から首輪の痕が消えません?冬毛も抜けて衣替えしているのに不思議ですねぇ~
後ろから見ると、猫のマスクをかぶってるみたい!(笑)



(三代目の首輪です)




サラタロウは今日も元気です!
                    ゆうきち

お久しぶりです!
先日、サラタロウの姉貴こと、我が家の先代猫ムサが亡くなりました。
今回は、ムサパパでもある我が家のご主人様が書き込みをします。
                                  ゆうきち

《 2015年(平成27年)2月10日(火) 》
ムサが亡くなった。


23歳10ヶ月の生涯にピリオドを打った。
晩年は腎臓に持病を抱えて病気との闘いでした。

幼少の頃から16歳までは人間のトイレで便座に座って用をたしていましたので猫砂いらずのトイレライフでした。

そして最期まで介護の必要もなく、手のかからない大切な家族でした。

沖縄に来て3年半…今年の冬は寒さが厳しかった。

ムサが亡くなった日は最高気温16℃、最低気温11℃と寒い1日だった。

思い返せば全く兆候がなかった訳ではない。
亡くなる半年位前から、後ろ足が弱ってきて、トイレに入っても踏ん張りがきかなくなってきた…

人恋しいのか?目があえば近づいて来る!
耳も聞こえにくくなってきたのか、名前を呼んでも反応が薄くなってきた。

亡くなる2ヶ月前の12月中旬…

ドライフードにトッピングしていた、w/dを止めて腎臓サポートのみにしたら、食欲が増してペロリと食べきった…食べっぷりのよさには驚かされた。
亡くなる3週間前から目が見えづらくなっているのか、足もとがふらつくせいかは判らないけれど、缶詰ゴハンを踏んづけて歩いたりドライフードを踏み散らかす事が増えた。

亡くなる2週間位前には、トイレからオシッコをはみ出してシートに飛ばす量が増えた。
亡くなる1週間位前には、オシッコが少量になり回数が増えシートでする事が多くなった…

缶詰やドライフードを踏んづけて足を汚す事が多くなった…

水飲み容器に足を入れてしまい、辺りを水浸しにする機会が増えた…

食事の際に口の周りを汚してしまうので、コットンを湿らせて拭いてあげた…

爪きりと耳掃除をしてあげた。

亡くなる3日前、夜部屋の中を徘徊しては、水飲み容器に足を突っ込んで、さまよい歩き、何度も足を拭いてあげた。
亡くなる2日前、普段はベッドで寝ているムサが、部屋に敷き詰められたシートの切れ目から、はみ出してゴミ箱の横で寝ていたそうだ…

まるで死に場所でも探しているみたいで少し怖くなった。
亡くなる1日前、ゴハンをあまり食べなくなった…

夜ウンチをしたので少しは食べていたのかもしれない?


(ここからは、ムサの最期の様子を書き綴ります。)


【2015年(平成27年)2月9日(月)】


亡くなる前日の午後9時頃、帰宅するとムサの呼吸が弱くなっている事に気が付いた。

すぐに手足が冷たくなっていないか確認した…大丈夫だった。

朝食のドライフードも夕食の缶詰もあまり食べた様子もなく、水も飲んだのかどうか判らなかった。

水飲み容器に足を入れてしまったのか周りが水浸しになっていた。
いつもの薬は飲んでくれた。

沖縄の今年の冬は例年より寒く20℃を下回る事が多く暖房を入れる日もあった。

この日も外気温16℃でしたが、部屋の中は21℃~22℃位に保たれていた。
ここ数日はムサと同じ毛布にくるまって添い寝するのが日課となっていた。


【2015年(平成27年)2月10日(火)】



午前2時50分頃、添い寝しているムサがか弱く鳴いた…目は薄目を開けているのか閉じているのか判らない位…本当ににか弱い声だった。
前足を触ってみた…暖かい!!「まだ大丈夫!」と少し安心した。



