時々ね、
「説明しようかな」
って思って
 
 
立ち止まることが
あります。
 
 
自身に問うのです。
 
「それは、愛からですか?」
…と。
 
 
それが、私の中の、
 
「説明」の基準です♪
 
 
 
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人の説明をする
理由には
 
ふたつの、パターンあると
思っています。
 
 
゚*.。.*゚*.。.*゚*.。.*゚*.。.*゚
 
 
それは一見、
相反するものです。
 
シンプルに書くと…
 
 【不安なとき】

①自分のためなら、出す
②相手のためなら、引く
 
 
【安心なとき】

③自分のためなら、引く。
④相手のためなら、出す。
 
 
 
 
このような真反対。
 
なぜ、真反対に
なってしまうのか?
 
その理由を
書きたいのです。
 

.。.:*♡
 
 
 
゚*.。.*゚*.。.*゚*.。.*゚*.。.*゚
 
 
 
 
【ぐらぐら期(不安期)】
 
 
①自分のためなら、出す

それは、自己愛からだから。
そうすることで自分の
こころは、満たされ
癒やされるからです。
 
②相手のためなら、引く
 
相手のためなら引っ込める。
この時期に相手に
「言ってあげなきゃ」と
思ったことは、大抵
自己満足に過ぎません。

大抵は、
わかってもらいたいという
恐れからであり
見当違いなことが
多いからです。

「相手のため」という
皮を被った

「わかってもらわないと困る」
という
不満のぶつけだから
 
「相手のためではなく
自分のために言っている」と
自覚してから
言葉にすると良いと
思います。


 
【凪、安定期】
 
 
③自分のためなら、引く。
 
 安定しているときは
そもそも人に、理解を
求める必要がありません。

わかってもらわなくても
何も減らないからです。
 
 
誤解されて自分が損するとも
思わないから、
説明する必要がないと
わかるのです。
 
(これが、雲奏さんの普段です。)
 

④相手のためなら、出す。

相手のために説明することが
愛だと思うときは、
説明をする。

ただ受け取って
もらえなくてもよく

今は理解されなくても
良いという
気持ちがあるので

「わからせよう」という
承認欲求を含みません。

 
私は、雲奏さんの
説明が大好きです。

いつも、愛からだからです。
厳しい言葉でも、です。
 
 ❀・*:。✡*❀・*:。✡*

先日。


少しの間、静かに
想いをめぐらせておりました。

私と雲奏さんにおいて
共通する部分なのですが


私たちに「嫌いな人」は
いないということです。

ただ、今接することが
出来る人と


(そのほうが愛であること)

今は接しないほうが

適切であること。


(そのほうが愛であること)


そう伝えることが
魂の成長に繋がるときです。

もちろん、嫌いなものは
あります。

私は、甘いものと
牛乳が嫌いです。


エネルギーでは、
コントロール、依存
脅しなどは嫌いです。

でもそれを選んでしまう人

「その存在そのもの」は
嫌いではないです。


牛乳は悪でないように
その人も、悪ではない。


当たり前のことです。

さまざまな部分を
内包するのが人間なので

その人そのものを
「嫌い」とか「悪」とか

「否定」することは
決してありません。

何かを選択したのなら
それは

「そのほうが愛だから」です。

お酒を飲む人に永遠に
お酒を無限に

与え続けるのが


愛や優しさとは

言えないように

注いではいけない部分に
過度に、表面的に
愛や優しさと

「見える」ものを

注ぐことをしない

…ということです。

 
 「良いところを見て愛する」
「悪い人なんていない」

当たり前のことです。

人は、良いところも
悪いところもあり
人間だからです。

そのうえで、
何を選択するのか。

その選択してきた結果が
「今の現実」です。


現実とは、
その人そのもの
だと言えます。


❀・*:。✡*❀・*:。✡*









大根たくさん頂いたので

昨日は、みぞれ鍋に
挑戦しました♡

おいしすぎて
くらくら♡♡

大根さん♡
なんてあなたは、
すばらしいの!

朝は、鍋の残りで
雑炊にする予定です♡

なんて、贅沢♡♡
これぞ、幸せー♡

みー♡は、今日も
元気です(∩´∀`∩)❀・*:。✡*