父が亡くなってまだひと月も経ってないけど。
いろいろやることがあって気が紛れてるかな。
たくさん病気をしたけどしっかり乗り越えてきたよね、みんなで「お父さんは不死身だね」って笑って。
孫たちから「じいじは100歳まで生きるから大丈夫だよ」なんて言われると「そんなことは無い!もうすぐお迎えが来るから」なんて真顔で言ってた。
病院の先生からは今のうちに行きたい所に行ったり、会いたい人に会っておいた方がいいと言われてから二年も元気に過ごせたのだからやはり凄い。
昔から自分の健康にはこだわりがあって、人が食べないようなものを食べたり?笑
いろんなものを混ぜ合わせて栄養をとるんだって言ってた。
麺類が好きで特にうどんが大好き。
自分で麺をうってこれが美味いんだって職人のように作ってたっけ。
子どもの頃はよくうどん粉をこねる手伝いしたな。
父の田舎(実家)に行くと大量の天ぷらと大量のうどんが出てきて夏場には冷や汁、これが最高に美味しかった。
近くを流れる川にはサワガニがいて小石をそーっとどけると隠れてる。
なんだか凄く懐かしい。
大人になると田舎にも行かなくなって思い出さなくなってたけど、お葬式ですごい久しぶりに父の兄弟やいとこに会って思い出話に花が咲いちゃった。
父はずっと子ども達の世話にはならない!
自分のことは自分でする!
が口癖で、でも本当にそれを実行してた。
最後は痛いのをきっと我慢してたんだと思う。
それでも限界があって私も姉妹も介護と言われるようなことを周りの人の手を借りながら頑張った。
私が一番近くにいたのでデイサービスに送り出したり、家の周りの散歩に付き合ったり、病院に連れて行ったり。
父はふとした時に私に「申し訳ないなぁ」って言ってた。
私はつっけんどんに「どういたしまして」と。
そんなに気にしなくていいのにって思ってたけど、
時々なんで私ばっかり!って心の中で思ってた。
ごめんね。
父が亡くなったと知らせがいくと近所の人が次々と会いに来てくれた。
父の顔を見て眠ってるみたいだね、とか穏やかな顔で…とか言われて、これで良かったんだなって思った。
父が動けなくなってきて姉妹で話し合って施設入所も考えだした頃、父が涙を流して「最期は家で」と
両手を合わせて私に。
そんなことがあって、父の顔を見てたら本当に最期を家でみんなが見守る中で迎えられて良かったと思う。
本当に穏やかで笑ってるみたいな顔で。
ありがとうゆっくりしてねと伝えた。
そして…
整理してた時、父のお財布の中から白黒の小さな写真が二枚出てきた。
私が幼稚園に入る前に亡くなった母の写真だった。
父はずっと大切にしまっていたのだ。
それを見たとたん号泣。
私が小さな頃に母が亡くなってしまったので後になって親戚の人とかから聞いた話だけど、父と母は大恋愛の末の結婚だったらしい…しかも母方からの大反対を押し切っての…。
そんなこと父の口から一度も聞いたことがなかったけど“あっこ”と呼んでたことは何気なく知ってた。
二枚の写真を見て、大事にしまってたんだな…って思ったら泣けた。
その写真を眠っている父の顔の両脇にそっと入れた。
きっと空の上で何十年ぶりに会ってたっくさん話をしてるだろうな。
お父さんありがとう。
ひどいこともいっぱい言っちゃったけどごめんね!
みんなのこと見守っててね!
ありがとうー☺️✨
感謝🙏