それまで、むすめに接する時、母の事情はだいたい置き去りでした。
子どもが最優先事項。
常時目が離せないし、子どもが泣けば、何をしてても、手を止めざるを得ない。
外出したくても、グズるとややこしい
この服着たいけど、おっぱい出しにくい
ゆっくりしたいけど、もっと寝たいけど…
「いま〇〇したい」と「~けど無理」または「むずかしい」が、つねにワンセット。
自分のことをやりたいと思ったら、すごくハードルが高いから、はなから諦めるようになり、しまいには、自分のこと忘れる…
「今〇〇したい」という心身の要求は、口に出されることもなく、
後でやろ…そして忘れる(放置)
そんなん言い出したら実現するの大変やからやめて~(逃げ)
もうええやん(無視)
言うてもしゃーない(あきらめさせる)
言ったらだめ、思うだけ無駄(否定)
とさんざんな扱いを受けて、からの、
「わがままは悪」の自動変換をやっていたことに気づく
これに気づいた時、はっ!!
としました。
すごく、じぶんでじぶんを粗末にしていた…。
だから自分の要求すらわからなくなるし、つかれるし、風邪ひくし、卑屈になるし、それに、子どもといてもおもしろくなかったんや
と気づきました。
確かに、ホンマの赤ちゃんのころは、
今お母さんおっぱいあげたくない気分やねん!は通用しなかった。必死すぎて、そんなん思う隙もなかった。
そして、ふしぎなことに、寝れなくても子ども最優先でもわりと平気というか、何とかなる、多分お母さんホルモンによる心身の変化により守られていたんだと思う。
しかし、徐々に産後ホルモンは薄くなってきて、そういう魔法も解けつつあり、
母も人間に戻ってきた。
それは、私の場合、生理再開から徐々に感じてた変化でした。
さらにもうむすめも、こちらの言うことも理解できるんだし、
そんな相手に、自分の気持ちを伝えないっていうのも、逆に失礼というか、なめてるなー。と思った。
もう、自分の気持ち、わがままを認めて、子どもに言ってもいいんだ~~


と思ったらうれしかった。
………
その流れで、おっぱいも卒業した。
「もう、お姉ちゃんになって赤ちゃんじゃなくなったし、充分飲んだからね。」
という子どもの成長面と、
「たくさん飲ませたから、もう満足したよ。そろそろ、お母さんも人間に戻るよ」
という母の覚悟と、両方の歯車が合って、時期を選べた感じで、とてもよかった。
わがまま思い出しのリハビリ、
娘にちゃんと気持ちを伝える練習、そして自我の激しい娘のわがままとのすり合わせを重ねながら、日々すごしてます。
お母さんは今コレがしたいねん!
だから、やらせてね。
だから、いっしょに行こう。
だから、ちょっと待ってね。
