2023年3月末にすい臓がんが判明した実母の記録です。

私は中学生・高校生の二人姉妹の母。

実母は、私が長女を出産する前から、同居していました。

私と夫が買ったマンションに、実母が住む形です。

 

実母とは、いろいろわだかまりがあり、、。

独身時代は母から離れて私は暮らしていました。

しかし、離婚した母も年を取り、仕事もままならない状況で暮らしが厳しくなり、

(家賃は私がずっと払っていましたが)

一人っ子の私が、義父母や夫の後押して、母をうちに呼びました。

 

けれど、そもそも一緒にいるのがしんどくて私は家を出てたんですよね。。

年を取れば解決するかな、なんて思っていましたが、甘かったです。

正直、何度も、同居したことを後悔したことか。

潔癖症な実母は、私たちの家にいることで、ストレスをためがちで。

 

そんな矢先、母がすい臓がん末期であることが分かりました。

そこからはあっという間でした。

 

わだかまりありながら、同居で実母の癌、、

私の気持ちの整理や、備忘録を兼ねてブログを書いています。

 

追記:その後、義父母の介護関係をブログに書いています。

 

今回ガン闘病ブログをいろいろ読みました。

とても参考になりました。

 

そして、以下に母の癌の経緯をまとめました。

ブログでもう少し詳しく書いてはいますが、

誰かの参考になればと思います。

 


概要

2023年3月初め 

背中やみぞおち辺りが時々強く痛むと訴える。

3月下旬

痛みが治まらないため、定期的に通っている消化器内科クリニックへ受診。さらに検査

検査結果、膵臓がん・肝臓転移ありと診断

4月上旬

大学病院へ検査入院。膵頭部癌、多発性癌転移、十二指腸浸潤と判明。手術不可。完治もほぼ難しい。

4月半ば

穏やかな期間を延ばせるかもしれない、と、ゲムシタビン+アブラキサンで抗がん剤治療開始。最初の三投まえは治療入院。

5月初め

退院。今後は外来で抗がん剤治療予定。ほぼ部屋で横になっているが少しずつ食欲や体力が回復してきた感じ

副作用、吐き気はないが、味覚障害と抜け毛。

5月半ば

体力が復活せず、外来では車いす使用。貧血状態のため輸血。ゲムアブ2クール目中止

5月下旬~6月上旬

体力がほぼ復活し、自力で歩けるように。ゲムアブ2クール目再開

ゲムアブ 2クール目2回目投与

このころから手先などにしびれを感じだす。

6月半ば

ゲムアブ 3クール目開始予定だったが炎症値CRP10越えで中止。

何らかの感染か間質性肺炎を疑い、急遽CTを撮る

CTの結果、肺が全体的にうっすら白い。間質性肺炎の疑いで検査入院。気管支鏡検査。

気管支鏡検査 の結果、おそらくゲムシタビンが原因の可能性。

代替えでS-1の話が出る

6月末

肝臓の数値が急激に上がる。

CTにより、膵臓がんが大きくなり、胆管を圧迫しているとのこと。

金属ステント導入する方向に

さらにS-1以外でリポソーマルイリノテカン・5FU/LV療法?の話も出る。

7月初め

ステント導入のため入院⇒胆管ステント導入

ペインコントロールで、トラムセット処方

S-1決定⇒だが、肝臓の炎症値が上がり、CT。

癌が大きくなり、十二指腸を圧迫している可能性。十二指腸ステント導入

7月中旬

オキシコドン導入

ステント導入後の食事を進めるリハビリ。

一旦炎症値は下がったものの、肝臓の炎症値に上昇がみられる。

介護申請

7月下旬

約三週間入院の末、退院。とんぷくとしてオキノーム処方追加

食欲はあるが胃が張ってあまり食べられない。少々黄疸あり。熱は無し。

自力で立ち上がれない。一旦立ち上がれれば自分でトイレはできる。
次回8月頭の外来まで家で療養。介護申請、主治医に意見書届いた模様

先行して、ケアマネさん担当がつき、介護ベッドや手すりレンタル。

ヘルパー契約。早速入浴介助。

8月頭

最後の通院。長い距離は立てないので車イスレンタル。

ホスピスも決めて、病院からホスピスに連絡行く予定(だったが、母が亡くなった後に連絡が来た。。)

私がホスピスなどの話を別部屋で聞いている間に、

母の酸素濃度が低いと病院で騒ぎ、いつのまにレントゲンまで取っていた。。肺に少し水がある模様。

だからといって、何か対処するわけではなく、そんなこんなのうちに濃度が戻ったので家に帰らされた。

なんだったんだ、あの数時間。。

(この話を訪問医さんに話したら、ただでさえ体力落ちているのに、そこまでしなくても、、と。

訪問医さんは初見で母の肺に水があるのを見抜いた)

 

訪問医、訪問看護師さん契約。

週2回訪問医が来ることに。

看護師さんは毎日。(途中から1日2回)

 

8月最初の週末

日に日にできることが減っていく。

トイレに行きたがるが、1回いくだけで大変な労力のため紙おむつ。

痛みも日に日に強まる、オキシコドン増量したが、飲むのが大変で、ナルサスに変更。

約24時間、ひどいせん妄・幻覚(お迎え体験も混じっていた?)でわめき続け、そこで一気に弱る。

ここから自力でトイレに行けなくなる。

訪問入浴利用。

 

8月6日

それまで、4分の1~3分の1は食事できていたが、ほとんど食べれなくなる。

一気に弱まるため、血液検査。肝臓の数値が良くない。ビリルビンの値が高い。黄疸も強くなる。

8月7日

死を意識した発言がちらほら。。果物数口。氷をほしがる。

背中を痛がることが増えた。癌によるものなのかどうか。

ほとんど寝ている。

8月8日

少し痛みが落ち着いた感じ。

この日までは自力で吸い飲みで水が飲めていた。

腕の力はあるので、腕の運動を自分でしたりもできてた。

8月9日

眼がうつろになる。咳が出てくる。

身の置き所のないしんどさが強い模様で、ブロマゼパム処方。

氷をさらにほしがる。

バナナは少しだけ食べれた。

8月10日

飲むことがむずかしくなったので、飲み薬ではなくフェントステープに切り替え。

今思うと、この切り替えはスムーズではなく、痛みを感じる時間ができてしまった。。

夜遅くに強い腹痛?坐薬でなんとか落ち着く。

8月11日

朝から38度越えの熱。ここまでの熱は帰宅後初めて。

午前はスポンジで水分補給、自分で吸おうとできるが、意識がもうろう。

お昼くらいからスポンジも吸わなくなって、息が荒くなる。

夕方ごろから下顎呼吸。訪問医さんが来て、家族にもう数時間だろう、と説明。

20時半ごろ永眠。