ずっと昔の、落語メモです。

自分自身用の忘備録なので、読みにくくてごめんなさい。

まだ空手をやる前、長文メモする時間と元気があったのですね。

柳家小三治師匠と会えた貴重な思い出、再掲載しておきます。

 

池袋演芸場【昼席】 トリ=小三治
投稿日:2012/08/07
平成二十四年八月上席 昼の部
池袋演芸場 

「お暑い中一杯のお運びで……ご苦労なことです」(笑)
狭い演芸場が立ち見客で溢れかえっている。

弱冷房なのか? 人いきれのせいか? 

あちこちで扇子や団扇がハタハタしている。

もっとも晴天の池袋にしては心地よい風があって、

比較的過ごしやすい日だったが。


◎16:00 柳家小三治登場
…までに多くの芸人達が

「珍しくいっぱいのお客様。普段はこうではありません」

と口を揃えてマクラに振っていた。

それもこれも、昼席トリが小三治だからだ。
最前列の人などかなり朝早くから並んでいたようだ。


小三治師匠は早々に黒い羽織を脱ぐと、

後方に敷くようにして座りなおす。
渋い青緑色・細かい縞、ざっくりとした素材の着物が夏らしい。
直前に上がっていた「紙切り」正楽について語りだす。

 

◎林家正楽、実は重病だった
「正楽さんは………変な人ですね」(笑)
そのあとに続く話は意外だった。

今の今、元気に紙切り芸を見せていた林家正楽、

数年前に脳卒中を起こしていたという。
私はかなり近いところから見ていたが、

ざくざくと思い切りよく紙を切っていく手元は確かだった。

そんな大病をしていたとは?
北海道の「旭川? 滝川? 深川?(笑)

とにかく川がつく所であの人は倒れた」
他にも脳の大病で倒れた人を関連づけようとして、

小三治師匠は記憶の迷路に入ってしまう。


噺家の名前を書く人、橘某氏の弟さんや、

小三治師匠の身の回りの世話をする人も、

若くして脳梗塞になったというのだが、

橘氏の弟さんの職業がパッと出てこない。

「正月の出初式で梯子の上でこうやっている人…

いや言わないでいいですからね。今に思い出しますから」

「そうそう頭、鳶の頭」
書くと簡単だが、こうしたキーワードを思い出せずに、

かなり師匠は自分の老いを自虐していた。

私なんか昔からそうだけどな。
世話係の方は巡業先で「頭が痛い」と言い出したらしい。

「あたくしも大丈夫かと言っておりましたが、

本当は甘ったれたことを言っている…と(笑) 

でもそれは脳梗塞だったんです。

 

昔なら入院ですが、

昔と違って、今は動かしてできるだけ仕事をする、

動かすな触ってはいけないと言っていた昔と違います。

それで良くなった。

オウム真理教のつけるようなアレ…頭につけて、

脳圧…頭蓋骨の中で脳が膨張すると頭が痛くなるんですね」

恐らく脳圧をチェックする器具だろうが、

そうした機器やリハビリの向上で、

かなり治る人が増えているのだと、言いたいようだった。

ただし、治癒効果は上がっても、

完全に元通りになれるわけではないと。
「頭痛薬で治そうとしますが、

2日以上痛い場合は脳梗塞です。でも今は治ります。

…何でこんな事を言っているのか(笑)と言うと、

聞けば記憶などが部分的になくなっている」
物と名詞のつながりが切れるのか、

「黒板消し」という言葉が出てこなかったりするという。

本人は「ほら、あれ」と言うが、

傍の人は「チョーク?」

「じゃなくてさぁ、こう消すやつ」

「黒板消し?」

「そうそう!」   という事が起きるのだと。
 

「でも正楽さんは…変な人です(笑) 

誰でも他人からは変な人と一度くらい言われていますね。

『あの人、変な人よー』

と言っている方が変だと言われていたりする。

でも元から変な人が、

そういう病気になると変じゃなくなる。

正楽さんに聞いたんですよ、

何か変わったことはないかと。

前より頭がすっきりして何もない。

前より良くなっちゃった」
 

◎見事な紙切り芸

…今日の正楽は大勢の客を前に機嫌よく、

「昆虫採集」「ハンマー投げ」「ねぶた祭り」「ろくろっ首」

などの客席からの注文を次々紙絵にしていた。

それも、マイペースで全然人の注文など聞いていないのか?

