先日、栄三越の個展会場で染色作家の平島 毅さんに沙羅の似顔絵を書いて戴いている時に、「動物だったら何がいい?」と聞かれて随分昔の記憶が急に蘇って来ました。

 沙羅は、昔、版画家の瀬川 康男さんに「ことばあそびうた」のご本を戴いた時に見開きのページに似顔絵を書いて戴いたのでした。その絵は、鶴でした。当時の沙羅はスレンダーでしたから…

 瀬川 康男さんは、当時40歳、岡崎出身で、東京、四谷に住まわれていたのですが、岡崎の八丁味噌を取り寄せていらっしゃったことと、沙羅の家でも岡崎の同じ銘柄の八丁味噌を使っていたので食の嗜好も似ていてお話が盛り上がったことも思い出しました。

 四谷の土手でいつも植物のデッサンをされていたのですが、矢立に筆を入れて持ち歩いておられました。似顔絵を書いて下さった時も、その矢立から筆を取り出して手早く書かれていました。

 沙羅は、大学生の時、四谷に下宿していました。その近くには、文化人や有名作曲家や舞台女優さん達が出入りしていた喫茶店があって沙羅もよく行っていました。たしか50代のママさんが経営されていました。
 瀬川 康男さんとは、そこでママから紹介されてご本を戴くことになったのです。

 その後、万葉集のお仕事が入って、木花咲耶姫(このはなさくやひめ)のモデルになって欲しいと言われましたが、程なく大学を卒業して名古屋に帰りましたので、結局現実にはなりませんでした。


 「ことばあそびうた」 谷川俊太郎 詩  瀬川 康男 絵  福音館書店  刊
 「ことばあそびうた」は、1973年10月初版で、戴いたのは、1974年4月の第3刷です。
 評判が良くて随分売れていたとお聞きしました。

 



 何だかよわよわっちいツルさんですが、当時の沙羅は、こんな感じだったらしいです。





 その後、双六の版画も戴いたことを思い出しました。今度発掘してご紹介致しますね。
 瀬川 康男さんは、このあと直に長野県へアトリエを移されているらしいのですが、残念なことに2年前にお亡くなりになったそうです。


 忘れていた時代の記憶の糸を手繰り寄せて行くことは、とても楽しかったです。歳を取るって面白いことも一杯あるわってあらためて実感しました。