前回に引き続き「歴史を紹介しよう」の続きである

 

前回書いた通り私が支部に入会したのが(予選に出場するようになった)2011年のアマ竜王戦からである。この時は、まあ負けて代表になれなかったわけだが、びっくりしたのが予選の1回戦で敗れたのに予選2回戦が勝った人だったことである。札幌の感覚だと「負けた人は負けた人同士」という感じだったので困惑した記憶がある。勝手に私が「サンドイッチシステム」と呼んでいた競技形式だったわけだ。いま考えると、このシステムの良かったところは「運の要素」が絡むことだったと思う。今のスイス式システムだとある程度同じ勝率同士で当たっていくから、代表枠が2名以上だと「1敗くらいは許される」ことが多々あり、この点はやはり強い人に有利に働いていると私は思っている。ところがサンドイッチシステムだと「とんでもない人に挟まれる」ことがあるのでものすごい強い人でも予選落ちをすることがある。しかもそのあとはトーナメント戦だからさらにトーナメントが偏って強い人同士が当たるなんてことも普通にあっていろいろな人にチャンスがあったという面では、ある意味では「公平だった」と私は思っている。私が覚えている限りではこのサンドイッチシステムで予選落ちしなかったのは「神(準アマ名人)」だけである。

さて、サンドイッチシステムの利点は上述の通り、運が絡むことだが、難点は「本選トーナメント開始まで時間がかかる」ことだろうか。2連勝で予選通過確定の選手は本選出場者決定戦を待つ間「とても長い」のである。普通に1時から2時間程度待機することになる。これが結構つらかった記憶がある。やはりどんな競技方式も万能はないということですね。

そうそう。支部ブログで確認したら当時のアマ王将戦の出場人数が「A級、B級ともに6名」であった。これに対して今年の全道選手権の予選はどうだったか?→「A級20名、B級4名の計24名」である。総数で言えば「倍」となった。2011年から現在2024年。この人数差こそが「支部の発展の歴史」と言えるのではないか。

ということで今回はここまで。続きはまた次回。

それにしても赤レンガ記念のベルピットは強かった。交流重賞でも活躍したシルトプレ相手にあの勝ち方である。今ならミックファイアにリベンジ可能かもしれない。と思わされるほどの強さでした。エルムステークスに出てほしいなと思っている。

んでもって明日。どの馬を買っても一長一短な気がしてとても難しい。私の中で日本のG1レースでは世界一うまいと思っている、レーン様がご来日なさったので余計に悩む。帝王賞のセラフィックコールなんて余計に切り捨てが難しい。う~む、悩ましい!

 

おまけ→サンドイッチシステムとは・・・

例(8名参加)→両隣と対戦→1番の人は2番、8番と対戦。2番の人は1番、3番と対戦という感じ。→2勝で予選通過、1勝1敗者同士でさらに対戦。この1勝1敗同士の対戦を2連勝組は待たなければならない。これが長いのである。ところが、上述の通り「とんでもない人」に挟まれる可能性もあるので、そのスリルが楽しいともいえる。私は好きな競技方式でした。