奈良の今の桜井市の談山神社を登っていくと鎌足の墓があった。
私には、ここでお能に開眼して、
芸の奉納の意味を体感。
日本って、すごいな~って。
世阿弥の時代、芸の奉納という習慣があって、
誰かに頼まれて、舞を奉納してた。
能楽師の始まりは農作業などをしてて、
お祭りっていうのが、あるでしょ。
ああいうイベント、行事で芸能がうまい人、集団といのが、
出て来たり、座ができたりした。
世阿弥の父は、伊賀から、やまと(奈良県)の結崎におりてきて、
座を開いたといわれてる。
そして、世阿弥は、父の観阿弥のおかげで
京の都で貴族たち、知識人の中で大きくなった。
これは、室町のお話ね。
話しを鎌足に戻して、
鎌足なくして、藤原氏はない。
そして、奈良公園にある春日大社は、藤原氏の神社になるのは、
もっと後の時代。鎌足は、やまとの豪族とかの出身ではないと思われる。
なのに、お墓があった。。。
やまとには、聖徳太子より前の時代から、
色んな豪族がいた。
大伴氏もそうだし、
葛城とか
つまり、空いてる領地はない。
談山神社のあたりは、お山です。
あのあたりに、中大兄皇子と中臣鎌足が出会ったと言われる場所がある。
皇子は、天皇の皇子だから好き勝手に動いていたでしょう。
百済のお師匠さんがいたとか。
あの二人は、意気投合したのか、
そのあと、大化の改新というのをする。
弟ののちの天武天皇、大海人皇子もいた。
ただ、天智天皇(中大兄)は、近江の都がさいご。
滋賀県と奈良県は、近いけど、遠い。
鎌足は、功績をたたえられ、領地は摂津に与えられてた、とか。
ここには、書いてないけど、
今、鎌足の墓は、桜井、談山神社にあるけど、
はじめは摂津に墓を作られた、と。
しかし、死後、
鎌足の長子、この謎の息子が、定恵 - Wikipediaが
中国にいる最中に夢に出てきて、
やまとに帰りたいと出てきて。
息子は、夢をみて、鎌足の死を知って、
かえってきて、墓をここやまとにうつした。
と、これは、どこかに書いてたのか、聞いたのか、
私の中では有名な話なんだけどーー
この長男、なぜか、仏教の僧になってる。
蘇我氏=仏教で、蘇我氏を滅ぼそうとしたのが、
鎌足と中大兄皇子だったではない?
この鎌足の息子が仏教の僧になってることは、謎とされているけど、
事実だ。
明日香でなくなったとされてるらしいが。
明日香は、わかる。
ただ、仏教の初の擁護者、蘇我氏でも出家者をまだ出してなかったのに、
蘇我氏の敵が出家。。
なぞだらけだよ、鎌足。
中大兄皇子は、あんまり謎に思わない。
まー、なんとなく、弟と言われてる大海人皇子も実は、兄だという説あるけど、
周りに、すごい天才がいた、皇子だった。
あまりやまとの人には好かれてないから、難波や近江に行った。
お母さんに、二回も天皇になってもらって、自分はなかなか天皇にならなかった。
人気がいまいちないからでしょ。
大海人皇子には、ついてた豪族や知識人がいた。
鎌足は、謎です。
大海人皇子も謎。
そう、そして、あの日、お墓があるとは知らず、
なぜか呼ばれるようにお山を登ったら、
誰かはしらないけどーーお墓があった。
そして、鎌足の墓だった。
びっくりした。知らなかったから。それが衝撃だったから、
図書館で色々調べたら、☝に書いたことなどがわかった。
場所は、お墓はよぶ。
よぶんだよねー
場所に、なんていうか、
神さまもそうだけど。
ほら、おいで、って感じで。
京都でこわいめにどれだけあってるか。
この世はねえ、みえる人間だけの住処ではないです。