16歳で逝ってしまった彼と、
不思議で素敵な会話をした翌日、
報道ステーションに
中山ゴンちゃん(中山雅史さん)が
出ていた

私はゴンちゃんが好きなので、
そのまま番組を見ることにした


ゴンちゃんは、特集で
那須 雪崩事故の
生還者:三輪浦 淳和さんに
インタビューをしていた

三輪浦さんは、
生徒7人、教師1人が
命を失った大田原高校の
生徒だった

事故の翌年
山岳部部長となった

自分に足りないものが
あったと思い、
二度と同じことを
起こさないためにもと、
思ったから山岳部を
続けたそうだ

三輪浦さんは
「山の羅針盤」という
blogを開設して
今も想いを綴っている


開設した想いは  ↓ 




三輪浦さんは特集の中で、
自分が生き残っていることを
申し訳ないと思っていると
いうようなことを話していた

そんな想いからなのか、
頑張らないといけないと
無理をしているような
様子も感じた



私が三輪浦さんと
同じ年齢の頃、


自分が生きているのが
申し訳ないと感じ、

その分後悔しないで生きる、
二人分生きると

少し無理をして生きていたから…



涙が出た



「そんなふうに思わなくて
いいんだよ」と思いながら…



私が大切な人を失った時、

今から思うと、
2、3年くらいは
地に足をつけることが
できなかった…

ずっとね、
夢の中にいるような感覚だった


三輪浦さんを通して、
自分を見ていた


自分で感じていた以上に
あの頃辛いを
思いしてたんだなぁ…と感じ

そしてその瞬間、
そんな想いを
閉じ込めていたことを
受け入れられたように感じた


そんなふうに辛かったと
感じることは、

彼の死を
無駄にしてしまうような、

彼の死を
無駄にしないで
生きてきた自分が
嘘になってしまうような

そんな気がしていたのかも
しれない



生きているのが
申し訳ないと感じる

そんな誰かの死を受け入れる

もっと大人になってからなら
もしかしたら
また違うのかもしれない



私はあの頃の私と重なる

三輪浦さんを
外からみることで、
気づき、癒された


前日の不思議な体験の
あとだったからこそ
感じられた
感情だったんだと思う



インタビュアーが
ゴンちゃんでよかった

三輪浦さんにとても
寄り添っているように感じた

ゴンちゃんは献花に同行し
「この景色は絆があり1人で
見ているものではないと感じた」
と話していた



今は強がるしかないけれど、
きっと彼は大丈夫!と、
私は感じた


だって…
今はまだ悲しそうな
瞳ではあるけれど、
彼の表情は生きている


ゴンちゃんとのめぐりあい、
きっと彼の励みにも
なっているであろう


実際、彼はblogで
ゴンちゃんのことを

「実際にお会いしてみて、
情熱の強さもさることながら、
思慮深く、懐が限りなく深く広く、
そして何より、
エネルギーの塊のような方だなと
感じました」

たくさんと元気をもらった
書いている


そして、
自分の想いを伝える
チャンスをきちんと掴んで、

blogとはまた別な
テレビという媒体で

世の中にその想いを
発信できている

すごいなぁ…



彼のご家族も温かく
彼を見守っている

キリマンジャロに登る
先輩との約束…

ご家族は、
他のことに目を向けて
ほしいけど、
やりたいことを
やってほしいとも話していた



うんうん、彼は大丈夫…



ご遺族には不快な想いを
させてしまうかもしれないが…

それぞれが選択した、
それぞれの運命があると
私は思っている


だけど…

もし今、三輪浦さんが
私の目の前にいるとしても、
私はきっと

「生きているのが
申し訳ないなんて思わないで」

なんて言わない



彼がそう思うのなら
彼が思うままに
無理をしたらいいと思う

思う存分
無理をさせてあげたい



きっと今は…
三輪浦さんが
生きていくために
必要な想い


三輪浦さんももしかしたら、

いつか特別な神聖な
想い出から、

大切な想い出へと
変わる瞬間が
訪れるのかもしれない



私も三輪浦さんを見守りたい、
応援したい!と強く感じた



と、意気込んでいたものの
その数ヵ月後、
応援できる大きなチャンスを
逃してしまうのであった😅


その話しは、またいつか…



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