題名にあるように 頼られる事 相談にのる事 喧嘩の仲裁(笑)に入る事が当たり前の日常を過ごしてきた。←ホントはめんどくさいよ?

基本 自分から人に詮索する事はない→だって興味ないでしょ?w  でもさ 話してくれちゃうんだよね。それでさ 色んな情報を持ってるからさ 結果的に知りたがりとか言われる事があるの。
ヾ(・ε・。)ォィォィ  私は別にこっちから聞き出してる訳でないんだよ。

そしてさ 頼まれたら嫌と言えない性格。←これ切実にやめたいw  まぁ頼まれたらやるだけの事はやるよね。性分だから。
結果...それが解決すると用なしと言わんばかりに去ってく人がいるよね。
まっ その時に利用する価値があったんだろうからいっかって自己整理するけど。

姉御肌って損な役回りよね。
辛くても苦しくても見せれないし。
甘えたくても甘えれないし→あっもともと甘え方知らないんだったw

ホントはしっかりもしてないし。
強くなんてないよ。

ただ強くいなければ 自分が潰れてしまうから

負けたくないから踏ん張ってんだよ。
いつの間にか 人との絡みを避ける思春期。

仲間や友達がいないわけではなかったけれど、一人を好んだ。群れを好まず...
冷めた目をしていたのかも。

家にも居たくなくて 昼夜関係なく一人でプラプラするのが好きだった。

仲間との絡みも決して嫌な訳でなく 楽しい気持ちはある。しかし思春期って物珍しさで 色んな悪事をしたりする仲間を遠くから眺めてる。
その理由は くだらないって気持ちと半分は母への恐怖だったかも。今となっては恐れで手を汚す事はしなかった事には感謝だねw

そんな一匹狼的な自分は 進学と就職を同時進行。→いやはや若さのパワーだねw

そんな頃から 徐々に姉御的な力が成長して 何かしら抱えてる人が寄りつくようになってきたね。(´-ω-)ウム

ホントは愛情に飢えた いや 愛を知らない自分に与える事が出来るとはね。
逆に欲しかったからこそ 欲しい人の叫びが届くのかも。

幼少から中学まで 外に出てる時が自由な時間であった気がする。

まぁだから羽目を外すこともあるよね→言い訳w

抑えつけられ 恐れて過ごしたけれど 今年に入って 10年以上ぶりに母親の姿を見た時...
小さくなったなと。それだけ自分も大きく(体もw)なったんだねぇ(´-ω-)
それでも苦手なものは苦手なもの。それを拭い去ることは出来ず。短時間の再会で終了。

ふと自分を思い返し考えてみた。

痛みに強い事 我慢 忍耐 期待しない心は それによってもたらしたのだろう。

辛くても悲しくても苦しくても 大丈夫と言い聞かせ。人前であまり泣く事をしなくなったのだろう。  その結果 闇の力に飲み込まれた時期もあった...

逆に今は もぅ闇などには負けない力を備わっている。その力の源は 子供である。
子供に救われ 笑顔を取り戻し 光を掴む事ができた。

今でも 夢や期待は抱かない現実主義的なところはあるけれど。それでも今を楽しむ これからを楽しむという前向きな心は持っている。

闇を知っているから 痛みを知っているから 誰かの痛みに気づける 少しでも力になれる人でいつまでもいたい。だからこそ自分が受けた様々な痛みを忘れず 常に前進あるのみ。