それは、私が中学二年生、いわゆる中2のときのことじゃった…
私はその頃既に、ものづくりが好きな、いわゆる創作系女子だった…
故に、選択授業は美術を取っておったそうな…
当時の美術の教諭(佐藤氏)は、美術が専門なのかと思いきや、柔道部の顧問をしておって、一応美術部の顧問も担当じゃったが、殆ど顔を出すことはなく、美術部員は野放し状態じゃった…
言わずもがな、私も美術部員じゃった…
プロ野球のナイター中継(6時から)を見たいがために、6時半まである部活を、5時50分で切り上げて誰よりも早く帰宅しておったそうな…
懐かしい…
佐藤氏は、美術部に積極性を持たないだけにとどまらず、美術の授業中も美術準備室に引き籠り、自身の作品(趣味)を存分に楽しんでおった…
ある日、私は創作系女子の名のもとに、佐藤氏のいる準備室に、果敢に突入を試みた…
他の生徒が同じことをして、注意されておったのを見て、私ならいけるんじゃね、と自惚れたわけでござる…
根拠の無い自信
さあ、準備室突入、対して佐藤氏の反応は…
普通に入れてくれた、全然怒られなかったでござる…
以後味をしめた私は、美術室のあらゆる備品を私物の如く使用出来るようになったのじゃった…
佐藤氏も、私の美術への愛を認め(佐藤氏は私が野球見たさに部活早く終わらせてるの知らなかったからね)、私の制作に超絶協力的じゃった…
私はこの頃から女子力を捨て、完全なる創作系女子へと変貌するべく、マスカラを彫刻刀に持ち替え、某世界的ネズミキャラクターグッズを木工用ボンドへ変換した…
周囲がささやかに引いていくなか、私は新たに手にした彫刻刀で、楽しげに角材を彫っておったそうな…
が、
調子乗っとった私に、ついに天罰が下ったのじゃ…
サクっ
気がつけば右手に彫刻刀、左手親指に刺さるのは同じく彫刻刀…
つまり自分の指、彫刻しちまったのじゃ…
私、頭、真っ白
即病院(徒歩)
縫合(6針)
後日、佐藤氏に「下手くそ」と爆笑されたそうな…
でも備品は変わらず使わせてくれたそうな…
電動ヤスリで角材やすって、一緒に指の皮と爪も持って行かれても、「下手くそ」と佐藤氏は笑っておった…
未だに左手親指には痛々しい傷跡が残っておるが、これはものづくりに携わる者として、常に道具への敬意と緊張を持って作業にあたりなさい、という良い戒めになった…
佐藤氏もうちょい心配してくれても良かったんじゃないかな
くそ彼氏が電気工事の授業で暴れるナイフを抑えられずに、左手人差し指を抉ったという知らせを聞いて、懐かしき私の傷を見返したのじゃった…
つまりオチなし
めでたし
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