ムサはしばらく目を閉じた状態で、か弱く鳴いていた。

ムサの耳もとで、いっぱい声をかけたが薄目を開けて鳴き続けいた。
そしてムサが前足を揃えたように見えた…まるで「 ありがとう!」と云って合掌しているように見えた。




あきらかに体力がおちているのに何かを訴え続けるムサの手足が冷たくならないように、さすり続け…耳もとで「ムサ、ありがとう!」「大丈夫だよ!」と連呼した。




1時間位経った午前4時頃、ムサがトイレに行きたそうな感じだったので起こしてトイレに行かせた…何も出なかった。
左手で足腰が崩れないように支えながらマッサージをしてあげた。

ここ数日は身体のマッサージをしても足が崩れてしまう程に足腰が弱くなっていた。
水も飲んでいない様子だったのでコットンに水を含ませて口元を湿らせたが反応が薄かった…もう、飲む力もないのかと不安になった。
午前6時頃、朝食が欲しいのかムサは自分の足でしっかり立っていた。




(亡くなる、8時間位前のムサ)



硬いものが食べられないのかと思い、ムサにとって生涯初のドライフードにお湯をかけてふやかしたものを与えてみた!

食べなかった。
トイレの砂を全部取り替えてあげた…だが、ムサがこのトイレを使う事はなかった。
ムサをベッドに寝かせた…気持ち良さそうに眠りだした。

呼吸もいつもの感じに戻っていた…夕方、点滴をすれば体力が戻って、また元気になると信じていた…本当に気持ち良さそうな顔で眠り続けた。

この時、何故だかムサのしっぽが膨らんでいた。

今思い返せば、苦しみと闘っている苦悶の表情にもみえる…しっぽが膨らんでいたのは近づいて来る死の恐怖が怖かったからなのだろうか?…この時は何も気付いてあげられなかった!!…「ゴメンね!ムサ」



(生前最後のムサの写真、しっぽが膨らんでいる)



午前7時過ぎ、部屋を覗くと…

ムサがトイレの淵で丸くなっていた。

その後、移動してトイレのそばのシートの上で横になった…「寒いのに、こんな所で寝てしまって」と思い、ベッドに移して顔だけ出して毛布をかけてあげた。
ムサの様子から、点滴をしたら元気になると安易に考えた。

そして「足腰が弱ってきてトイレに行くのも大変になってきてるので、そろそろ紙オムツをした方がいいんじゃない」と妻に云われ、夕方には買って来てもらう予定だった。
午前7時45分頃、ベッドで顔だけ出してスヤスヤ眠るムサを見て、夜までは大丈夫と心に誓った。
「ムサ、じゃあね!」と声をかけて出勤した…ベッドから顔を出して眠っているムサを見たのが生前最後の姿となった…そして永遠の別れになった!

午前9時頃、妻が出勤する時、部屋を覗いたらムサがベッドで眠っていたそうです。

(空白の9時間)
この、わずかな時間にムサはひとりで亡くなった。


午後6時少し前、妻と息子が帰宅してムサの部屋のドアを開けると入口付近で、ムサが倒れて冷たくなっていたそうです…この時すでに死後硬直が始まっていたそうなので、亡くなったのは昼から夕方にかけてでしょうか?
ゴハンも少しは食べていたそうです。
留守中にムサの身体に何か異変が起きた事は間違えなく、苦しかったのではないかと思うと不憫でなりません。せめて老衰で眠るように死んで欲しかった。
こんなに長い間一緒にいたのに…ひとりで逝くなんて水臭いよムサ!淋しいよ!!
23歳10ヶ月…あと2ヶ月で24歳になるのを楽しみにしていたのに!!

午後6時過ぎ、職場の電話が鳴った…妻からだった…受話器に出る前にムサがダメだったんだと感じた!!

午後9時頃、帰宅するとムサが部屋で静かに横になっていた…とても静かだった。
死後硬直が始まり、目を開いたまま冷たく硬くなっていた…ムサが最期に見たものは何だったんだろうか?…苦しい最期じゃなかったのか?…寒くなかったのか?…ひとりで淋しくなかったのか?…
いろんな事が頭の中をよぎった!
ムサの最期に一緒にいれなかった事…何もしてあげられなかった自分が情けない!
出来ればムサの最期は、私の腕の中で眠るように逝って欲しいと思っていたのに…こんなのってアリ?!
今朝、ムサが気持ち良さそうに眠っていると勘違いした自分が情けない!
苦しみと闘い、死の恐怖に脅えていたのかも知れない?!…ゴメンねムサ気付いてあげられなくて!

