「元気ですか!」

猪木ではない。

 

開口一番、小八が「初天神」で下がった後、

お茶が出て「柳家小三治」のメクリに代わる。

グレーの着物、銀色に光る短い頭髪の柳家小三治師匠。

(以下、師匠と略す)

ゆっくり現れるのはいつもの事だけど、

この日はさらにゆっくり、ソロソロとした足取りだ。

 

久々に見たせいか、ひどく老いた気がした。

「転びましてね、初めてですよ」

聞いていてぎょっとした。

師匠にとって(意外にも)

「東京のど真ん中」のこのホールは初めてだという。

地下鉄「三越前」ほぼ直結、

近代的で高級感のあるホールだが、

客として見ても正直、いい設計とは思えない。

少ないスペースを無理にホールに仕立てた感じで、

全体に出入り口に無頓着過ぎる。

師匠は変な傾斜につまづき、

着物の裾を踏んで転んだんだという。

 

「人は死して名を残す、虎は死して毛皮を残す、

ライオンは死して歯磨き粉を残す」(笑)

良い事をして名を残す人は多いが、

ひとつ悪い事をして名を残してやろうってのがいる。

今だと山口県出身のあの人…、歴代の総理大臣皆悪いが、

あの人のお蔭で皆喜んでいます。

でも悪い事をして、その当時は「あんな悪い野郎はいない」

ってんで、

人の心に深く刻み込まれますが、後世に…となると?

石川五右衛門、大泥棒と言われています。

でも何を盗んだか、と言うと私はよくわからない。

豊臣秀吉の大阪城に寝首を掻きに行ったって言いますね。

大阪城に入るのは大変です、石垣がこう(忍び返し)ですよ。

登ってここまで来て、どうやって入れるんでしょう。

一説には忍びの者とか、瀬戸内海の海賊だったと言います。

恐らく自分でやろうと思ったんじゃなくて、

敵方に頼まれたんでしょう。

秀吉だって偉いと言いますけど、

そりゃ偉くないとは言わない、

あんな太閤記になるくらいですから。でも…、

 

(何度か「この話、もうやめましょうか(笑)」と投げそうになっていた師匠。

太閤に五右衛門、ひと昔前なら誰もがお馴染み、

ちょっと聞いただけでウンウンって雰囲気になっただろう。

「今日はお若い方が多くて」と言う師匠、

たぶん色々説明する必要を感じ、

それが億劫だったんじゃないかと思った。

そして、昔の子供なら決まって見聞きした、

太閤の出世譚に触れようとして、

自身の子供時代への回想に飛んで行く…たぶん)

 

◎小三治師匠の戦争体験

私は昭和14年生まれ、0歳から6歳まで戦争中でした。

上が女ばかりで私一人だけ男、

この子を死なしちゃお国に申し訳ないってんで、

親戚のいる仙台で預けられました。

その頃の男の子は大きくなったら、

軍人になるんだという時代でした。

イヤだって言ったんですよ。

そうしたら「本当は仙台の子なんだぞ」と。

他に親戚があるから好きな所を選べ、仙台は皆優しいし、

豚も飼っているよと。豚、何も関係ないじゃねぇか(笑)

そこは家と逆で、上が男ばかりで下だけ女、私より5才上です。

男は順番に戦争に取られて。

親に捨てられたと子供心に恨んだのか、

行って、一晩中泣いていたらその「姉」が言うんです。

「泣くな、お前は本当はここの家の子なんだ」って。

 

でもね、そこのおばさんは母親と姉妹でしたが、

何か温かいんです。

毎日寝小便をしてこの野郎と尻を叩かれる、でも逃げない。

同じように叩かれても、母親だと一発か二発で近寄らなかった。

私にはおばだけど、何か違うんです。

 

そこには1年もいませんでした。

ある日、下の「兄」に自転車の後ろに乗せられて、散髪して、

戻ったら縁側に母親がいました。

でも1年の間にすっかり忘れていたんです。

母親と思いませんでした。

笑顔なんてありません。

結局汽車に乗って東京に戻ったら、

一面焼け野原になっていました。

三越、伊勢丹は鉄筋だったから残っていましたが、焼け野原。

遠くに富士山が見えて。普段は富士山なんて見えなかったのに。

手作りの竈があって、父親が妹の足を洗ってやっていました。

妹はすぐわかった、父親もわかったんですが、

母親だけがわからない。

何か子供心に、「自分を遠くへやりやがって」

という恨みがあったんでしょうか。

それ以来、母親と思っていません。

噺家になったのも、

母が一番嫌がる事をやってやろうとしたかったのか、

それでこんな有様に(笑)

父親には何も思わなかったんですが、父親は言いました。

「何になってもいいが、

人様に笑われるような事だけはするな」(笑)

 

それで、石川ねぇ。

秀吉は頭を使って出世した人。

草履取りから…草履取りというのは、

殿様、お出かけですかと草履を用意する人。

信長の草履を冬で寒いから懐で温めました、

と…悪い奴ですねぇ!(笑)

大阪城の廊下は鴬張り、

そこを歩くと廊下が「ホーホケキョ」、

五右衛門が走ると「ホーホケキョ」「ホーホケキョ」「ホーホケキョ」

結局捕まって五条河原で釜茹での刑になった、

いくら悪人と言ったって、

秀吉が自分の寝首を掻かれそうになったからでしょう?

