ビリー・ジョエル

東京ドーム公演に行って来ました~!

 

ちなみに席は「1塁側2階17列」

もうね、ボウルの縁に近い方ですよ。

物凄く上の方です。

下界を見下ろすだけでクラクラする。

これでもS席、24000円って。

どうせ良い席なんか当たらないから、

安いA席を第一希望としたんですが、

なぜか外れて、

高い第2希望の方になってしまったんですねぇ。

(その安い席、ブロック丸ごと空席になっていたので、

人数調整したんでしょう。

でもネットを見ると、チケット取れなかった、

という人もいるのが謎)

 

「ONE NIGHT ONLY IN JAPAN」

この日だけ。

 

16年前のドーム公演は2日間で、

私は2日とも行ったけど、

当時と今と、いい意味でビリーは変わりませんね。

スクリーンで見ると異様に変化がない。

 

「第九」の旋律がいつしか「マイ・ライフ」

に変わってスタート。

 

「ヒサシブリデスネ」

メタボいや貫禄ある体型も、つるつるっとした頭も、

2006年のままに見える。

 

声は少し苦しそうな瞬間もあったけど、

後半へ行くほど尻上がりに調子が上がってる。

時折アホなパフォーマンスを入れつつ、

お得意の「桜、桜…」を弾きながら次の曲へつなげたり、

生真面目にお辞儀をしたり、

片言の日本語を話したり。

近所の親日家おじさんか。

と思える、身近な感じ。

 

巨大ドームの皆一人ひとり、遠さを感じなかったのでは?

 

柳家小三治師匠が、大ホールにいながらにして、

縁側で向かい合って話をするような錯覚を、

起こさせたように。

 

前回の公演では、「ザンジバル」がかっこ良くて痺れた。

今回は、「もう高い声出ないんだよねー」(多分)

みたいな前振りをしておいて、

「イノセント・マン」

いやこの曲、高く伸ばす部分があるけど大丈夫?

観衆皆、お祖父ちゃん思いの孫みたいに心配させておいて、

高々と聴かせてくれる。

圧巻だ。

 

生で、今日来た私達のために聴かせるって、

声プラス「何か」が流れ込んでくる事なんだ。

これだけはその場にいないと、感じられない。

 

「オネスティ」はやはり日本人に響くものがある。

「アレンタウン」「ストレンジャー」

も反応がいい。

 

個人的には何と言っても、

New York State of Mind

 

「ニューヨークの想い」

 

 

中学の時、家の都合で生まれ育った東京を離れ、

十代は地方の暮らしが馴染めなくて辛かった。

親とバトルしながら、

東京へ戻るぞ、戻るぞ、と何度誓ったか知れない。

そんな時、じっと聴き入っていた。

     

「ギブアンドテイクの街の暮らしが必要なんだ」

とグレイハウンド・バスに乗り込んで、

NYへ戻る。

同じだ。

励まされた。

 

16年前も同じドームで聴かせてもらえて感激した。

今も泣きそうになっている。

思えば、真っ暗なあの十代に夢見たことは、

それなりに叶えた。

でもこの年になってみると、

叶えられなかった事もあるし、変な所に着地している。

 

それでも、今ここでこの曲を聴いている。

本当はニューヨークで聴いてみたかったけど。

しんどくても、自分の望む土地にたった一人戻り、

手探りで下手くそに生きていて、

良かったね。

            ビルビルビル

高校時代。

「好きな曲を書きなさい」

(え、国語の時間でそれですか?)

教室で、それぞれ書かされた。

   「ビリー・ジョエル

    ニューヨークの想い」

と書いて出した。気恥しかったけど、

   「この曲のように私もこの街を出たいです」と。

そんな国語教師は、ジャズを聴いて自分を鼓舞しながら、

難病と闘った人だった。

今も文学講義をされるM先生、

つるつるの頭と剽軽な雰囲気がビリーに似ている。

年齢的にも近い、でも老けない所も。

 

ぎっしりと名曲(名曲佳曲が多過ぎて2時間でも入りきらない)

を、手も抜かず、

誤魔化しもせず、

ガンガン歌うビリー・ジョエルは多分知っている。

その曲は必ず「誰かの宝物」だと。

 

4番目のアルバム(1976)

「TURNSTILES」(「ニューヨーク物語」)

Turnstiles

 