ムサの身体を拭いてブラシをかけた…もっと綺麗にして見送りと思いシャンプーする事にした…春になって暖かくなったら洗ってあげようと思っていたのに、こんなかたちでシャンプーする事になるとは思わなかった…10月以来4ヶ月ぶりのシャンプーになった。
風呂場で妻と一緒に硬直したムサを洗ってあげた…シャワーで温まったからだろうか、ムサは静かに目を閉じた!
ドライヤーで乾かしたら身体が温かくなった…まるで気持ち良さそうに眠っているようだった!
夜は昨日と同じように、一緒に毛布にくるまって寝た。…ずっと夜鳴きをしていたムサが鳴かない静かな夜だった。


【2015年(平成27年)2月11日(水)】


出勤前にムサ部屋を片付けて掃除機をかけ仏壇の準備をしてから出掛けた。
昼頃、妻が花を買って来て花瓶に供えてくれた。
ムサは、まるで気持ち良く眠っているように感じられた!

【2015年(平成27年)2月12日(木)】


夜、ムサのアルバムを整理していて、最近写真を撮ってない事に気が付いた…4ヶ月前の10月、私の誕生日に一緒に撮った写真には、元気なムサが写ってる。






晩年のムサは、目が合えば寄って来る甘えん坊さんになっていた。
亡くなる半年位前から、だいぶ足腰が弱くなってきて、便秘ぎみのせいかトイレで踏ん張りがきかず苦労していた…シャンプーしても後ろ足が弱っているせいか立っている事が出来ずに、しゃがみ込んでしまう事がたびたびあった…しかしムサは気丈にも最後まで自分の足で立って誰の力も借りずにトイレに行っていた。
インターネットで、死後硬直は死後90時間 でとれて、やわらかくなるとの記述があった…確かに少しではあるが硬直がとれてきた感じがした。
このまま、ムサをずっと置いておきたい衝動にかられた。


【2015年(平成27年)2月13日(金)】



今日は家族全員でムサを荼毘に付して見送る事にした…午後2時に火葬場に予約したので、午前中だけが、ムサと一緒にいれる最後の時間となった。



亡くなって3日め…2月10日の寒い日とは違い、最高気温19℃…風もなく暖かく、お日様が顔をだした。
午前11時頃、死に水をとってから、ムサに手紙を書いていると…自然と涙がこぼれた~もうすぐムサとの永遠の別れが近づいてきている事と、ムサの死を認めざるを得ない現実にさらされた…そして涙が止まらなくなった。
棺に入れるために、「ドライフード」と「またたび」を準備した。
午後12時頃、妻と娘が新しく花を買って来てくれた。
午後12時半頃、ムサとサラタロウが最後の対面をした。




互いに持病を抱えていたのでケージ越しでしか会う事がなかったけれど、ムサが最期を迎える時に家にいたのはサラタロウだけだった。

別々の部屋にいたけれど、ムサの最期の雄叫びをサラタロウは聞いていたに違いない!…サラタロウはムサのメッセージを感じていたのかも知れない?…ムサはひとり淋しく死んだんじゃなくサラタロウが見取ってくれたに違いない…「ありがとう!サラタロウ」
ムサと最後の対面をはたしたサラタロウは淋しそうだった。

午後12時半過ぎ、自宅を出発…住み慣れたマンションを1周して最後のお別れをした。

駐車場を出て海沿いの遊歩道でムサと一緒に写真を撮った。
ムサを抱いたまま車に乗り込み…生前ムサと一緒に歩いた海の見える橋を渡り、かかりつけの動物病院の前で挨拶をした。

