薄々そうかなと思っていたが、、
「幸せ恐怖症」。。。
長年、苦しいのにハードワークをやめられないのは、もしかしたら幸せ恐怖症かもしれない。
だって、自分に合ってないと分かったんだから転職すれば良い。
でも転職する行動はしない。
幸せになるのが、怖いのかもしれない。
それは、幼少期に冷遇されたことが愛だと思いたいかららしい。
なるほど。
確かに、否定されることが多かった。感情的に怒られることも、私の幸せを喜んでもらえないこともあった。私の話を聞いてもらえなかったことも一度や二度ではない。
これらは今でも相手を変えて同じことをされている。
職場で否定される、感情的に怒られる。私の幸せは嫌がられてる気がする。
話を聞いてもらえない、気づいたら相手の聞かされるばかりだし。
同じだ。幼少期と。怖いぐらい。
怒られることが愛だと思いたいってことか。潜在意識では。
でもそれは違うよ。
私は幼少期から確かに愛されてはいたと思う。
でも本当に私のためを思っての行動ではなかった場合が多かった。そこが傷になってるんだ。
だって本当に私のことを思ってたら感情はぶつけられないよ。ただ余裕がなかったんだ。だから基本的には愛されてはいたけど、部分的に心に残っているネガティブなことは愛ではないよ。
だから、怒られたから私は愛されてるということではない。
私に関心がないから愛されてる、ではない。
冷遇されることは、単に相手が自分で精一杯なだけ。私よりも自分を優先してるだけ。
当たり前のことだから。
だからハードワークだってそう。
ハードワークだから愛されてる、ではない。
ハードワークだから私は大切にはされてないんだよ。
だから手放さないといけない。
自分を大切にしてくれない場所には留まる必要はないよ。
頭では分かったけど、ハードワークを手放そうと想像しただけで心がざわざわする。
ハードワークと私は癒着してるんだ。
手放せない。
怖い。
幸せになったらだれかにいじめられるかもしれないし。はあ。
ハードワークを手放すってとうするのかなあ。
これはもう心理的なことが原因の大半を占めてる気がしてきた。
「ハードワークを手放す」ことに注目して向き合ってみよう。