「New York State of Mind」収録の名盤。一番好き音符

リアルタイム世代ではないけど、

若いビリー・ジョエルが既に自分の役目を、

こうやって表現しているのって凄いです。

この中からは、「さよならハリウッド」

もこの日、歌ってくれました。伸びやかで若々しく。

 

ーーー変化したのは観客かもしれない。

私は田舎の十代の頃、

東京の友達と一緒に初めてコンサートに行き、

その時は「あの娘にアタック」を一緒に歌い、

踊っていました。

もう周り皆、座っていません。

「Tell her about it!!」ロケット

祭りでした。

 

その跳びはねていた客達が年齢を重ね、

今は客席で静かに、控えめにしています。

(騒ぐより、精一杯集中して聴きたい)

(ビリーも無理せず、休みながらでもいいからね)

という雰囲気です。アリーナ席の様子はわかりませんが。

そんな観衆に「イタリアンレストランで」

の、年月を経て再会する男女の歌は、

しみじみと嵌まるものがあったのでは。

アンコールの拍手も穏やかな響き。

 

タイムマシン効果の演出

再登場したビリーは、

往年のバリバリロック調のヒット曲でまとめ、

場内も元気が出てきました。

遠慮がちだった(?)私達もサビを合唱したり。

でもやっぱり、最も原点的なあの曲、

「ピアノ・マン」

で締めて欲しかった気もします。

 

ステージなんて眩いだけで、

もはや私の眼には数ミリの人影がやっと。

ステージ上の4面スクリーンが頼りでしたが、

凝った映像も色々使われていました。

 

何と言っても一番ハッとしたのは、

短時間ですが、昔のビリー本人の映像です。

赤いジャケットにもじゃもじゃヘア、

若くて瘦せていて、少しとぼけた顔のビリーが、

同じ曲を歌っている。

だから、今歌っているその人が、

昔に戻ったような錯覚になりました。

こんな姿のビリーを雑誌から切り抜いて、

学校へ持って行ったっけ。

効果抜群の演出でした!

 

「次」はもう無いかもしれない。

ビリーがサービス精神以上に、

気持ちを込めて24曲も贈ってくれた、

その一生懸命さがわかるんですよ…。

これは、中島みゆきのステージ上での言葉ですが、

 

「同じ時代に生まれてくれて、

ありがとう」

second wind

 

 

終了後、ドームの出口は一部が回転ドアです。

(ああ、TURNSTILESって改札とか、

回転扉って意味があるんだっけ)

「出口は風圧が強いです、お気をつけて下さい」

係員さんが声を張り上げます。

ガラス戸の外は本当に一瞬、

うっと息が止まるほど空気抵抗がありました。

帽子の人とか大丈夫かしら。

悩む若者の前で「オンリー・ヒューマン」

を歌うビデオの場面を思い出します。

Don't forget your second wind

 

風に吹かれながら、

一人ひとり、

ビリー・ジョエルに送り出されて行くのだな、と。

本当に、同じ時代に生まれてくれてありがとう!

(中島みゆきさんもね)

 

余談ながら。

後楽園駅までは言うまでもなく、

凄くすごく混雑していましたが、

感心するくらい「押し合いへし合い」

にはならなかった。

ドームでの退場も順序良くされていたのと、

帰路の係員さんも「間隔を空けて歩いて下さい」

と声掛けしてくれたお蔭様です。

寒波の中、お疲れ様でした拍手

雑踏での押し合いほど怖いものはありません。

ビリーの往年のファンは真面目な社会人、

って感じの方がほとんどですし(ん?)。

あと、来る時もダフ屋らしい人を見なかったです。

            夜の街

 

 

1・My Life              2・Movin' Out (Anthony's Song)
3・The Entertainer        4・Honesty
5・Zanzibar             6・Innocent Man
7・The Longest Time         8・Don't Ask Me Why
9・Vienna             10・Keeping the Faith
11・Allentown            12・New York State of Mind
13・The Stranger         14・Say Goodbye to Hollywood 
15・Sometimes a Fantasy   16・Only The Good Die Young
17・The River of Dreams    18・Scenes from an Italian Restaurant
19・Piano Man 

20・We Didn't Start the Fire
21・Uptown Girl      22・It's Still Rock and Roll to Me
23・Big Shot         24・You May Be Right