前向きな文章にはしたいけど、愚痴も多々含まれる模様。
ちょっとキツイなーと思ったら、回れ右してスルーされることを推奨します







実家に帰ると、何かしらストレスがたまる。。。(ーー;)
寝不足も相まって、実家を後にしてしばらくは相当不機嫌だった模様。
家族をはじめ、多くの人に迷惑をかけてしまった。。。あああ後で色々フォローせねば_| ̄|○




今回の帰省中、何に多くイラついてたかって言えば、
主に母相手なんだよなあ…
今回の実家帰省では母の家族(祖父母、叔母×2)と関わることも多く、
「どうしてこの人だけ、ヒトの話を素直に聞けないんや。。。(´Д` )」
と(私が)凹むこと多々。

彼女の「ヒトの話を聞けない」ってのには2つの側面があり。
1.能力として聞けてない。
他者からのある質問に対してトンチンカンな答えを出してしまう。
質問内容を素直に聞き返せず、本人の中でテキトーに推測して処理してしまうが故の現象なのでしょうな。。。
2.思い込みが激しい。
ある現象(~がこう言った的な)に対する背景を勝手に作り上げ、
「この人はこういうものだから」的な(一方的な)解釈をしがち。

そして、「ヒトの話を聞けない」が故に辿り着いてしまうのが、
強烈な「諦め・マイナス思考」

「この人はこうだから」→「私が何を言ったって(行動したって)ムダ」
っていう図式が、本人の中で完全に出来上がってしまっている。。。

その結果、彼女から繰り出される言葉たちは、「デモデモダッテ」の嵐。
さすがにゲンナリきますよ。。。還暦手前の奥様ができない理由をひたすら並べる醜態を見せ付けられると(´Д` )

思わず私、軽くお説教モードに入りましたよねw

「この家から引っ越さなければ…」という問題については
『じゃあ、どうしたいの?』
「お金もないから、家賃が安い所に入らなきゃいけないけど、市営住宅だと土地持ちの人は入居できなくて、一旦別の所に引っ越してから今の家を処分しなきゃいけなくて…」云々
『市営住宅に入りたいの?』
「いや、家賃が安い所ならどこでもよくて、家賃が高かったら生活していけないから…」
『家賃が安い所に引っ越したいんだね?』

(環境のせいにしたがってるのかもだけど、結局は自分でその希望を選びたがってるんだよな(´Д` )そこ確認しとかないと)

「まあでも、今すぐにという訳にはいかないし。今の問題が片付いてからだから…」
『その問題、5年以内(=父の定年)までに片付く?』
「1年以内には。でもそれが終わったら別の問題も出てくるから、自分の家の問題(=引っ越し)に取り掛かるのは、まだ先のことになるかな…」
『その別の問題と引っ越しを同時進行させるのは、無理?』
「ムリw」
『ペース配分9:1くらいでもいいから少しずつ考えておかないと、後でエラいことになるよ?』

(周りの人を優先して自分を後回しにする母の姿勢…よくわかる。弟のこともあり、母は長年そんな生活を続けてきたのだから。
でもね。そろそろ、自分の主張をしたっていい頃だと私は思うのですよ。自分の人生でしょ?周りの人のペースに、呑まれていいの?)


母は父のことについて「私が何か(提案を)言うと不機嫌になる、怒る」と思っているようですが
代わりに私が父に提案すると「うん、そうだな」とすんなり受け入れて考え始めてくれるのですが
母はその様子をみて「(私)が言うから通じるんだ、(母)が言っても何も聞かない」と嘆いているんですが
…じゃあさ
母は私の口を借りてお願いとかを父に伝達する、って選択肢もあるよね!?
いざとなれば。根回し、ってヤツ。




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でも、今こうやって母のことをボロクソに言っている私も、
ほんの何年か前までは、母と似たような思考回路だったハズ。

かつての友人に言わせると、私も「デモデモダッテ」の人だったらしい。
友人が私に何か提案しても、とにかく否定から入っていたらしい。

そうやって
自分を否定して
自分の内から湧く好奇心を否定して
自分の人生を諦めて
ただ親の提案する道に従い
親の言われるままに動き
「私」は一度崩壊した……と。



ホント今の私、よくここまで変われたなと思う(^_^;)
今の私なら、
「現状を洗い出して」
「問題点を見つけて」
「その問題点に対して、どのようなアプローチを仕掛けていくか?」
って思考回路が、一応だけど成立してるっぽいしね。


今の私を形作っているのは、

あの頃の私に対して「諦めず」声を掛け続けた人たちのおかげであり
(その中には諦めて離れた人もいるし、旦那のように今もずっと側にいる人もいるし)

あとは、手帳のおかげなんだろうな…と痛感する。
ちゃんと知っている訳ではないけど、あな吉手帳を使うことによって、セルカン的思考が身についていったんだと思う。




「私は、どう生きたいのか」

幸いにも、旦那は私が私らしく生きることを赦してくれている。
だからこそ私は、少しずつ内なる「私」を聴いて、日々を楽しく送りたい…と考えている。