そして3年半住んだ我が家の横を通り抜け火葬場へ向かった。
午後1時半頃には、火葬場に着いた。
インターネットで死後硬直は死後90時間で硬直がとれて軟らかくなるとの記述があった事を思い出した。

ムサは死後3日(72時間位)を経過…確かにムサの身体から硬直が少しとれて、軟らかくなって来た事を実感した。
午後1時45分ごろ、祭壇の前に寝かされたムサにブラシをかけてあげた…そして家族で線香をあげて、最後の別れとなった。




私は火葬場の方にお願いして一緒に焼き場に入った。

釜に入れられるムサに準備していた「ドライフード」「またたび」「手紙」「花束」を持たせた。

そして釜の扉が静かに閉められた。
荼毘にする点火ボタンは、お願いして私が押させてもらった。

スタートボタンが点灯して 機械が作動し始めた。2時間位かかるとの事でした。

しばらくして外の煙突を見ると、ほのかに煙が出ていてムサの焼ける臭いを感じた。

午後3時半頃、釜に入って1時間半位で荼毘が終了したと連絡があった…祭壇の前で待っていると、ワゴンに載せられてムサが戻って来た…ムサの遺骨と対面すると、淋しさが込み上げて来た。
私・妻・娘・息子~家族全員で拾骨を始めた。
係員の方が、これはウンチですと云って隅に寄せた。

そして「しっかり食事をしていたんですね!」と語った。…本当にそうなら良かったと思う。

午後4時過ぎ、骨壺に入れられたムサが我が家に戻って来た。…あまりにも静かだった。
そして骨壺と一緒にムサのアルバムを眺めた…そこには生後50日前後のムサがいた…また別の写真には、1991年の書籍や1991年6月のカレンダーと共に生後2ヶ月位のムサが写っている…逆算するとムサの誕生日は1991年4月頃と推測できる。23歳10ヶ月の長いようで短い生涯だった。私の人生で、両親よりも長く共にに過ごした家族だった。
ちなみに人間で推定すると推定年齢111歳になるらしい?!

私の人生…最初に飼った猫がムサで、最後に飼った猫がサラタロウになる事でしょう!!


【2015年(平成27年)3月30日(月)】


ムサが亡くなって、早いもので49日を迎えた。



ムサが遺骨になってから、、
ムサ部屋の照明を絶やさず点けて、骨壺を枕元に置いて寝るのが日課になっていたが、
四十九日にあたる今日で一区切りをつけて終わりにする事にした。
特別四十九日法要を営む訳ではないけれど、生前ムサが食べていた缶詰めを妻が買って来てくれた。
「缶詰め」「ドライフード」「水」 をお供えした。
骨壺の裏底に命日の日付とムサの年齢を手書きで記入した。
そして、骨壺の蓋を開けて遺骨に触れてみた。
1度骨壺に入ったムサを、きちんと見ておきたかった。
なんとも云えない感情を憶えて空しくなった!
骨壺の蓋を閉めて封印した。

俗に、死後49日間は死者の魂が迷っているとされていますが、ムサはどうだったのだろうか?!
夢でいいからムサに会いたいと願っていたら、亡くなって早々に夢を見た。
夢の内容は~ムサが死んだと思っていた事が、勘違いで実は生きていたと云うものだった。
ムサは夢で会いに来てくれた!
「ありがとう、ムサ!」

【エピローグ】


ムサが亡くなり、もう触れる事も出来なくなってしまったけど……
ムサの手足の感触、肉球、カギしっぽの曲がり、耳の肌ざわり、自慢のピンクの鼻のやわらかさ、
頭の形、身体の骨格、ムサの匂い、etc.…全部ぜんぶ覚えているよ!
でも1つだけ思い出せないものがある?…ムサの声が思い出せない!

あんなに毎夜、鳴き叫んでいたのに何故だろう…。
でも声を聞いたら、間違いなく効き当てる自信はあるのに…!?

ムサ、最期に見取る事が出来なくてゴメンね!
ムサとの思い出は、数えきれないほどあるけど…淋しいよ!
ムサ、いっぱい、いっぱい、ありがとう!!合掌