それで釜茹で、しかも油を入れていました。

茹でじゃなくて、揚げると言います。

京のうどん屋からクレームがついた。

「釜揚げやと困りますぅ」

五右衛門は辞世の句を詠んでいます。

「石川や浜の真砂は尽きるとも 我泣きぬれて蟹とたわむる」

さすが大泥棒、人の歌まで盗んでいます(笑)

 

噺は「転宅」に。

 

私の席はほぼ右端近くのせいか、下がりゆく師匠の後姿を長く見られた。

左手へ消えつつも通路への入り口付近で師匠は少し立ち止まっていた。

慎重に足元を確認していたのかもしれない。

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仲入り 10分

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黒い着物に着替えて再登場。

「皆さんにガッカリさせますが…」

嫌な予感。

「外はひどい雨です」 なあんだ(笑)雨

「噺が終わるころはやむでしょう。

だからいくら面白くないと言っても…(笑)

さっき、途中で一人帰った人が一人いました。

ちゃあんと分かっていました。

トイレなら戻って来るだろうと思ったら、戻らない。

ご臨終ですかね」(笑)

前半の方で、確かに一人、

仕方なさそうにそっと出ていく女性はいた。

黒い羽織を脱ごうとする師匠。

ところが手間取っている。

「今日は着物の付き合いが悪い。

さっきは裾踏んづけて、今は紐がつっかかる。

まだ月賦を払い終えていないのに。

…ま、今日はそういう日です!」(笑)

 

今年はカラ梅雨と言われていて、

このまま上がったらカッと暑くなって、

夏になってビールがうまい季節になりますね。

別にカッとしたってじとっとしたって、ビールはうまいわけで、

お酒って奴は「暑いねーコレだねえ」

涼しくなると「いい季節だねー一杯やっか」

「寒いねー」「春になったねー」

お酒ってやつは愛嬌もので。

酔っ払いは、本当に酔っている人ほど自分で酔っているとは言わない。

(クダを巻いて「酔ってなああああい」)

自分で「酔っている」と言う人は酔っていない。

(普通の口調で「酩酊しました、あー酔いました」)

 

お酒には、飲み過ぎて体を壊したって言うのがついて回ります。

噺家にもいっぱいいます。

お酒は飲めた方がいいのか、

できれば飲まない方がいい。

でもそうはいかないですね、

そうやめられるものじゃない。

医者に「このままじゃあとひと月だよ」と期限を切られると、

ドキッとして慌ててやめる、

でもずっと止められる人はいません。

中には神棚に願掛けする人までいる。

「もうお酒はやめます、

やめられなかったら殺されてもいい、

止めます誓います。あーサッパリした」

そこへ酒飲みの友達が誘いに来た。

「何、酒を止めた? バカを言うもんじゃないよ。

お前が止められるわけがないじゃねぇか。

どこに願掛けした? なんだ家の神棚か。

願いが本社へ行くまでに時間があるから、

どうだいその間に一杯」(笑)

その後、いつもの「酒飲みの癖」各種を列挙。

寝上戸は一番いいが、

てめぇで広げた小間物屋に突っ伏したのは嫌だ。

泣き上戸に笑い上戸、鶏上戸(トトト、もうケッコウ)に壁塗り上戸(しきりに手を振る)、

一番嫌がられるのは酒乱。

こうして、「禁酒番屋」へつなげる。

 

私の席は後方。それでも師匠の大きな手が目につく。

師匠の声はかすれる時がある。ごくかすかなもつれも感じる。

役人が、酒持ち込みを吟味する時はジェスチャーが物を言う場面。

やはり、こういう所は間合いが本当にうまい。

町人を怒鳴りつけ睨みつけつつ、精一杯偉そうにして、

どんどん酔って行く二人組の武士。

前半の、したたか女お菊の時よりも場内の空気もノっている。

枝雀師匠の「笑いとは緊張の緩和だ」を思い出す。

武張った小役人のアホな本音がぼそっと出るたびに、

笑いが起きる。

それだけに、最後の汚い件も、

「この役人、酔っていてもモノがモノだと薄々わかっている。

だけど今更引っ込みもつかず、

一応役目を果たす所が小役人らしいな」

と感じさせた。

ドン引きしながらも頑張ってアレを飲む所に妙に感動した。

演者によっては、酔っぱらってこれも酒だと思い、

無邪気に飲み下す、とするだろう。

 

サゲた後がいつもと少し違った。

師匠は一通り頭を下げた後、(この会場は幕は下りないらしい)

座ったまま茶をすすり、「これは、お茶です」(笑)

その後、足台を外す。

「また、お会いしましょう」

高座を下りる間際、立った状態で振り返って、

「酔っぱらっちゃた」(笑)

羽織を拾い上げた。

ゆっくり左手へ向かいながら、ふと足を止めて軽くペコリ。

 

…何だろう。

本当に「また、お会いしましょう」って強く思った。

 

 

◎立派なホールなのに、大丈夫?

帰りは大変だった。

相当時間をずらせて出たにも関わらず、出口付近は電車のラッシュアワーみたいだ。

少しも人が進まない。

進むわけがない。1台のエスカレーターだけで大人数を下ろすって、おいおい。

そりゃ火事地震の時にはどこか非常口があるんだろうけど、

それでも危険じゃないか?

下手すりゃ慌てた客が雪崩を起こすよ?

誰かが階段はないのかと係員に尋ねていたが、ないと言う。

私がよく行くホールは商業施設の同じく4階だけど、外階段もあり、

複数のフロアに流れることもできるから、人が動かないって事はない。

銀座のお高い場所とはいえ、こんな造りでよく許可が出たものだ。

ましてや楽屋の方なんか安全性も何もないんだろう。

ここではもう、落語会はやって欲しくない。

 

ちなみに歌丸師匠が復帰する。

 

(柳家小三治独演会 14時開演

サンライズプロモーション東京)

 

 

※貧相な記憶力で適宜まとめたものですので、

師匠の言葉遣いなどもこのままではありません。

記憶違い等ありましたらお許し下さい。