こんばんは。
昨夜から1泊でパパの実家に遊びに行ってまったりとして来たわ。久しぶりにお笑い番組を観てバカ笑いしまくったわゲラゲラクラッカー。家事に追われず、時間に追われず至福の時間チュー
姉妹もバァバとトランプやカルタや折り紙で大騒ぎ。女子4人で其々が笑いまくってたラブ
パパは今日まで出勤してましたニヤリ

布団の中でも、ケータイでblog検索して色々な物を読み漁ってみたり…チュー

そこで、「抗NMDA受容体脳炎」についてと「8年越しの花嫁」と「彼女が目覚めるその日まで」の映画についてとても深い発信をされていると感じ、「美容・形成外科医Dr Gの美ぼう録さん」のblogをリブログさせて頂きました。
(私にとって初リブログ🔃、どんな要領でリブログさせて良いのか不安😖💧)





長女は、激しい頭痛が始まりでした。
人生で初めて発言した当時8才の長女の「頭が痛い❗」でした。激しい頭痛で意識が朦朧てして、泡を吹いたり、右半身の痺れを感じていた。精神疾患は微塵も感じとる事は出来なかった。休日夜間診療所に受診しても、嘔吐下痢症でしょう❗(下痢はしていなかっはたが…、点滴をしたら、意識が戻って落ち着いたからか?)と診断されてた。翌日小児科を受診して、紹介状を持って、急性期病院に「急性脳症の疑い」で入院した。


8年越し…」の映画を観てから、
入院して病室にて手に違和感?何かが付いていると何ども手洗いしてた事を思い出した。
幻覚が見えていたのかしら⁉と振り返るとあれが精神疾患だったのかしら?と思う事はできたが、事実は私には解らない。

入院してから、徐々に状態が悪くなり、呂律が悪くなり、反応も悪くなり…。7日目の朝、呼吸が薄れていき、目がぐるぐる回って意識がなくなった。8日目に不随意運動が出始めてた。
意識が無いのに、トイレだけは尿意を感じるとムクッと起き上がって、支えられながら歩いて
行ってた。←不思議な行動に思えたが、私は長女の脳がまだ何処かで指令を出して居ることが嬉しく感じてた。

トイレに行く感覚が1日に1回では膀胱が破裂してしまう可能性もあるし、倒れたら危険だと看護師さんやドクターに説得されて導尿に踏み切った。500ccも溜めてしまう膀胱でした。導尿にしてからも、長女はトイレに行こうと起き上がろうとした行動を2日間やっていた。長女
はそれ以外の反応は全く無かったから、私はトイレに行こうとする反応が消えてしまった時は切なく悲しみを深めてた。唯一の生体反応だったから…えーん

私は、入院3週間位に図書館で借りた「脳炎、脳症」の本を読んで、長女の経過が精神疾患以外は「抗NMDA受容体脳炎」とそっくりであると妹や、看護師さんや、友達に洩らしていた。
「卵巣奇形腫さえ見つかれば予後が8割良い❗」と言うこの病気であって欲しいと強く祈ってた。入院1ヶ月目の時に卵巣のCT検査をお願いしたが取り合って貰えなかった。

入院3か月目に意識が覚醒してから、暴力?暴れる事が出始めた。←これは、目を開けっ放しにしていた時に角膜が渇いて剥がれ落ちた角膜を除去した恐怖でドクターを見る、点眼する時に自己防衛として暴れるのだと当時は長女の事を理解していた。後々に、これが精神疾患?乱暴な行動?反社会行動?被害妄想的な言動や行動が見られるようになり、「ああ、これが発病初期に見られると言う精神疾患か⁉」と納得できた経緯があった。

「彼女が目覚める…」の映画の作者スザンナさんが暴力行為と精神的に幼くなるのも治療の薬の影響による物が大きいとされる言われてて納得できました。1年半~2年経過してくると、体調や状態が落ち着いて来ると言われていた。

患者家族会の方も退院してからの最初の1年が本当に辛い時間だったと情報を共有してくれてて、2年経過するとほぼ元の生活を取り戻せるとも教えてくれてた。

この情報が私達家族には心の支えとなっている。あと半年したら、長女は穏やかに友達と関わる事ができるようになる❗と毎日、強く祈っている、願っている生活です。

素敵なニュースがありましたおねがい
患者家族会の人から娘さんが8月に意識を4年ぶりに覚醒したと知らせを受けていたのですが更に数日前に、自分の名前を書いたと素敵なニュースをメールにて知らさせて下さいました。

私の長女も、退院してから突然、平仮名を書き、その文字が名字の1文字だった時は心底驚き歓喜した経験ありおねがい

何年も掛かっても、この病気は元に戻れるチャンスがある事が次々に明るみになるのは本当に嬉しく思います。患者家族会の家族みんなが次々に奇跡を味わい、皆さんに発信できたら病気と闘う人に大きな希望をもたらしてくれる。

スザンナさんも、映画には描いていないけど、リハビリ期の事も本来なら語りたかった…けれど、リハビリは長期に及ぶ為ハリウッド映画で表現する話では無いと理解されているとジャパンタイムスに書かれてた。(あくまでも私の英語解釈ですが…。)

病気の周知活動だけでも、大きな偉業だったと私は思う。でも、意識が覚醒してからの長い闘いも現実社会では第2章として続き家族には試練の連続なのですが…。

患者家族会と繋がっている、誰かと繋がって一緒に闘えたら、「一人ではない❗」と思うだけても、闘う辛さは半減すると日々思う。

辛いけど、「ネバーギブアップ❗」
「絶対に諦めない❗」。