*一部抽象的で分かりづらい内容です。

 

母が棺に入れてほしい、といった物を入れることができたのはほっとした。

 

母からは、写真1枚のみ、を言われていたけれど、

母の物を整理していたら、

それ関係の物は他にもいくつか出てきて、

 

これらは私の手元に置く物ではないし、

処分も、、、なので、

一通りまとめて、棺に入れた。

 

この写真の人に連絡を取ろうか、、とは一瞬考えたが、

相手の迷惑になったら申し訳ないし。

多分、この携帯番号でつながるとは思うのだが。。

今更なところもあるかなあ。。

 

母からの話しか聞いていないから、

正直なところ、真相は、、違うかもしれないし。。

 

後から出てきた物もを一式棺に入れて、

母とともにしがらみのない自由なお空に昇っていければ。

 

とりあえず、これでやることはやれた、という感じになった。

 

母の人生のすべてを知る由はないのだが、、

私が子供のころ、

母が良く言っていたのは、、

見合い話が来て、それに応じて、私の父親と結婚して、、

その紹介してきた人の悪口とか言ってたなあ。

あなたの父親と結婚しなきゃよかった、とか言われてもねえ。。

子どもながらに、「じゃあ、なぜ父親と一緒にいるんだろう」と疑問だったが。

お金が理由?とか思ってみても、「生活費ロクにもらっていない」と言ってたよな。

 

その後、母はあの一件があって、もう人生は終わったようなのかもしれないな、、。

それでそっとしておけばよかったのかな。。。

 

でも、私が家に呼び寄せてしまった。

そっとしておいた方がよかったのかな??

でも、、家に来たから孫たちと暮らせたわけだし、、。

一人よりは、、その方が母によっても良かったとは思う。。

 

母は自分の言葉を言わない。

たとえば、「孫たちと生活できてうれしい」という言葉は言わない(実際どう感じていたかは置いといて)

「知り合いから、娘さんやお孫さんたちと暮らせて幸せよー、と言われた」

という言葉を言う。

だから、母は孫と一緒にいれて幸せなんだろうな、と思ってみたけど、

振り返ると、母の言葉として聞いたことが無い。。。

 

 

うちに呼んだことで、

結局は、夫の身内のサポートで、予想外にきちんと式などを行って複数の人達が集まり、

見送ることができた。

でもこれって、夫や義父母、私のつながりで、、

きちんと葬式できたことで、私の自己満足になっている感じもある。

 

 

あとは、、うーん、書いてもキリがないほど、

今の私が客観的に見ても、どうも矛盾を感じるところがある。。

まあ、考えても仕方ないな。

 

ここ数年、ネットの漫画で毒親系の漫画をいくつか読んでいて、

母の方がマシだなあとか、母と同じだなあ、とかいろいろケースがあって、

最期の約17年、母を我が家に呼んで、暮らして、看取ったのだから、

私自身は十分やったよなあ、、と思う。

 

そのため、

このブログのタイトル、「母とのわだかまり」は、

母が亡くなったところで消えるわけではない。

わだかまりは残ったままだ。

 

 

母と子、というよりは、

一人の人間として、私は母に頼まれていた最後のことを達成できてほっとした。

 

 

子どもの頃の記憶、、、

何かで、「自分の母が死んだら?」と考えたときに、

とても恐ろしく、とても生きていけないような感覚になったこともあったのに、

そのころの私の感覚は消えてしまったのか、いまだに出てきていないだけなのか。

 

と、書いて、今、思い出した、

ある時に、「私は一人で生きていこう」と強く決心したときから、

母は母でなく、一人の人間になった感じではある。

 

数日前に、子どものころ暮らした土地へ行ったのだが、

そこで、母との思い出がよみがえって悲しくなったりするのかなーとか思ったのだけど、

全くそのようなことは無く、

 

むしろ、あのときのしんどかった子どもの頃の私がよみがえってきて、

当時の私が大好きだった風景を、今の私が眺めながら、

「この風景にどれだけ慰められてきたか」と思っては、

あてどなく、風景に対して感謝の気持ちが湧いてきた。

50年近く前と変わらない風景だった。

 

そして、今回は、本当に周囲の人たちのお世話になった。

この先は、私も何かあったら、率先して人に手を差し伸べられるような人間になりたい、

と強く思った。