30 私が今、あなたのしもべである私の父のもとへ帰ったとき、あの子が私たちといっしょにいなかったら、父のいのちは彼のいのちにかかっているのですから、
31 あの子がいないのを見たら、父は死んでしまうでしょう。そして、しもべどもが、あなたのしもべであるしらが頭の私たちの父を、悲しみながら、よみに下らせることになります。
32 というのは、このしもべは私の父に、『もし私があの子をあなたのところに連れ戻さなかったら、私は永久にあなたに対して罪ある者となります』と言って、あの子を保証しているのです。
33 ですから、どうか今、このしもべを、あの子の代わりに、あなたさまの奴隷としてとどめ、あの子を兄弟たちと帰らせてください。
34 あの子が私といっしょでなくて、どうして私は父のところへ帰れましょう。私の父に起こるわざわいを見たくありません。」
創世記44章
おはようございます。
いつもお祈りコメントありがとうございます。
あすは、教会、祈り会です、
楽しみです。
今日は、創世記44章を読みました。
銀の杯を盗んだ罰として ベニヤミン が ヨセフの奴隷とされることになりました 。
その時、
ユタが願い出ました 。
ユダが訴えたことは自分が帰った時 、
ベニヤミン がいなかったら父は死んでしまう。
白髪頭の父を悲しませながら 黄泉にくだらせることになります 。
と言いました。
それゆえ ユダは
ベニヤミン を兄弟たちと一緒に返して欲しいと言いました。
父を悲しませることはどうしても避けたかったのです。
この僕を あの子の代わりにと、
自分を差し出し、
自分の生涯、
ユダが生涯奴隷となる覚悟を持って ベニヤミンを助け出そうとしたのです 。
かつて ヨセフを売り飛ばした兄弟たちではなく、
兄弟たちのことを自分のように愛する兄弟となりました 。
だからヨセフ に対しても後悔もいっぱいでした。
私たちは自己中心で人のことよりも自分、
自分となってしまうものですが、
ヨセフの兄弟たちは、幾たびもの時をへて 、
神様にお取り扱いされ 変えられていきました。
人は変えることはできませんが、
自分は変えられるのです。
神さまに私を変えてください。
と祈り続けることができますように、
と願います。
愛する天のお父さま
主の御名をあがめます。
私も自己中心で自分のことばかり目が行きやすいものです。
主よ、 罪深い 私をあわれんでください。
神さまがいつも私にあわれんでくださるように、
他の人にもあわれみの眼差しを向けることができますように。
助けてください。
愛する イエスさまの
お名前を通して お祈りいたします。
アーメン。
みことばを感謝します。
ありがとうございます。
あわれみを示したことのない者に対するさばきは、あわれみのないさばきです。あわれみは、さばきに向かって勝ち誇るのです。(ヤコブ2:13)
私たちが滅びうせなかったのは、主の恵みによる。主のあわれみは尽きないからだ。(哀歌3:22)