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子供は今のところ将来は日本に住みたいといっている。何故かと尋ねると、日本は戦争がないからだという。
先日子供の習い事でバスにのっていたら、偶々日本人の人と同席した。
たわいもない会話をした先に、何かのきっかけでそういう話になった。
子供はよほど強く思うのか、同じことを答えていた。その人は、そんな国あるんだろうかねと呟いた。
小島アナウンサーのこの記事を偶々読んだら考えさせられるものがあった。
そしてその人はこの国も今はこんな感じだけど、とても住みやすい時期があったのよと言っていた。
同じ話を中東やアフリカ系の移民もよく話していた。そう聞いていたから家族で移民したのだと。
かくいう私も昔、往復飛行機代が5万や六万円の時代があった。そういう風に往復していたから、
こっちに住んでいても、東京に住んでいても変わらないじゃないか。こっちで働いた方が休みが長いから、結果的に、
こっちのほうが家族と過ごせるよなどと本気で思っていた。
でも本当に飛行機代が安い時代があった。
時代も考え方も状況も変わるのだということを、自分が年を重ね、時代を経ることで学んでいる。
この国でも徴兵制が始まるかもしれないし、あの国でも始まるかもしれない。
ありえないことじゃない。
うちの子供がと考えると、考えたくもない。
学校ではウクライナから難民としてきた人が生徒でいるらしい。なんとなく聞けないが同じアパートに住んでいる家族もウクライナ人ではないかと思う。
なぜか近くにそこと対立している国の学校があり、先日リアル鉄砲を構えた憲兵が三人学校を囲んでいた。
近くに学校がいくつもあるが、その学校だけを囲んでいた。
物々しい雰囲気で、爆破予告などがあったのかもしれない。
学校にそういう予告があることは割とあると聞いたことがある。
子供が歴史に興味を持ち始め、動画をみせるも、子供心をつかまない音声で面白くないとみてくれなかった。
そのため、自分が頭にいれて子供に聞かせようと読んでいたら、考えさせられた。
私に寿命がある間、こういう雰囲気が終わるのだろうか、子供の時代はどうなるんだろうと思う。
基本姿勢が、しなやかでいたいと常に思っている。私はバランスがとりにくい体質なので、書いて発散したため、ちゃんと試験の勉強と旅行の計画をたてて楽しもう。
親族で気軽に病院に行ったところ、緊急で手術を進められて二週間後に手術をすることになったといわれて、丁寧によくないと思うと説明する。自分が体にメスをいれる経験を2025年に2回もして思ったことは、できるだけ不要不急以外は体にメスを入れることは慎重にした方がよいと思うだった。癌などの手術の場合でも、執刀医はよく確認した方がいい。新人などなら個人的には拒否したい。言いづらくても色々聞いた方がいいし、でも聞きまくると、病院側からうちでは。。。。と断られるのかもという雰囲気も感じたので、周りからの情報もよく確認した方がいい。医療関係者の意見も、同じ資格を持っていても、考え方は様々なので、できる限りのことをしたうえで、最後は自分がリスクをとる覚悟をして臨むべきなのだと思う。
私は手術先に2択あったけど、こっちの先生の方がよかったのかも、とやはり思うことも無きにしも非ず。あの時は正解だと思ったとしても、自分の体のことになるとやはり色々思うものだ、後悔無しなどとはいかない。日本の医師でも、ドへたくそだ。。。と内心思うほど検査だけで激痛を伴う上に、あたりが悪い人もいた。こっちの医者の担当医は、かなり几帳面で、丁寧で、一発で悪い個所を抜き取るあたり、経験なのか感なのか、すごい先生だなと比べて思う。何にもないですと繰り返す医師に殺されることもあるし、その逆もありうる。やはり名医を探したいと私は思う。。。
とにかく、体にメスを入れることはそれくらい慎重に自分で考え抜いたほうがいいし、その相談にのるのも、相談相手の存在は手術選択をする際に非常に重要だけど、中立な立場をとって情報に協力する姿勢が望ましいななど思う。
親族の件と同時に、恐ろしい脳外科医の裁判の記事をいくつか読む。そして初めて、おそらくその漫画の存在がこの裁判につながったであろう竹田君の漫画を読む。医師も人間で、勉強がよくできる人は特性を持つ人も多いかもしれないと考える私には、ああ、こういうパターンもあるよなと、読みながら恐怖を覚えるとともに、わが身に起こる可能性として、日本でもこっちの国でも、遠慮をドブに捨てて、よく検討したいとあたらめて思わせる漫画だった。読み途中だけどとても意味のある漫画だと思う。そして、こうした才能が、手術ミスによって失ったものを、怒りや罵声や暴力に置き換えるのではなくて、冷静に伝えていて、この作者の人はすごいなあと思った。こういう才能の使い方はすごくかっこいいなとも思う。
