愛する天のお父さま


今日1日ありがとうございます。


今日は イザヤ書 20章を 思って 、


ちょっと自分なりに 解釈して書いてみました。



今日は


10月3日


木曜日です


私の感想です。


私たちは自己中心の性質を持っております 。


イザヤ もイエスさまのように 、


裸と裸足を持って、


神さまに従いました。


イザヤ はやだったでしょうか、


はい 従いますと思ったでしょうか 。


苦しかったでしょうか


どうだったでしょうか イザヤも、


イエスさまも受けるべきはずは、


主の栄光 です 。


そのように思えない


自己中心の 私もいます。自分に死にきれていません。


主は


しかし私を 行きたくない道へ連れて行かれます。


ヨハネ 21章


自分の行きたくないところであったとしても、


たとえそれが自分の行きたくない道であったとしても主のご計画があります。




【わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あなたがたの道と異なるからだ。―主の御告げー天が地よりも高いように、わたしの道は、あなたがたに道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。】(イザヤ書55章8節―9節)


主は最善です。主は災いではなく、

平安です。


神のなさることはときにかなって

すべて美しい。