2月8日午前2時15分にシオモニが永眠されました。

2016年の12月に慢性心不全だとわかってから、冬になると入退院を繰り返していました。

この冬は入院もせず、キムジャンもして、旧正月にも茶礼をすると言うほどだったので、なんとか乗り越えられるかなと思っていました。

1月に入ってからお腹が痛いと言うことが多くなり、何度も救急でかかりつけの病院にも行っていましたがよくならず、1月24日に行ったときに腎臓の数値が悪いと担当医に会うことになり、即入院と言われました。

ただ、病床が空いてなかったので、翌日また病院に来るように言われ、その日は帰宅。

夕食を3人でいっしょに食べたあと、具合が悪くなったようなのですが、朝6時に死にそうだと大騒ぎになり、救急で病床が空くまで待機。
午後にやっと入院されました。
入院手続きを終えて、早退してきた旦那とバトンタッチして私は仕事へ...。

31日の深夜に不整脈があり、面会に行ったときには痛みが深刻で、モニタリングしないといけないとICUに移されました。

腎臓機能が弱って尿が出ないので、透析が始まり、いつ心肺停止してもおかしくない状態だと家族全員が呼ばれました。

その後は落ち着いていて、2月4日には一般病室に移れそうだという話も出たほどだったのです。
食欲はなかったので、食べたいものを聞いたら、パイナップルジュースとりんごジュースが飲みたいと言うので、買いましたが、面会時間が過ぎていたので、直接は渡せませんでした。

その夜に急変。
幻覚症状があり、家に帰ると大声をだしたりしたそうです。

5日の朝には透析を外そうとするので拘束しなければならないと連絡がありました。
19時に面会に行ったときには、話していることは支離滅裂で呂律も回らない状態でした。
それでも食事はしっかり食べたそうです。

6日は私が授業だったので旦那だけ面会に行きましたが、食事も拒否してただ寝ていたそうです。

7日の朝6時ごろ心肺停止状態になったと病院から連絡があり、7時半に病院に着いたときには、心肺蘇生術のおかげで脈は戻っていましたが、気管切開され人工呼吸器が繋がれた状態で意識はありませんでした。

次に心肺停止状態になっても、心肺蘇生術はしないという同意書にサインし、家族全員の同意が必要だというので、義弟が来るのを待ちました。
義弟が来たときにはシオモニの意識はありませんでした。

病院からは今日が峠なので待機してくださいと言われたので、私たちはそのまま9時の面会時間まで待機していました。

9時に面会に行ったときには意識が戻っていて、呼びかけにしっかり反応していましたが、人工呼吸器のために話はできませんでした。

自己呼吸と人工呼吸器のタイミングが合わず苦しそうにしていました。

この日は私たちがどうしてもしなければならないことがあり、シオモニが気になりつつも、用事をなんとか済ませ、19時の面会に行きました。

シオモニの弟さんご夫婦とシアボジの従妹のおばさんたちも面会に来てくれました。

このとき、瞳孔反応以外の反応はすでにありませんでした。

最悪の状態になるかもと、一度家に戻って身支度を整え、必要なものを準備していた22時ごろ、心拍が落ちていると連絡があり、23時に病院に戻りました。

そのあとはロビーにあるソファーうつらうつらしながら、呼ばれればシオモニに会いに行くという状況でした。

日付が変わって8日の午前2時に脈が弱くなったと連絡があり、急いで病室に行きましたが、私たちが着いたときには、脈拍は0になってました。

当直医が来て死亡が確認されたのが2時15分でした。

そのあとはお葬式のためにばたばた。

深夜に亡くなられたので、まるまる3日のお葬式。
疲れました。


ずっと痛みに苦しんでいたので、痛くなくなっただけでもよかったかなと...。


嫁として、どこまでできたわかりませんが...。



お疲れ様でした。
安らかに安らかに眠ってください。