連日、小林麻央さん死去の放送が流れています
私と姉がれいかちゃんとカンゲンくんと同じ歳で母親が他界した。
正直ほぼ覚えていない
姉5歳、”私はもうすぐ4歳”の3歳であった。
私に至っては お葬式の日にお花を入れたこと、お葬式で走り回っていたこと
それくらい。
それも、もしかしたら、周りがそう言うから、そうしていただろうと後から得た知識でそれだけ覚えていると錯覚しているのかもしれない
それくらい覚えていない。
姉も5歳だったが、何もほぼ覚えていないんだってさ
自分の子供に5歳のころのことを聞いてみる。それなりの記憶があるようだ。
そしたら、どうして、私たちは、こんな忘れることもできないだろう出来事を忘れているのかな
って思った。
数日前にある友達が
それは、あまりにもショックなことって記憶から消すんだよ
きっと消したんじゃないかな って。
忘れた方が生きやすいから忘れると言う自己防衛本能が働いたのかな。。。
父は、母の写真を飾ることもなく、思い出を語ることもなかった。
そして、私たちは 父に母のことを聞くこともなかった。
なんでだろう。。。
ママは。 ママは。ママは。。。って言ってもおかしくなかった。
ママの写真は?って。
初めて、ちゃんと、母の写真を見たのは、、、いつだったかな。
それはもう中学生だったか、、そんな後の話。
今まで聞いてはいけないことだって勝手に思っていたのか
すべてに蓋を閉めていたのかな〜それが普通になってしまっていたのかな
私たちの中で、ママは?って聞いたらいけないんだって小さい頃に思ってしまったのかな・・とりあえず、分からない
海老蔵さんが、麻央さんの写真をたくさんブログに載せて、たくさん飾る報道を見て
今更、 あれ、、、どして父はそんなことをしなかったんだろう って思う私がいた。 ほんとに今の今までそれが、なぜだとさえ思いもしなかった。
母の思い出があると父も思い出すから、飾っていなかったのか
いつかもしかしたら、再婚するかもしれないから、そのために死んだママのことは
できるだけ私たちの記憶から消そうとしていてくれたのか。。。。
いつか来るかもしれない 新しいおかあさんを おかあさんとして、受け入れやすくするために。。。
そんなこと、考えていたわけないか・・ 今となっては、父に聞くこともできないけれど、亡くなってから聞きたいことって出てくるんだよね。。。
そういうものか。
いつまでも生きているものと思っていた。
そうではないってことも、亡くなってから気づいたよね