4/26(水)…前日の体調不良の翌日の朝


まずは昨日(4/25(火))の備忘録として追記。


早退してからずっと横になっていた。

激しい頭痛と吐き気と嘔吐を繰り返してから、もう吐く物も無いと思った私は、布団に横たわる長女に、トイレまで行かずタオルの中に吐いて良いと伝えたら、珍しく素直に従いタオルに吐いた。想像以上に吐瀉物があり驚かされたゲロー


長女は、「お布団を汚してごめんね❗」と直ぐ様謝った。←意外にも冷静な態度にびっくりした。更に驚いたのが「髪がベトベト❗。シャンプーしたい❗」と発言した事だった。

激しい頭痛が幾分収まったのか⁉️と、お風呂場では椅子に座ってシャンプーするように伝えて、長女の意志を尊重した。←3年前は、吐瀉物の中に顔が埋もれても気付かない発作後の状態だった。髪は吐瀉物の残骸が絡まったまま髪の毛が乾燥していた。長女の頭痛の収まる経緯やら、気分転換で頭痛を打ち消す方法を身に付けたのかしら⁉️と、浴室でシャワー&シャンプーする長女をガラス越しに見守ってた(16:00)。出てからもドライヤーをいつものように掛けていた。何かに集中して痛みを忘れるのも良い方法だと見守った。



話を元に戻して…。


翌朝(4/26(水))は、穏やかに静かに目覚めていたが、いつもの時間に起き上がる気配無しだった(5:30)。私はお弁当が必要かどうか確認をしたら、「要らない❗」と答えたので、お弁当作りをせずに長女と7:15まで二度寝した。8:00迄に早退を視野にいれた登校するか(レントゲン検査を受ける事を主体に…)、6時限目だけの遅刻登校かを決めてくれたら良いから、ギリギリまで寝てるように伝えた。欠席は考えていないのだけは理解していた私。


食欲もなかったので、昼食が口に出来たら6時限目(14:30~)だけ登校を考える旨を担任の先生に電話で伝えた。痙攣発作が起きる心配は無かったが、朝の時点では衰弱が酷く見えていたので、無理をせず午後まで身体を休めてから考えよう❗と諭して、少量の水で服薬させてから寝かせた。


12:00に起こして、登校を考えるなら少しずつ起き上がった方が良い❗と伝えた。

長女は13:00まで布団の上で過ごし、それから静かにゆっくり登校の準備をし始めた。

雨が降っていて寒かったので、しっかりと制服の下にセーターを着ていた事を後から知り、6時限目だけの登校もクリアーできる予感を感じれた。

昼食も何も欲しなかった。OS-1を1口飲んだだけだった。たぶん水分を入れただけでも嘔吐していた前日の恐怖や疲れもあるのだと思い、無理には薦めなかった。


学校には14:20に到着し、そのまま1人で教室に向かった。授業中、耐えられなくなったら早退させて貰うように伝えて置いた。英語の授業だったから、予習を土日済ませていたので気楽に聞き流せると私は踏んで車内でblogを書きながら待機していた。無事に終えて15:40には駐車場に戻って来た。担任の先生も後からやって来てくれた。

直ぐに雨の当たらない屋根の下に移動し、体調の不完全な娘の登校を詫びて、前日の手厚いサポートにお礼を再度伝えた。


担任の先生は、「今日、少しだけでも来れて安心しました。長女さんが倒れる様子も把握できたので、今後のサポートも入り易いです。」と言葉を頂けた。それから、昨日のことを振り返り、「お母さんが言われた95%の体調不良な状態で痙攣発作が起きる可能性が高いとの見解は流石です。」と。←私の言葉を信じ、担任の先生は朝礼だけで早退する長女の為に、倒れた時の緊急体制を敷いて置いて下さったのだと顧みれた。私が電話で担任の先生に長女の体調を伝えたのが4/25 8:25で、長女が登校したのが8:30~8:50。冷静に考えても、この学校の手際の良い対応はSPのように抜けが無いようだ❗。


長女は、痙攣発作が起きた翌日にたった1時間だけど登校ができた✨。授業内容も記憶に残っていたからビックリ❗。英語の授業は、「does とか do とかを何度も繰り返していた❗」と内容を説明してくれた。予習をしておいて良かった(教科書の最初は中学のお復習でスタート)。中学以上の内容では無いことを私は素直に喜べた。←分かる事が自信に繋がるといいな~⤴️。


この日1日、固形物を何も口にしなかった。夕飯に渋々味噌汁の汁だけ少量口にしただけだった。パパは又拒食症になる事を危惧していた。私も微かにそれが頭を過ったが、嘔吐の連続だったから胃が疲れていると私自身に言い聞かせた。


4/29㊗️に親友のAちゃんと会える楽しみにして、今週を乗り切ろう❗と伝えて早めに眠った。明日は(4/27(木))、普通に登校できるといいな~⤴️。