先日、線維筋痛症について書かれた記事を
リブログさせていただきました。




そしてその後、
こちらのAyakaさんの記事を読み…
胸が痛くなりました。





想像することすら難しい痛み…

言葉もまた、難しい……



だからこそ、

全ては分かり合えなかったとしても…

「理解したい」という、

その人の心に 寄り添う気持ちだけは…

大切にしたいと思います。


「痛み」は目に見えないからこそ…

いつも以上の想像力が必要です。

それでも、

あらゆる想像力を駆使したとしても

他人には、

どうしても分からないものが

他人の「痛み」です。


自分の痛みとして

実際に自分で経験できないものを

「自分のものさし」で

決めつけるのではなく…


ただただ、その痛みに

寄り添うことができたなら…

きっと、

世界は優しさに包まれるのだと思います。



言葉は時に、

刃にもなり得ます。



日常の中でも、

発した本人の真意と

受け取る側の気持ちが噛み合わず

傷つけ合ってしまうことが

悲しいけれど…起こります。


「そんなはずじゃなかった…」

…という、後から湧き出る思い。


私も、勢いで言ってしまって

人の気持ちを取り戻せなかった経験が、

過去にあります。


「そんなはずじゃなかった。」

「だけど、言葉は取り消せない。」


そんなふうに、

大切な人と、

傷つけ合ってしまった過去……。



私たちは、何気ない日常の中で

言葉の加害者にも、

言葉の被害者にも、

なってしまう可能性があるのですよね…。



自分の心がいっぱいいっぱいの時に

発してしまう何気ない言葉は…

その相手の、立場や気持ちを

考えずに言ってしまうことが多いです。


そして、言ってしまってから

自分の言葉の浅はかさに後悔するのです。


大切な人の心を傷つけてから

取り戻せなくなってしまってから

……気づくのです。


気づいてからでは、もう遅い……


それが、自分にとって

大切な人であればあるほど

悲しみも深くなってしまいます。。


初めはお互いを思いやる

純粋な塊だったはずものが…

誤解と自分の思い込みとが積み重なることで


お互いの優しい本音すら包み隠して

亀裂が入ってしまうこと…

すれ違ったままになってしまうことは…

本当に、辛く、悲しい経験です。


そうなってしまう前に・・

ただ、

相手の心に寄り添うことができたなら……

私は、これからは

そんな世界に在りたいと

強く、願います。







冒頭の記事の話に戻ります。


数値や検査にでない痛みと
孤独と闘うAyakaさん。

今回のように、辛く悲しい出来事も
たくさんあっただろうと思います。

それでも、その経験を、
悲しいことだけで終わらせず、
自分の中で「気づき」に変える姿。

自分にとっての「ある」に目を向け、
真摯に、強く、生きる姿に
たくさんの気づきをいただいています。




線維筋痛症の患者の皆さんの痛みが
少しでも和らぎ、
穏やかな時を過ごせますように……。