皆さま こんにちは。
玲月彩良(れいげつ・さら)です。
一週間の始まりの月曜日なのにどんより曇り空
昨晩からの大雨は少しやんできましたね。
昨日は雨が降る前にギリギリセーフで春のバラを見に調布の神代植物園に行ってきました。
こちらでは今の時期は「春のバラフェスタ」が開催されていて多様多種のバラを楽しむことができます。
ただ、少し見頃を過ぎた感じのバラもあって、先週の方が見頃だったかもしれません。
こちらはバラだけでなく、季節ごとに咲く花を楽しめます
植物園の中にあるバラ園のバラは、名札があるバラと番号だけのバラがありました。
番号だけのバラは、品種改良された申請中の新しいバラだそうです。
二年かけて審査をされて、通ったら名前が付けられてバラとしてのデビューになるそうです。
バラといっても、本当にたくさんの種類があって、一目見ただけではバラと分からないようなバラもありました。
品種改良されたバラは、それぞれ個性的で魅力的でした。
でも、私の個人的な感覚ではあまりバラの範囲を広げ過ぎないシンプルなバラのほうが崇高なバラのイメージそのものの存在感があって好きです
たくさんのバラを見ながら、「中庸が美しい」とされる東洋思想の陰陽論を思い出しました。
陰陽論とは、「すべての物事や事象は陰陽という相反する二つの気に分類される。」という考え方です。
陰陽論では、陰と陽とは相反するものですが、同時に繋がっているものでもあり、お互いに相手の存在がないと自分も存在できないとされています。
「陰極まりて陽となる」という言葉は、「陰も行き過ぎると逆の陽に変化する」という意味です。
すべてのことは、一時的に大きく陰陽どちらかに偏ることがあっても、それは一時的で長くは続きません。
陰の次には陽があり、陽の次には陰が必ず待っています。
大きな陰の後には大きな陽。
小さな陰の後には小さな陽。
人の一生に巡り合える吉凶の量はその人によって決まっているとされます。
大きく一度に受け取るか。小さく小出しに受け取るかの差があるだけです。
大きく品種改良されたバラが似合う人もいれば、バラらしさをのこした新種が似合う人もいます。
バラばバラである限り、どちらのバラが美しいと感じるかは正解はなく、人それぞれの感性になります。
バラらしいバラが好きな私はきっと、小さな陰陽を繰り返しながら生きていく人なのでしょう
つい、華やかで大ぶりなバラに目がいきがちですが、小ぶりには小ぶりの魅力があります
自分が好きなバラを大切に育てていく私でいたいものですね