寒いです。



月曜日なのに寒い上に雨でした(´・_・`)

子をウィンタープログラムに連れて行き、暇な四時間を近くのスタバで
ひっったすら
まったり。

最近始めてハマった例のお絵描きホビーを
ここぞと堪能してきた。
書き溜めてますぞ。





元々ピアニストだった事や、無類の活字好きが関係するのかしないのか分かりませんが
やっぱり自分は表現者なのかなと
なんとな~く納得したこの一週間あまり。黙々と自分の思い描く世界をつくる行為が何より好きです。


センスあるかどうかは別としてね(´・_・`)

適職、あるいは天職ってなんだろうと
誰もが一度は考えたことがあるかと思います。

自分にできる事、したい事は何?と。

難しいもので、好きで得意な事があっても職として見つからない場合もあれば
向いてる!と言われるけれども自身のパッションがそこになかったりする。

中々需要と供給っていうの?
それが合わないフラストレーション。

さて私個人の話に勝手に戻ってみますが
パソコンが壊れて表現者にある意味戻ったことで情報過多から抜け出したようで。

元々ね、速読ができるのです。
そんで持っておそらく周りからしたら気持ち悪いくらいのマルチタスカーだったのだけど、じゃあそれが良いかってったら
色んな事を処理し過ぎて本来の自分を見失いかけていた事に気づいたトゥデイ。

それでスタバでほげっとしながらふと思いついたのが、英語で天職ってさ
Calling
というのね。

前海外ドラマで面白かったのに予算の関係で急遽打ち切られたトゥルコーリングの、コーリング。

何が面白いかって

コーリングな訳よ。
呼ばれてるんですね。
職に。

いくら自らが追い求めても、結局何かしらのバイアスが入ってしまう。
オアシスだ!見える!と必死で信じてたどり着いても蜃気楼だった、的な。

情報が溢れ、知識も豊富になるからこそ、見たものに対し必要以上に確信を抱いてしまいがちなのかもしれません。

それが文字や言葉なら尚更カオスに陥るかなと。


スマホで書いてるとまとまりがなくなる
( ゚д゚)

まぁようするに
呼ばれろ

ってことですね(・ω・)ノ

さてどうしたら呼ばれるのか。
呼ばれて気づくにはどうしたらいいのか。


まずはやはりパッションがどこにあるかだと思う。
分野、状況問わず、迷わず自分の情熱がどこに向けられているか答えられるかどうか。

あとはキュリオシティ。
好奇心。
1から100程度ではなくて、1000、10000まで知りたい!という思考を持つとか。

日常に目新しさを求めればよい気がします。
天職を見つけよう!の求めるではなく
何か昨日とは違う事をしてみよう、見つけて見よう、の姿勢でいればプレッシャーも少ないような。

それでこれだ!と思う分野での職がなければ、開拓すればいい。
それを可能とする道具は溢れている世の中だし!と
自己完結をした。

眠いしまとまらないので要約すると…

景色をみろ!
違いを感じろ!
五感で楽しめ!

の、三本だてです。


またみてくださいね!
はい、
じゃん
けん
ぽん!

ぐふふふふ♪

Zzz....