Twitterではちょくちょく呟いてましたが,ちゃんとした(?)形でこうやって文章で書くのはかなり久々な気がしますね,はい。
この数ヶ月間,本当に色々なことがあり過ぎて,まとまりの無い文章になってしまうことは必至ですが,近郊報告とさせていただきたいと思います。
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6月17日に,仙台に残れなくなって,大阪での法事にかこつけて,彼女の家に転がり込んで,
それでも,そのままに出来なくて,したくなくて,
仙台の頃のツテで,無理矢理石巻のJICAのOBが立ち上げた団体に混ぜてもらって,
でもって,また8月10日の仙台市VCの閉鎖に合わせて,また仙台に顔出して,
12日のお疲れ会で,またしても仙台にトンボ還り。
全ては縁。
何もかも投げ出して,逃げるように大学を休学して,
半ば理由付けのような形で乗り込んだ仙台で,
偶然か,はたまた運命かはわからないが,知り合った沢山の人達。
全ては縁。
何も知らない,何もわからない学生風情の私を,
厳しく,且つ丁寧に指導指導して下さったVCの多くの方々に心から感謝。
特に,直接的に指導して下さったミノリの方々。実務にかかわる直接的な部分は,殆ど全てあの人達に仕込んで頂いたといっても過言ではないほどお世話になった。
最初,若林区のVCに行った頃は,本当に役に立たない存在だったと思う。
今思い返してみても,当時の幼くて,余りにも未熟過ぎた自分自身の考えや行動が本当に恥ずかしい。
社協の臨職の枠が通らなかった時に,
『自分はそこまで必要とされているわけじゃないのかな』っていう自暴自棄みたいなのに陥り,簡単に言えば腐っていた自分。
それでも,実はちゃんと見ててくれた人や,評価してくれているはいて,
しかもそれが運営スタッフの中にも,そして一般ボランティアさんの中にも,一人では複数いた事は,本当に嬉しかった。
その場で,その時に評価されたい,必要とされたいという思いは,恐らく私だけでなく,多くの人が持っている願望の内の一つではないかと思う。
しかし,しっかりやるだけのことさえやっていれば,周りの評価は,実際には後から着いてくる。
本当に来て良かったと思ってる。
10日の,閉所式の場に。 そして,仙台に。
もちろん,思い残したことは沢山ある。 やり残したことも沢山ある。
恐らく,来年の4月1日の時点での復興の実現は不可能。
だから,復学してからも恐らく関わることは出来るだろうし,私は恐らく関わっていくだろう。
4月2日に初めて仙台に乗り込んで,約4カ月。
今,ある状況の中でどうにかするしかない。
それは,ボランティアセンターの運営に関してもそうやけど,
職業や学校のある人・遠方の人にも当てはまることであり,言えることでもある。
被災地に目を向けない人達を責めることは誰にも出来ない。
百聞は一見にしかず。
百回報道の映像を見たって,それは一回被災地を実際に見るのには敵わないし,
百回被災地を見たって,一回そんな被災地に実際に住む人達の話を直に聞くのには敵わない。
実際に被災地に赴かなくても出来ることは沢山ある。それは事実。
しかしながら,実際に自らが“体験”しない限り,出来ないことが沢山あるのもまた事実。
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8月10日,仙台市津波災害ボランティアセンターは閉鎖され,復興支援“EGAO せんだい”サポートステーションへ移行。
しかし,街の復興・市民の生活の再建への道のりはまだまだ遠く,ボランティアのニーズも,勿論まだまだ沢山残っている。
この事実に,どのように向き合い,どのように関わっていくかは,各々の意志と行動によってのみ委ねられるが,
1000年に1度の未曾有の大震災に,例え一度でも,真摯に対面出来た人には,
このような大きな不幸の裏側や側面でのみ見ることの出来る,感じることの出来るものが必ずあることを約束出来ます。
全ては縁。
ここでの日々が,いつか思い出になる日が来ても,
ここで得たものはきっと残る。
ソーシャルスキル,適応能力,コミュニケーション能力,
人生の目標,現実に向き合う意志。
そして,出会いと絆。
全ての出会いに感謝。
そして,支援してくれた多くの方々にも感謝。
本当に,ありがとうございました。