子供の生活習慣を身に着けさせる工夫の一環で、
自分も〇×でで日々の記録をつけ始めると、
自分がいい感じになるのが、読書を少しでも取り入れられたとき、運動できたとき。
反対にうんざりするのが、気の合わないママ友と嫌われないようにするためだけに、ひたすら神経をすり減らし、じっと黙っているとき。私は会話を始めるとその先の先まで、話題がわいてくるそうで、それを同じテンポで話せないと、悶々とするんだと気が付けた。同じようにスマッシュが打てないと、黙ってその人のペースに合わせることが苦業でもやもやとなる。そういう時、眠りが浅くなりよくない。でも出会う人の90パーの人は、同じスマッシュを打ち返してはくれないから、黙ってなくちゃいけないから、楽しくない。半面、昔の友達は、昔のままでいても温かい眼差しで見てくれるので、自分に帰るようなスマッシュを炸裂させられるから話していて楽しいのかもしれない。
いいママ友もいる。話や気が合わなくとも、リズムが合わなくとも、いい人そうな人もいるが、なぜかそういう人は隠れている。いや私と同じように、面倒を避けるために、同じように気を付けているのかもしれない。
人をやたら嘗め回すように評価したり仕分けしている感じのママさんがいたり。探るだけ情報を探って、得るだけ得たらぽーんと立ち去っていく人。いい情報を得た。いいこと聞いたと発言する人に違和感を覚える。
選んだ人とだけしか感じよく会話しませんみたいな人もいて、そういう人とできるだけ合わないように気を付けている。
うっかり確認を怠ると、たいてい顔を合わせる羽目になる。そういう人は会話がうまいのだろうか。一体何を話しているのだろう。幅を利かせているようにみえて、違和感を覚える。こういうの中学みたいだ。たまたま同じ地域に住んでいるというだけで同じ時間をすごす。でもオトナでありがたいのは義務じゃない事。工夫すれば避けられる。中学と違うのは一緒にスポーツしたり勉強しないから、この得体のしれない失礼そうに見える人が、一体全体何者なのか最後までわからない事。見た目や振る舞いや、よくわからん本人の自己申告だけで見極める神レベルに難しい世界。それでひたすらブランド品やら、流行に走る人もいる。
そういう雑音をいやす5分読書に、十何年ぶりに銀色夏生の本をキンドルでかう。すんごく懐かしい。エッセイもついでに買うと、かなり内容は面白いものではないけど、時々気付きが合ったりする。軽い感じの読み物なので、ストレスをいやすのにはいい。かなり閉じた人間関係になっていて、もう少し歳をとるとそんな感じになるのかななんて想像しながら読んでいる。
次は懐かしシリーズで他のエッセイも読んでいきたい。
読書と運動は自分を撮り戻させてくれるので、一日5分でもとりいれると、調子がいい。
周りを見ると、子供をインターナショナルスクールに入れている家庭がちらほらいる。
話を聞くたびに、正直、心が揺れる。うちの子の母語になる二つの言語は、どちらも世界的にはメジャー言語とは言いにくい。経済の先行きも不安。そう考えると、やっぱり英語教育は強化した方がいいのではと何度も思う。自分自身が、仕事の可能性を広げる場面でも、やはり英語ができた方がいい場面は確実に増える。
でも同時に、こうも思う。
英語を専門として極めることに、これからどれだけの価値があるのだろうか。翻訳も通訳も文章作成も、AIがかなりの精度でこなす時代になっている。英語そのものでは武器にならないのに20万の学費を毎月はらい、そこだけに力を注ぐのだろうか。かといってこっちの名門私立に汗水たらして入れることも、その反対の解にはならないだろうし。
入れている人たちは、教育に全振りして他の資産形成を削っていたり、子供は一人と決めていたり、フリーランスで大きく稼いでいたり、駐在で会社負担がでたりだろうか。普通の収入帯の家庭が頑張れば届く金額ではない。
教育方針というより、もはや家計モデルの話だと思う。
それでも心が揺れるのは、インターや私立に入れたというガツガツママたちの言葉が強いからか。
中学から私立はレベルが下がる 小さいうちから私立じゃないと意味がない
そんな言葉に、今でも時々ざわつく。
みんな教育にお金をかけるために子供を一人にしていたり、ライフスタイルを大きく変えていたりする。その覚悟を見ると、自分の選択が間違っているのではないかと不安になる瞬間もある。
でも、まてよと思う。
学校の種類よりも前に、家庭の学びの文化の方が強いのではないかということ。
どんな会話をしているか。
どれだけ本に触れているか。
どれだけ体験しているか。
どれだけ挑戦と失敗を許しているか。
親がどんな姿勢で学び続けているか。
小学校のうちは、習い事に惜しみなく投資して、旅をして、世界を見せて、興味の芽を育てる。そして中学以降で進路を戦略的に考える。この流れも、ひとつの合理的な選択なのではと思い始めている。
