今日は少し哲学的なお話になります。

物事には諦めることも大事。

私はいつだって「諦めること」や無関心になることができない人間です。特に大切に思えてる人ほど。。。

いくら家族でも絶対に埋められない穴や分かり会えない人だっているんだろけど、
本音でぶつかり合えば必ず分かり合えるっていつもどこがで希望を持ってしまいます。
特に韓国に住んでると、
「何で理解してくれないの?」ってイライラすることが多くて、諦めればすべて楽になるし気にしなくなるって言われるんです。
何度も話し合えばいつか理解してくれる!
無駄なのわかってても、そう信じちゃう。

「諦める」ことができないから、自分の思い通りにいかないとイライラするし、悲しくなるし、失望します。


私をよく知る長年の友達は、
あんたは不器用だから損な性格だよねて言われます。曲がったことが大嫌いだったり(話がいつもコロコロ変わる人が嫌い)、恩を受けたら絶対に返す律儀な人だったり、
あとは人を信じやすすぎるとか。。。(え、ただの真面目な馬鹿??)


そんな私を受け入れてくれる友人たちには感謝ですがううっ...

そんな一人の友人が

「諦める」ことは悪いことじゃないんだよって。
「諦める」ってゆーのは、
「物事の原因や理由を明らかにする。明確にする」
ていう意味でもあるんだよって教えてくれました。

なに、なに?どーゆーいみ??(?_?)


たとえば、女の子にふられた男の子が、その女の子のことをなかなか諦められないとします。
そんな時、その男の子の友達が彼に「もう、諦めろよ」とアドバイスします。

この「諦めろよ」「その女の子に対する思いを断てよ」という意味になります。

もちろん、そう簡単に「思い」は断てませんよ。

でも、ふられたり別れたりしたのには何らかの理由なり原因がある。

本当に大切な事は冷静になって(なかなかできないけど)「ふられた」原因や理由をとことん「はっきりさせること」です。

そうすれば、それまでとは違った視点で「自分自身」のことや相手の「女の子」のことを理解することができる。

自己発見ができて、はじめて友達の言葉を受け入れることが出来るし、「女の子」に対する思いを心の底から「断念」することが出来るんだそうです。

「諦める」という言葉は単に「途中でやめる」って意味だけじゃないんですねー。
ある意味「諦める」ことは「悟り」を開くこと変わらないのかもしれないですね。

さすが、小学校の先生やってるだけあるわ。

久々に胸に響きました。


深イイ~














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