今日はパソコンからブログを書きます。

 

診察でこのような話をしたことがあります。

 

 

今のあんたに(私)病名をつけるとしたら?

 

 

なんだと思います?

答え↓

 

 

病名なし

 

 

です。

でも、あえて、無理やりつけるなら、

「境界性パーソナリティー障害」ですって。

まあ、理解できる。根は(元々は)境界性パーソナリティー障害だからな。

 

でも、今の私にはもう病名はない。

このような話をして家に帰って考えてみれば

涙があふれてきましたんです。

 

私の苦労、病気を背負って生きてきた人生。

境界性パーソナリティー障害という病名をもらって19年。

特に病気だと自分で理解し認識し生き辛さを改善したくて

病気と向き合ってきた25才からの10年間は本当に大変で、

でも、自分でも死ねないから生きる、どうせ生きるなら、

楽に生きたいと思いながら模索してきた10年。

 

そして、

このような話もしました。

 

「境界性パーソナリティー障害ではない。かといって、

境界性パーソナリティー障害っぽいとかでもない。

もうあんたに病名はない」

 

 

私が読者にならせてもらってる方、acoさん。

この方も境界性パーソナリティー障害だった人です。

acoさんのブログにこのような言葉をよく目にします。

 

「境界性パーソナリティー障害気質(ボーダー気質)」

 

まさにこの「病名はないけど、あえて無理やり付けるならボーダー」

と思いましたんです。たぶんacoさんはボーダーを回復してるんだろうね。

(通院は不明だけど)でも回復したとはいえ、元々は境界性パーソナリティー障害で、

その気質はある。そういう意味でも、境界性パーソナリティー障害には

「完治」はなく「寛解」という言葉を使うんだろうね。

 

 

で、主治医さま。

 

 

 

私の治療はいつ終わるんだい???

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