インターか、公立か。
私立か、そうでないか。
英語か、母語か。
二択で考えるほど単純な話ではないのだと思う。
結局のところ、子供の土台を作るのは学校名ではなく、家庭の空気なのだと、何度も自分に言い聞かせている。
正解はわからない。
焦る気持ちはあるけど、どんと構えたい。
なんで私立に小学校にいれたママはみんなドヤなんだ。
私事で、こっちの行政の決定で納得できない決定があり、せっせと調べて異議申立書を送る準備をしている。
裁判の手前の書類で、裁判までするかは、専門の機関に予約をとって相談してこようと思う。
初めてで、調べながらだけど、ただ決定に不満をもって、この国にいること自体が嫌になるよりはいいなと。
調べ始めるとなぜ自分がこういう状況なのかクリアになってきたので、それだけでストレスが半減し、精神的に行動した方がいいと思った。ただ、こういう資料集めは面倒。
周りが旦那さんにやってもらってばかりで、語学を磨かなくても楽々に暮らせる人も多い。そういう眩しい話を聞くと、比べて堕ちる。けど、同じように何でもやりこなしていく仲間もいるので、励みになる。そういう人は本当に行動が早い。自慢げでもなく当たり前にこなしている。でもそういう人もやはり同じ苦楽を笑い話でできる仲間がいるから頑張れる。そういう人と付き合っていくと、いつの間にか自分ではできないと思い込んでいたことが楽々できるようになる。自分も学校へいって世界が一つ広がったし、なんでもやればできると苦労話をしなくてもこなせるようになった。同時になんでやってくれないんだというpへの不満も消える。むしろ、黙って寝ててくれて口挟まないでくれて有難いわ。と割り切れる。黙っててくれて有難い。pは調べるといってから、提出用の資料を壊れたうちのコピー機の代わりに会社でコピーだけしてきてくれた。それくらいでいい。
物事って考え方、仲間一つで全然変わる。
私は新しい人と仲良くなるのが、苦手なんだとママ友界隈で思い知るものの、良い縁がつながるようにはやはり願い続けている。
閉じることはしないでおこう。誰にでも優しく吸い取られないで、人を分ければいいのかと思う。
子供と決めた新たな約束事。
アニメの服とクラッシックな服を交互に切るということ。
今日は母好みの、こっちのカトリックの子がきるようなクラッシックな服。
明日はガラッと変わって、子供が選んだピカチュウの服。
二人の折衷案として、こうなった。好きな服も着せてあげたい。
また現在頭を悩ませている子供のワーク系。
下の子はまだ小さいが公文を楽しくやらせるのが課題。
この前までは公文と聞くと猛ダッシュで逃げまわるので、上の子に半分やらせると喜んでやった。
昨日は歌を歌いながらやるとあっという間やり終える。
日本から持ってきた七田式はゲームだと思い込んでいるので、何十枚もあっという間にやってしまう。ただ親の方が付き合うのに大変。
このような感じで上の子も付きっ切りでやると、本人のやる気もありたくさんやりたがる。
何分後に宿題しようとすると、しっかり待ってせかされるほど。
ただ、自分の手が回らない。
横に張り付いていないとやらないので、せめて自分で漢字の書き取りくらいしてほしいのだけどどう準備したらよいか考え中。
本を読んでアイデアを取り入れよう。というわけで本を読む時間も計画に追加。
やはり本に書いてあるように子供の計画表も作った方が、管理しやすいのかもしれない。
昼の時間に上の階のおじいさん(頭部やら全身の皮膚がんで闘病中)が訪ねてくる。
一時に比べると、具合がよくなったというので、おじいさんはハイだったのだろう。
手術痕の話をしだして、これは見せられない写真だから というので、
手術痕なら、いえいえまあまあ見慣れてますよとつい、いらん一言が反射者的にでてしまう。
私は決して、見せてとは言わなかったが、ハイだったおじいさんは、じゃあ見せようかなっと割と乗り気で写真を見せられる。
想像の500倍えぐい写真だった。。。
認識の共有が十分でなかったのと、ちょっとの好奇心が、招いた吐き気。
これからあのおじいさんを見るたびに、写真がフラッシュバックしそう。。。
何風呂だったか忘れたけど、入ったら劇的によくなったそうなので、それはそれでよかった。
やっと月曜がきた。
待ちに待った月曜だ。
ウキウキして5時におきて、作ってあった甘酒を飲みながら、幸せな気分でテスト勉強をする。
充実。
先週までちょっと重なった。
不思議と同じことが起きても、雨が降ったなくらいに思えるようになったのは、自分の地盤地が固まったのか、子供が大きくなったからなのか。
今日から癒しの週間だ。
セールで買った子供服を徐々に着せるのが楽しみだ。
今日はジョギングも再開しちゃおう。
