田辺聖子さんが亡くなった。

私の人生に最も大きな影響を与えた作家さん。

この日がいつか来ることは覚悟していたけれど、やっぱり涙が出た。

これまでは作品を読みながら、私は伊丹あたりに意識を飛ばして、

ご存命の田辺さんの声を聴くようなつもりで対話をしていた。

これからはその電波の行き先が、あの世になると思うと、遠くなるなあという気がする。

 

まだ肉体が10歳ほど若かった20代から、田辺作品を読んでいる自分の姿をそこかしこに思い返せる。

朝回りで立ち寄った京橋のミスドで「愛の幻滅」を読んで、滂沱の涙を流した日。

カンボジアヘの一人旅で、夜ワインを飲みながら読んでしこたま泣いたなあ。

初めての妊婦生活で、日が暮れかかった部屋で今はなきソファに寝そべり、時間を忘れて読みふけった。

 

田辺作品は私の師であり、友であり、慰められ、励まされ、私が悩み多き暗黒のふちにいた20代から、

30代にかけて、軽やかに橋を渡してくれる、なくてはならないアイテムだった。

 

田辺聖子さんのすごいところ。

女の子が自分の足でしっかりと立って生きていく。

そのよりどころが、楽しいものきれいなものうれしいもの、なんだ。

自分で自分をご機嫌にするすべを持っている女の子は強いよ、そんな人生は素敵なもんだよ。と教えてもらった。

 

滅私奉公、良妻賢母がよしとされる時代の中で育ち、どうしたら田辺聖子さんのようになれるのかというくらい、

リベラルで自由で、自分を持った人だった。

強さとしなやかさを、パワーのある言葉は使わない。ただ分かりやすく平易な文章で、伝える。

肩ひじ張らなくても、本当に素敵な真理は伝わるのだ。

 

田辺作品のフィクションの世界にあこがれて、私は大阪文学学校の門も叩いた。

でも逆立ちしても、生まれ変わっても、私は田辺さんのような文章は書けないだろうなあと思う。

たぐいまれな、超天才だった。

 

戦争で父親を亡くし、写真館を失い、廃墟の大阪で働いて自立した少女。

書くということで、自分で食べていくという信念とそこへの努力を遂げた20代から30代のハイミス時代。

お酒飲んでおしゃべりするのが楽しいのが恋愛であり結婚だと、おっちゃんと連れ添った日々。

ここは週末婚や、子供を生まずに4人の子供を育てるという、子育ての実情や情愛を知りながらも、

ある種突き放した、子育て観の醸成にもつながった。

生活しながら書く、働くしなやかさを学んだ。

老いていく途中で、田辺さんはご自分の仕事の幅をぐんぐんと広げられた。

興味関心の幅が広まり深まり、作品が次々と生まれた。年をとることで見えた世界を分かりやすく教えてもらった。

 

実母との愛憎深い、切っても切れない愉快な関係、かもかもおっちゃんを温かくも、切なく見送った日々。

私は本当に田辺聖子さんの人生のどの断面を切っても、多くを学んだ。

 

田辺さん今頃、あの世で、おっちゃんと演歌を聞きながら、老松でも飲んでいますか。

お母さん、大好きだった素敵なお父さんにも会えましたか。

 

私は田辺さんにこの世で一度でいいからお目にかかりたいと思っていた。でも、きっと無理だろうなとも思っていた。

2012年ごろに意を決して取材を申し込んだときに、丁重にお断りいただいたからである。

生きているけれど、もう会えない人なんだと覚悟をした。そこから数年がたっての今日である。

 

この間、一度だけ、田辺さんの誕生日にカードを送った。

そこにはこう書いた。田辺さんと同じ時代を生きたから、田辺作品に出合えた。

この時代に生まれたことに感謝したい、と。私が常々思ってきたことだった。

 

たぶん、阪神間の空気を知らない人や、ましてや男性や、これから先の時代の若者には、

田辺聖子さんの、本当の良さは体感できないかもしれない。特に男性になんかわかってたまるか、という思いもある。

文学作品というのは、それほど、出会いのもんだと思っている。

 

私は田辺作品に出合えて、本当にラッキーだった。

心に宝物として置き続け、これからも人生の道しるべとして仰がせてもらおう。

 

田辺聖子さん、本当にありがとうございました。これからも、私たちを見守っていてください。