お盆の時期になりました

 

皆さんはどのようにお過ごしでしょうか

 

Goto何とかで旅行中の方も

一足先に行って来た方も

近場で遊んでいる方も

行くとこ無いよの方も

 

みんなそれぞれご自分の生活を

楽しんでおられるのではないでしょうか

 

お盆と言えば

ご先祖様が帰って来るって言いますよね

これ ホントに帰ってくると思います?

 

これね

私は聴いてみたのですが

帰れる場合と帰れない場合があるのだそうですよ

 

霊的なものは 全て

降りてくる場合

依り代が必要なのですが

この依り代 人の形でなきゃダメなのかと

私はずーっと思っていたのですが

どうも それだけでなく 短冊のような

ヒラヒラしたものでも良いんですって

 

ヒラヒラした短冊のような長さのところに

降りるそうで

半紙などで短冊のような長さにして

そこに筆ペンとか 墨の色で

戒名を書いて

それを 決めた場所に飾って

その前に お供え物などをして

ロウソクを灯しながら

般若心経を唱えるなどするのだそうです

 

ちなみに仏教なら

戒名の後に 男の方なら〇〇信士

女の方なら〇〇信女

と書くのだそう

 

神道式なら

本名でその後に

男の方なら 〇〇大人命(うしのみこと)

女の方なら 〇〇刀自命(とじのみこと)

 

男か女か子供かも判らない場合は

判っている名前の後に命(みこと)

と書けばいいそうな

これで 

その人の霊を祀るという意味になるのだそうです

 

戒名も何もわからないという人も中にはおられますが

その場合は

神道式で良いそうです

神道は 全ての人のために

門戸が開かれていると聴きました

 

それでも

名前もフルではわからないとか

顔も戒名もわからない場合は

〇〇家先祖代々の霊

というのでも何とかなるんだそうです

 

ただ この場合は

ピンポイントでないため

その供養のエネルギーは大雑把で薄いものになる

そう教えて貰いました

 

ご先祖がおうちに帰って来られるのは

立派な仏壇が無くても

位牌がなくても

半紙に書いて依り代を作れば

帰ってこられるということなんですねぇ

 

そして

いろんな祝詞を知らない人は

最低限 般若心経を覚えておくと良いそうです

 

私が

”般若心経って

お寺だけで唱えるものではないの?”

と聴くと

神社でも唱えた歴史があるのだそうで

ちゃんと繋がっているので使って良いそうです

ただ 神社で唱える場合は

最初の言葉 「仏説~」 を外して唱えるとのこと

覚えておくと とても便利なもののようです

 

何かの資格が無くても

繋がるポイントさえ押さえておけば

ちゃんと供養は自分でも

お金が無くても 出かけることが出来ない人でも

行うことができるようです

 

私は

お盆の時期を外して

お墓参りに行くのですが

行かない人って いますよね?

 

お墓にはいないのだから

行っても仕方がないんだって言う人

 

あれね 違うと私は思っています

お墓には確かに誰もいないけれど

陰陽でみた時に 

現世での住まいは「陽宅」

あの世での住まいは「陰宅」

としてバランスを取るんですが

 

ここをないがしろにしてしまうと

バランスは崩れていくんですね

 

例えば

草は茂り

お墓にはツタや苔で汚れ

打ち捨てられていたとしますね

誰も行かなくなったお墓

もう子孫もいなくなる

そんなお墓は

墓じまいをした方がいいようですが

 

単に無精でほおっておかれているお墓

墓守をする人が何人もいるのに

誰も行かないお墓

 

この場合は

陰陽のバランスが大きく崩れて

家の家運が下がります

 

お墓参りは

近くに無い場合が多く

人々は生活や自分の都合が優先され

どうしても後回しになる

正直 ある意味

面倒くさい作業ですよね

 

では何故

そんな面倒くさい事が

何百年も人々の生活の中で

ずっと絶える事なく

受け継がれて繋げられてきたのか

 

それには

ちゃんと そのわけがあるんですよね

あんなに面倒なのに

続いてきた訳・・・ ・・・

 

面倒臭い事をやめてしまったら

後で のちに

もっと 面倒臭い事になるって

知っていたからなんですよね

 

私達のご先祖って

ずっとさかのぼると

何人になると 思います?

 

私 昔の話ですが

家の者達が

何やら巻物みたいなものを紐解いて

それが 物凄い強烈な長さだったのを

子どもの時にたまたま見かけて

驚いたことがありました

 

その時言われたのは

「お前が生まれるために

これだけの人々が

関わってきたのだぞ

それがお前の 命の値段と重さだ

よく 覚えておきなさい」

 

この出来事は

私の中で強烈なインパクトで

落ちていったのですが

それはそれは

万単位?の人数だったように思いました

いや もっとだったのかもしれません

皆さんも今までのご先祖を辿れば

大変な数になると思いますよ

 

人が一人

生まれて来るに必要な

時間 縁 あの世とこの世の理

先達のご先祖が

苦労して築き 守ってきたもの

 

普段は何も考えずに生活をしていても

この時期だけは

刷り込まれているかのように

いい加減に過ごせないのが

私の 毎年の居ずまい直しになっています

 

お話がちと ズレました

この お墓参り

家運が傾かぬように

私達は 覚えて

お墓参りをして お掃除をして 

清めてあげることが

大切だと思うのです

 

自分の住まいを掃除するように

あちらの住まいもお掃除する

とても 理屈に合っていると思います

 

お墓参りもおうちでの手合わせも

供養するということが

あの世で過ごすご先祖の

頑張るエネルギーになるのだとしたら

子孫の私達は

後押ししてあげなければなりませんよね

 

それが途絶えるから

ご先祖が

「墓参りに来てくれよ

掃除してくれよ

お花飾ってよ」

とお願いするんでしょうね

 

そのお願いが

なかなか通じないと

誰かに 何かの障りをすることで

お知らせにしているんでしょう

祟りではないのです

 

でも

打ち捨てられたお墓

そこの後継ぎの長男に

病気が出たり 事故が起きたり

段々と衰退して やがて

その家は 没落していく

 

とても解る気がします

 

お墓には普段はいないけれど

お墓は 繋がると

降りて来るおうちです

 

この時期

自分と繋がる大切な

家の縁

 

しみじみと

考えてみるのも

いいかもしれませんね