


6 イエスはこのようなたとえを話された。「ある人が、ぶどう園にいちじくの木を植えておいた。実を取りに来たが、何も見つからなかった。
7 そこで、ぶどう園の番人に言った。『見なさい。三年もの間、やって来ては、このいちじくの実のなるのを待っているのに、なっていたためしがない。これを切り倒してしまいなさい。何のために土地をふさいでいるのですか。』
8 番人は答えて言った。『ご主人。どうか、ことし一年そのままにしてやってください。木の回りを掘って、肥やしをやってみますから。
9 もしそれで来年、実を結べばよし、それでもだめなら、切り倒してください。』
ルカの福音書13章
こんばんは。
いつもお祈りありがとうございます。
今日は、ルカの福音書13章を読みました。
十字架の恵みを忘れやすい愚かで罪深い私たちです。
イエスさまは、
私たちを決して忘れません。
神さまからの心の癒しを、
イエスさまからの
一方的なあわれみとして体験いたしました。
しかし心の癒しは救いとは違って、
いつかはなくなることを覚えます。
しかし、救いはなくなることも、消え去ることも、
取り消されることもありません。
実に私たちは滅びうせなかった。
主のあわれみが尽きないからだ。
それは朝毎に新しい。
哀歌 3章の22節-23節
神さま、
あなたの救いの恵みにとどまるものとさせてください。
愛する天のお父さま、
主の御名をあがめます。
神さまは忍耐強く、
私たちが悔い改めて
神さまのもとへ帰ることを願っておられます。
神さまの光で照らされた私たちの姿は、
滅ぼされても当然の姿です。
神さまの御前には罪深い私たちです。
人は誰でも滅びるしかない存在です。
しかし
イエスさまがこられて私の罪のために死んでくださいました。
生まれながらに神さまの御怒りを受けるべき存在だった私たちに、
滅びの中から救い出してくださったイエスさまのあわれみと恵みに感謝いたします。
愛するイエスさま
のお名前を通して
感謝してお祈りいたします。
アーメン。
「実に、私たちは滅び失せなかった。
主のあわれみが尽きないからだ。」
哀歌3-22
