或る夏の記憶(10)
青天の、霹靂。
空を憎み、大地を叩き、運命を呪い、激しく慟哭する。
――― 誰のせいでもない。
やりきれない思いをぶつけるように、アキヒトが踏みしめた石ころが涙と共に宙に舞った。
溢れる涙が小さな水溜りを作るまで。
そうして惨めな自分も悲しみの澱もその中に沈めてしまえばいい。
涙は枯れ果てることなく、泉の如くコンコンと湧き出す。
長い睫の奥の眼差しも、無骨な腕も、温かな胸も、私を包んでいたもの全てを閉じ込めてしまえばいい。
力なく地べたに身を投げる。
空に漂う雲がゆったりと形を変えてゆく。
静寂を切り裂くように一斉に蝉が鳴きだした。
『次に・・・』
蝉の音は絶え間なく続き、短い命を燃やし尽くすがごとく必死に羽を擦り合わせる。
例えばそれが悲しい結末を迎えようとも、地中から這い出てみた世界はどんなに素晴らしい所かと言わんばかりに。
何のために生きるのか。
『次に・・・』
砂利の上に横たわったまま耳をすました。
『次に生まれ変わったら・・・』
秋の気配を纏った風が頬を拭った。
『次に生まれ変わったら必ず・・・』
生きるために生きよと。
『次に生まれ変わったら必ず更をみつける』
確かにアキヒトは私を愛してくれていたのだ。
「アキヒトさん、何もしてあげられなくってごめんなさい」
「まだ私、何も・・・もっともっとこれからたくさんの・・・・」
石ころをひとつ胸に抱く。
そして天を仰いだ。
涙が零れてしまわないように。
もう泣くのはよそう。
この世界を生きよう。
「アキヒトさん、どうぞ幸せに。貴方を愛する女性と、生まれてくる命と共に」
「―― 生きて!!」
ヤっちゃん、私は十分自分の気持ちに正直だったと思う。アキヒトさんと出会って恋をしたんですもの。このまま「恋」という尊い感情を知らずに過ごす人生よりも、きっとずっとこのほうがいいに決まってるでしょう。だからもう泣かないわ。
私はこの地で誰かを愛し子供を授かり命を綿々と繋いでいくの。
そうすればどこかでまたアキヒトさんに出会える。そう思うとなんだかうれしいの。いつか私の思いを継ぐ娘がアキヒトさんの思いを継ぐ男性と結ばれる。
この広い空の下で知らずして運命を手繰りよせた者同士が出会い、恋をする。
経済の高度成長が止まらない日本。
時代に押され日本は益々突き進んで出会いの形は今の私には想像もつかないものになっているでしょう。
だけどそんな時代に生きる私の思いを継いだ娘に、過去から、この場所からエールを送るわ。
あなたが愛した人はきっと
自分が思っているよりずっと
あなたを想い大事にしてくれる。
なぜなら遠い時代にした約束を果たすために。
――――
「遠い時代の約束・・・・あれ?」
いつのまにラウンジのテーブルに突っ伏していたのか、辺りを見渡すが、そこにいたはずのご婦人の姿がない。
目尻に溜まっていた涙を拭う。
窓の外の夕焼けが今にも闇に呑みこまれそうだ。
慌てて廊下に出て通りかかった看護師さんに訊ねた。
「すみません、さっきまでここにいた初老のご婦人を知りませんか?」
「はぁ?初老の・・・ご婦人ですか?」
キョトンとした表情を浮かばせる看護師さんに再び詰め寄る。
「小松さんです。小松更さん!!」
怪訝な表情を浮かべながら「このフロアにはそういったお名前の患者さんはいらっしゃらないと思いますが」という看護師さんに
「いや、今までずっとラウンジにい・・・」
依然、看護師さんの表情が変わらずあたしは言葉を呑み込み「すみません」と言って病室を回り始めた。
病室前に掲げられたネームプレートを小さく口にしながら廻るもののその名は見つからない。
「そんな・・・うそ・・・だって今まで・・・」
そんな話、信じられるはずはない。
実際にご婦人の話をついさっきまで・・・。
あたしは一体誰と・・・。
もっと訊きたいことがあった。
それで小松更さんは、幸せでしたか?
生涯、幸せに暮らしたんですよねっ!!!
きっとアマネによく似たアマタさんが更さんの全てを受け入れてくれて
幸せ・・・・だったに違いない。
どんな形にせよ、ご婦人のふくよかな笑顔は幸福な人生が滲み出ていたではないか。
アキヒトさんと出会って恋を知り、鈍い痛みを、やりきれない悲しみを生きる糧に変え、圧倒的に生き抜いた見事な人生だったに違いない!!
あたしが結婚していることを知り、涙を浮かべていた・・・。
ふと、ロマンスの時代背景と自分の年齢を逆算して胸が苦しくなる。
その数年後のどこかであたしが生まれた・・・・事実。
フロアを一周回ってラウンジに戻ってみたが、やっぱり小松更さんの姿はなかった。
これ以上、詮索するのはよそう。
ここが病院だからか、昨夜眠れなかったせいで人知に及ばない幻影をみたのかもしれない。
何の因果か説明のしようのないこともある。
と、諦めた瞬間
「サラ」
アキトだ!!
エレベーターを降りあたしの方へ向かってくるアキトに今しがたの出来事を話そうと近づくと、背後から
「ア キ ヒ ト さ ん」
更 さ ん ・・・?
ご婦人の、さっきまで自身のロマンスを語らっていた小松更さんの声を聞いたあたしはもう一度ラウンジを確かめようとして・・・
やっぱりそれはやめた。
「どうした?泣いてるのか?」
逢えたんですね。
ここでアキヒトさんを待っていたんですね。
「ねえアキト、あたしをみつけてくれてありがとう」
- 完 -
明日のあとがきでピグ恋へのUPを卒業します。