抗がん剤治療で通っている大学病院のテレビで、NHKの『絶望名言』という番組が放送されていました。


そこで紹介されていたのが、フランツ・カフカの

「いちばんうまくできるのは、倒れたままでいることです」
という言葉。頭木弘樹さんという方が翻訳されたとのこと。


この「絶望名言」という言葉は最近何度かテレビで目にしたことがあります。
物価高など、日本全体が重い雰囲気になっていることの表れかもしれません。


興味を持ち、カフカの「変身」を丸善で購入し読みました。

かみさんは「高校生の時に読んだ」と言っていましたが、私は初めてでした。


小説は短く、内容は突飛で、一夜にして人間ではなくなってしまったグレゴールという主人公とその家族の振る舞いを終始生々しく描写しています。

最後まで救いがなく、「絶望名人」と評される所以と感じました。

 

ただこの「世界が一変して絶望に落とされる」状況には、親近感すら感じながら読みました。

 

なぜ主人公はこんな目にあわなければいけないのか、何の報いなのか、などについて一切説明なく、ただ理不尽な状況に置かれる主人公。


「絶望」に直面しても抗おうとも、逆に受け入れようともせず翻弄されるだけの姿に、自身を重ねてしまいそうになりながらも、それはイヤだ…悲しすぎる。と抵抗感を感じたり。

 

何とも後味の悪い読後感でしたが、それでいて「まだ自分などはマシか」と思える、気持ちいいくらいの徹底した絶望が描かれていた気がします。



カフカに関してもう一冊、面白そうな本を読んでみました。
『絶望名人カフカ × 希望名人ゲーテ』(頭木弘樹 著)



いま共感できるのは「希望」なのか、それとも「絶望」なのか?
自分自身を試すつもりで読んでみました。


最近は、抗がん剤の副作用で悪化する体調のサイクルにも慣れ、自身を客観的に見る余裕が出てきたのかもしれません。
「筋トレを自身の体で試して、本当に効くのか?」
「どんな言葉で、精神的に安心するのか?」
といった実験のような感覚です。


本書での対決例を以下に挙げます。

「人の感情で最も高貴なのは、希望です。
運命がすべてを無に帰そうとしても、
それでも生き続けようとする希望です。」
(ゲーテ6)


 ×
 

「ぼくは自分の状態に、
果てしなく絶望している権利がある。」
(カフカ6)


まえがきに、次のように書かれていました。
「本当につらい時には、ポジティブな言葉はかえってつらさを増してしまい、絶望のほうが、救いになることもあるからです」


まさにその通りで、カフカの言葉に安心できるところがある自分に気づきました。
「絶望していいんだ。絶望は権利と言ってくれてホッとする」という感覚。


一方、前述のゲーテの言葉は眩しくてスッと腹落ちせず、
「自分のつらさを分かるものか」「そんな簡単にいくか」と、愚痴でも言ってやりたくなるくらい。



ただし。「で?どうするの?」と自問自答をすると、絶望だけで終わりたくないのがやっぱり本音です。

小説「変身」もあのエンディングではあまりにも悲しい。



カフカが代わりに絶望を言葉にして希望を0(ゼロ)まで落としてくれた。


そしてその後どうしたいのか。

本当に見たいのは、0から1へ、いや0から0.001でいいから、少しでも動き出そうとする姿であり、それを期待しているのが自分の本心なのではないかと。



ふたたびまえがきからの引用。
「黒があってこそ、白の輝きは増します。白があってこそ、黒の深みも増します。」



感じ方は自身の体調によっても変わります。
体力づくりのためのジョギング中、自身を鼓舞するために浮かぶのは「希望」の言葉のほうかもしれません。

その日の体調次第で、日替わりで大きく上がったり下がったりするメンタルのなか、この両者対決の言葉を読み返し、自身の状態を確認する。
そんな見方をするのも面白いな、と感じた一冊でした。