キラキラ 「トンイ」粛宗(スクチョン)の妻たち キラキラ

朝鮮第19代国王粛宗(スクチョン)の 王妃となった女性たちについて
その数奇な運命を辿ってみよう

最初の妻は仁敬(インギョン)王后
1671年 まだ世子であった粛宗(スクチョン)と10歳の時に政略結婚している
16歳と18歳の時に2人の王女を生んでいるが いずれも夭折
自身は天然痘を患い 1680年19歳でこの世を去った

そして次に王妃となったのは仁顕(イニョン)王后
仁敬(インギョン)王后が亡くなった翌年の1681年
粛宗(スクチョン)の母である明聖(ミョンソン)王后らの推薦により婚姻
しかし当時 粛宗(スクチョン)は南人(ナミン)派を後ろ盾とする
女官出身の側室チャン氏に夢中であり 西人(ソイン)派の王妃は疎外される
チャン氏とは 言わずと知れたあのチャン妃嬪である
仁顕(イニョン)王后は病弱だったこともあり 生涯子供を産んでいない
やがてチャン氏は王子を出産 後の第20代国王景宗(キョンジョン)である

この出産をきっかけに チャン氏は次々と昇格しチャン禧嬪となったのだ

そして1689年 南人(ナミン)派の陰謀により
仁顕(イニョン)王后は廃位され 実家に戻されることとなる
実家での暮らしは貧困を極め 民衆の同情心を募らせていった
やがて西人(ソイン)派は 仁顕(イニョン)王后の復位運動を展開
粛宗(スクチョン)のもとにも こうした動きが報告され
南人(ナミン)派の増長を懸念していたこともあり
ついに決心し 南人(ナミン)派を一掃しチャン禧嬪を嬪の位に降格する

こうして1694年 仁顕(イニョン)王后は復位するのだが…
長年の極貧生活の苦労が祟ったのか もともと病弱だったこともあり
1701年 34歳で崩御した

次の王妃には 最も寵愛されている淑嬪(スクピン)チェ氏が有力視されていた
このチェ氏こそが「トンイ」なのだが…
粛宗(スクチョン)は 側室から王妃になることを禁止する
(「トンイ」のドラマ上ではトンイがそう望んだとされているが…)
こうして仁元(イノン)王后が王妃となったのである

仁元(イノン)王后の家門は少論(ソロン)派であったが
生き残りをかけ老論(ノロン)派に鞍替えしたという経緯がある
粛宗(スクチョン)との間に子はいなかったが
後々 チェ氏の次男延礽君(ヨニングン)を我が子のように育てることとなる

チャン禧嬪の忘れ形見 景宗(キョンジョン)が即位すると
延礽君(ヨニングン)は王世弟に冊封され 仁元(イノン)王后が後見人となる
1724年 景宗(キョンジョン)が若くして崩御
延礽君(ヨニングン)が即位し 第21代国王英祖(ヨンジョ)となった

晩年の仁元(イノン)王后は
英祖(ヨンジョ)と王妃貞聖(チョンソン)王后から大事にされ 穏やかな日々を送る
1757年 貞聖(チョンソン)王后が崩御した1ヶ月後 70歳で崩御した

仁顕(イニョン)王后を廃位させたチャン禧嬪は「朝鮮三大悪女」と称される
数々のドラマに登場するなど 韓国ドラマ好きなら殆ど知っている女性だ
そして淑嬪チェ氏も 「トンイ」として また「イ・サン」の曾祖母として
いずれも放映されれば今も尚大人気の女性である

この2人の女性ほどには有名でなくとも…

最初の妻 仁敬(インギョン)王后
そして次の妻 仁顕(イニョン)王后
3人目の妻 仁元(イノン)王后
この女性たちもまた 数奇な運命に翻弄された女性たちの1人である

この実在の女性たちの描き方が 果たして史実に基づいているのかどうか…
そこにばかり目くじらを立てず(笑)
権力闘争の中で この女性たちもまた翻弄されながら闘っていたのだと
そんなことを思いつつ ドラマを楽しむのも一興かと

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