28 さて、ヤコブはユダを先にヨセフのところに遣わしてゴシェンへの道を示させた。それから彼らはゴシェンの地に行った。

29 ヨセフは車を整え、父イスラエルを迎えるためにゴシェンへ上った。そして父に会うなり、父の首に抱きつき、その首にすがって泣き続けた。

30 イスラエルはヨセフに言った。「もう今、私は死んでもよい。この目であなたが生きているのを見たからには。」

31 ヨセフは兄弟たちや父の家族の者たちに言った。「私はパロのところに知らせに行き、申しましょう。『カナンの地にいた私の兄弟と父の家族の者たちが私のところに来ました。

32 この人たちは羊を飼う者です。家畜を飼っていた者です。彼らは、自分たちの羊と牛と彼らのすべてを連れて来ました。』

33 パロがあなたがたを呼び寄せて、『あなたがたの職業は何か』と聞くようなときには、

34 あなたがたは答えなさい。『あなたのしもべどもは若い時から今まで、私たちも、また私たちの先祖も家畜を飼う者でございます』と。そうすれば、あなたがたはゴシェンの地に住むことができるでしょう。羊を飼う者はすべて、エジプト人に忌みきらわれているからです。」

創世記46章

おはようございます。

いつも訪問くださりありがとうございます。

お祈りコメントありがとうございます。


今日は、創世記46章を読みました。

ヨセフは父に会うなり、
父の首に抱きつきました。

そして、
父の首にすがって、泣き続けました。

どれほど、会いたかったでしょう。
どれほど、愛おしかったでしょう。

涙の再会になり、

父は、ヨセフの顔を見て会えて、生きているのを知り、
【死んでもいいくらいだ】と、いいました。


わたしは、今日の箇所を読んで、

放蕩息子を思い出しました。

死んでいた息子が、帰ってきたのです。

神さまは、どれほど、
私たちを、待ち続けているでしょう。


罪人が悔い改めるなら、
神さまは、ヨセフの父のように死んでもいいくらいうれしいのです。


死んだと思っていた
ヨセフが、生きていて、
支配者になりました。
それをこの目でみました。
そんなヨセフを父は父の手で抱くことができたのです。

何という恵みなのでしょう。
神さまの愛とは深く計り知れないのでしょう。

神さまも私たちの救いのために、イエスさまを、私たちに、おおくりくださいました。

イエスさまは、
あなたのためなら、
死んでもいい。

という愛で私たちを愛してくださいました。


愛する天のお父さま。

主の御名をあがめます。

罪人が悔い改めるなら
神さまは、喜んでくださいます。

それは、
【私は死んでもいいくらい】の【愛】です。


神さまが、そのようにされてまで喜ぶほど、

私のいのちは大切で、


尊くて、


神さまが、あなたは、
わたしにとって、
かけがえのない存在。

として、

私の首さえ抱いて口づけしてくださることを

感謝いたします。

神さま、ありがとうございます。

愛するイエスさまの
お名前をとおしてお祈りいたします。
アーメン。


みことばを感謝いたします。

神さま、ありがとうございます。









あなたがたに言います。それと同じように、一人の罪人が悔い改めるなら、神の御使いたちの前には喜びがあるのです。」(新改訳2017)

わたしの目には、あなたは高価で尊い。わたしはあなたを愛している。イザヤ書43:4
今日一日守られ大感謝になりますように💖🥰ダネ💖