「自愛とは?♡」

というポップなタイトルに

してしまいましたけれども・・

 

さいしょにお伝えすると

今回のブログは読んでいて

すごく不思議な気分に

なるとおもいます🤣笑

 

それは

「意識・存在」

というものの本質について

ふれていく内容だからです❤︎


 

じつはここ数日のあいだに

サラのなかで

人生がまるっと変わるほどの

【意識の大変革】

が起きまして。笑

 

もう、これまで

自分がずーーーっと

探し求めていたものを

見つけてしまったのです!

 

単刀直入にいうと

「“自分”とは何か?」

それがついに

判明したのです!笑

 


今回はこういう感じの

ちょっぴり不思議な

お話をしていきますが・・

 

とくに

“自分を愛する”

“自分を大切にする”

がわからない

 

ここで迷っている方の

ぜったい役に立つはず!と思い

勇気をだしてかいてみます!!笑

 

image

 

まず、サラはずっと

疑問におもっていました

 

自分を愛するって

誰がだれを愛するの?

 

「愛する」というのは

「愛する人」という主体があって

「愛される人」という対象が

いるわけです

 

だから

「AがAを愛する」

この“Aがまったく同じ”

というのは成立できないのです


つまり

愛することと愛されることは

おなじ自分ではできません

(やってみたけど無理でした🤣)


 

そう考えたとき

もしかしたら

この「自分」が

2つあるのではないか?

ということに気づいたのです

 

その

「2つの自分」

というのが

「私」と「わたし」

です

 

「私」と「わたし」は

ちがうのです*



「私」は

いま目に見えている

身体や行動をしている者

 

もしサラがみなさんの前に

いたとしたら

その姿やしゃべっている様子や

笑ったり文字を書いたり

それが「私」です

 


そして

もうひとつの「わたし」は

目には見えません

無形の意識です

 


サラはずっと

感じていたのですが


たとえば人と話をするとき

「人前で現れている自分」と

「自分の中で感じている自分」が

なんかちがうなぁと😳

 

それは

取り繕っているというより


人前で現れる自分と

その奥でいつも

沈黙している自分がいる

 

その奥で沈黙している自分が

「わたし」です



「わたし」はどうがんばっても

人前に出てこれません

なぜならそれは

「意識」だからです

 

その「わたし」は

無色透明で

特徴をもたないのだけれども・・

あえてわかりやすく

表現するとすれば

“おばけ”みたいな感じかな・・?笑

 

でも、それはほんとうに

自分も、他人も

目にすることができない

「無形の存在」です

 

 

それでね

これまでは「自分」といえば

目に見えている「私」だと

おもっていました

 

鏡にうつる自分。

人から見えている自分。

身体、感情、思考

それが自分だと。

 

 

でも、ほんとうは

無形の意識である

「わたし」が

自分の主体だったのです*

 

 

ちょっと、ふしぎな感じが

してくるかとおもいます。笑



よく、マインドフルネスや瞑想を

している方は

聞いたことがあるかもしれませんが

 

「呼吸をコントロールせず

そのままに〜」


「思考や感情が浮かんできても

空にながれる雲のように

ただみつめて〜」

 

これは

「自分の身体(呼吸という動作)

・思考・感情」を

客観的に眺められる

べつの自分がいる

ということなのです💡

 

それが無形の意識の

「わたし」です*

 

 

ここで、さいしょの話に

もどるのですが・・

 

「自分を愛する」とは

 

「わたし」が「私」を

愛するということ

 


“無形の意識の「わたし」”が

客観的になって

“「私」の身体・感情・思考”を

愛してあげること*

 

 

そして

ここがポイントなのですが

わざわざ「愛そう!」

としなくても

 

そもそも

「わたし」の視点に

立てた時点で

それは“愛する”という

行為をしているのです^^!

 

 

なぜなら「わたし」は

ただの意識なので

行動ができません

 

ただ、沈黙して、静寂して

「在る・・・」とみつめること

しかできないのです

 

つまり

意識の「わたし」は

「私」を

“ありのままにすること”

以外になにも

できないのです^^

 


私の身体を

ありのままにする


私の感情を

ありのままにする


私の思考を

ありのままにする



それが愛することであり

受容であり

許可であり

ゆるしであり

包容です*

 

 

なにかをがんばって

愛そうとしなくても

ゆるそうとしなくても

 

「わたし」の視点にたてば

それらが自然に

できてしまいます⋈˖°

 

image

 

「わたし」は「私」を

生まれてからずっと

愛していました

 

なぜなら

「わたし」という意識なしに

「私」が存在することは

できないからです

 

ただ

「私」がその視点に

気づかなかっただけ

忘れてしまっていただけ

 

 

私がだれかに

愛されていると感じるとき


それは、だれかからの愛情を

直接感じているのではなく

 

その、だれかのおかげで

「わたし」の視点で

「私」を見れるようになったため


「わたし」ー「私」が繋がり

「私」が愛を感じるのです❤︎

 

逆にいうと

いくら他人のだれかから

愛されていようとも


「わたし」の視点に

立つことができなければ

「私」はぜんぜん

愛を感じることができません🥲

(蛙化現象などがそうですね)

 

 

「わたし」ー「私」


このポジションに立てば

いつだって

愛することができるし

愛されていると

感じることができるのです^^*

 

 

自愛とは

このポジションを

じぶんの中で

確立すること♡


ただ、それだけの

ことだったのです♪

 

image

 

ちなみに・・

「わたし」の視点は

無敵です!笑

 

なにせ「無形の意識」なので

ひとと比べようがないからです笑

 


「あの人きれいだな・・

それに比べて私は・・」

とおもっても

「わたし」は姿形がないので

そもそも容姿とかありません。笑

 

「あの人活躍しててすごいな・・

それに比べて私は・・」

とおもっても

「わたし」は姿形がないので

なにも表現することができません。笑

 

 

めちゃくちゃふしぎな

感覚になるかとおもいます🤣

 

 

そもそも

劣等感、無価値感は

目にみえている「私」が

すべてだとおもっているから

生まれるもの*

 

意識の「わたし」

という視点に立つと

その比較が一気に

意味をなさなくなるので


劣等感、無価値感が

スッと消えていきます!笑

(Aさん vs おばけ

のような感じ。笑

比較の次元がちがうのです)

 

 

 

最後に

「わたし」の視点に立つと

気づくことがあります


 

それは

「わたし」の意識は

「私」をふくめた世界全体を

見ているということ*

 

つまり「わたし」は

「私の世界を創る視点」

なのです❤︎

 

 

これについては

みなさんもっと興味があるかと

おもいますが。。笑

 

さらに長くなってしまうのと


サラ自身もうすこし考察して

わかりやすい言葉で

お話しできるようにしたいので

またタイミングが来たら

書きますね^^♩

 

 

 

今回のブログ

読む人によっては

「???」だったかも

しれませんが・・笑

 

サラにとって

この「2つの視点をもつこと」は

もう人生でこれ以上ないぐらい

ずっと欲しかったもの!!

だったので🤣笑

 

気分のアツいままに

大事なメモとして

シェアさせていただきました♡

 

 

こういう意識の話、

また好きな方がいれば

書いてみますね・・!😂

 

 

 

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みなさまいつも
ありがとうございます(*´꒳`*)♡♡