と思ったら、

ちゃんと言われた順番で、

スルーすることなくやってのけた。

その後も別の注文を聞き、奥に向かって

「紙はもうない? カバンの中のどこそこにある」

と探して持ってこさせていた。

小三治師匠に言わせれば、

客席の熱気に押されてわざわざそうしたのだと言う。

確かに脳障害のカケラも感じさせない。
 

それらを語るのに、

細かい部分の欠如を悲しみながら、

独特のスローな言い回しで笑わせる。

会場の狭さがまるでお茶の間のような和やかさだ。

立派な大ホールのステージとは全然違う。

皆が師匠のマクラをのんびり楽しんでいる。
そして私は立ち見だったが、

左手の奥から師匠の話をじーっと見ている、

若手の姿もうっすら見えた。

もう着替え終わって普段着姿のままの若者達。

噺は「湯屋番」
居候にとって敵は二つ、川柳とその家のおかみさん。
川柳では「居候 四角な座敷を丸く掃く」
たまに申し訳程度に手伝おうと掃いても、

と両手で四角を描きその中に円を描いてみせる。

四角と丸を対比させた。
一番有名なのは「居候 三杯目にはそっと出し」 

中には「居候 出して出るなら五杯出し」もいる。
亭主は道楽息子の家に世話になっていても、

あたしには関係ないと、その家の主婦は遠慮しないもの。

女の子も友達も勘当された者には冷淡だ。
能天気でバカな道楽息子はうまく初日から番台に座れたけれど、

あいにく女湯は誰もいない。

男湯には「8匹」客がいて「男は…汚い」と言いつつ、

細々と男どもを観察するのはおかしい。

全員帰ったら早速男湯を釘付けにしてやろう、と嘯く。
しまいには番台で妄想モードに入り、

勝手に綺麗な女客との出会いを夢見て踊りだすのを、

客たちもクールに観察しているのだ。
 

浮かれている道楽息子と、

真顔でその奇行を見る人々との違いを、

小三治師匠は一瞬で演じ分けておかしみを強調する。

ニコニコと色男になりきっているアホの時は、

無邪気そのもので顔色さえ明るい。
紹介状を読んでバカ息子を値踏みし、

なぜかあっさりと番台に座らせてすぐに消える風呂屋の親父が、

いい意味で小三治師匠らしいと思う。

どこに本音があるのかわからない、

ちょっと狸親父のような、

でも成り行きを面白がっているようなところが。

最後まで彼は出てこないが、

どこかでこのアホの初仕事を見ているような気がしてならない。
 

話によっては客につり銭を渡す場面などもあるようだが、

今日はなかった。
外回り=薪貰いも嫌、煙筒掃除も嫌と言う道楽息子に、
「素人は皆番台に上がりたがるが、番台が一番難しい。

つり銭を間違いなく渡したり、

客の着物を預かったり」

と最初に言うだけだ。
専ら「女湯」に拘る息子と、

それを呆れて眺める周囲というシンプルな作り。
今で言えばニートが社会人デビューする話だが、

今日のニートはまだ客とのやり取りはなく、

それだけに幸せな妄想全開で憎めなく、

でも哀れでもあってこの先大丈夫なのか?

と余計な心配をさせつつ、噺は終わっていた。

昼の部12:30~16:30
●柳家花どん 「道灌」 
この後もたびたび「混み合っております、もう2~3歩奥へ」とアナウンス役も。
●柳亭小みち 「旅行日記」
燕路の女弟子。鶏鍋や豚鍋をたっぷり食べさせる東北の宿、素朴なサービスを気に入って友人を連れてきた馴染み客だが…。落ち着いた語り口と、素朴なようでしたたか、とぼけた宿屋の女将の訛りがなかなか上手だ。この噺を作った人は東北人をよく知っている、そしてこの人もツボを心得ているという感じ。すっきりとした色気があった。
●ロケット団 漫才
サンタ服?のボケと普通のスーツのツッコミ、絶妙な掛け合いでかなり