自民党(が、自民党のまま生き残るかどうかは別として)も、一度、下野することによってまさに 「近代政党」 に生まれ変われると思うし、今回、下されるだろう国民の鉄槌を真摯に受け止めて再出発してもらええば、それはそれで良いことだ。 長い長い惰性の中で、自民党のアンテナは錆れに錆れ、農業団体幹部の声は聞けども農家の声は聞かず、医師会の声は聞けど、診療者の声は届かず、経団連の声は聞けど、消費者の声は、聞かず・・・という有り様になってしまっていた。 医師会の声を聞いて駄目だと言うつもりはないけれど今まで余りにバランスを欠いた偏った声に耳を傾け、誤った政策判断をしてきたということだろう。
それと一般生活者の実感があれほど乏しくては、まともな政策判断などできるはずもない。また政治家たるもの話す言葉の意味することも言葉自体も軽々しい。 2度も政権を放り投げた政党に今更、責任力だの政権力だの云ってほしくないし、なにより、ハローワークで絶望感を味わっている若者に、仕事に対する気構えのピント外れのうんちくを、上目目線で滔々とべらんめい調でいわれたくないし、一国の総理が、街頭演説で、「オレのツラをみて・・・云々・・」 などとあんたやくざかなんだか、そういうデリカシもないんだな。 民主党にも2世3世議員はいるけれど、権力を持ち続けていただけ、自民党のお世継ぎ議員はより堕落していたということだ。
昨日、所用があって近くの区役所に行ったら、階段の上り口まで行列があふれていて、何事かと先を追ってみたら、総選挙の期日前投票の行列だった。 未だかって、僕もこんな経験はない。 今日は、朝から投票に行って一日、「選挙を楽しもう」 と思う。
その日、僕は、赤坂のTBS近くのホテルを朝早く出て、新宿へ行き中央線に乗った。20代の頃から決めていたことだった。2000年のクリスマスイヴの日に、もう一度あの場所へ来ようと。その日が、日曜なのは、あらかじめわかっていた。誰も25年先の自分なんて想像もできない。その頃、どこに住んでいるかも、どんな暮らしをしているかもわかりゃあしない。だけど、生きてさえいれば「その時」は、やってくる。25年先の自分との約束。そして「その日」僕は、50歳前の中年おじさんになっていることになる。まだまだ遠い遠い先のことだし、そんな自分なんて想像もつかない。それにしたって、いつもいつもそんな意識で25年間ずっと生きてきたわけじゃもちろんない。「約束の日」から今日まで、いろんなことがあった。結婚もしたし、職場を変えたし、引越しも一度ならずした。日々の日常の中で記憶は薄まり、まじめに履行するには、余りにも馬鹿げた約束だと苦笑したことも当然のごとく何度かあった。街の景色もどんどん変わり、僕の思いもその時々の風にゆれた。なんせ25年だ。10年が過ぎ、20年が過ぎ、あと4年、あと3年後、あと1年・・・となって、どうでもいいや・・・と思っていた「約束」に、サザンの「THUNAMI」 とMISIAの「Everithing」がヒットチャートにのって、急に束縛されだした。(これは、悪い冗談だ!)。
年が明けて2000年となり、なんとなく世間も騒がしくなって、ノストラダムスの予言がみごとにはずれ、そろそろホントに行くのなら年末のことだし、飛行機のチケットの予約くらいしておかなくちゃと言う10月のはじめに、僕は急性胃潰瘍で帯広の協会病院に緊急入院することになった。これも運命、と思っていたのが、微妙な線で3週間で退院。そんなこんなでその日を迎えることになったのだ。
車窓から見える町並みも人の動きも年の瀬の活気にあふれている中で、僕だけが、異国でポツンと浮いていた。 新宿も渋谷もそれはそう、もう街中がクリスマス気分。郊外の駅に着き、記憶をたどりながらバスに乗り、9時過ぎにはキャンパスに着いた。正門から学内のバスタッチまで、枯葉の舞う道を歩き、学生向けの掲示板を点検し、帰りのバスの時刻表を見た。昨夜の遅い便で札幌から羽田に着いて、今日一日は、「この日」のためだけにある。夕方の帰りのバスの時間を確認してから、僕は広いキャンパス内をゆっくりと時間をかけて歩き、ベンチに座り、学生らしき人に声をかけ、お昼には、買ってきたサンドウィッチを食べ、礼拝堂の階段に腰掛けて単行本を読んだ。礼拝堂の奥から、クリスマスの日の日曜礼拝の息遣いが時々聞こえた。なぜかとってもいい気分。幸せな気持ち。やっぱり自分との「約束」を果たしてよかったのだ。札幌ほどではないけれど、さすがに夕方5時を過ぎると日の暮れも早く、風も少し強くなって、僕は、帰り支度をした。そしておそらくもう2度とくることのない約束の地に、さよならとありがとうを言った。僕らがともにすごした、多感な20世紀は、あと1週間を残して終焉をむかえ、新世紀がもうそこまできていた。