若い頃の父が働く後ろ姿。
昔の、父の同僚が送ってくれた写真です。
父は高校を卒業して、
18歳で集団就職で宮城県の田舎から川崎市にある三菱ふそうトラックバス株式会社にお世話になりました。
定年まで42年間、
来る日も来る日もトラックを作り、
いつも落としきれない油と、シャワーを浴びて帰ってくる牛乳石鹸の香りが入り混じった、独特なにおいで
「ただいまぁ〜」
と朗らかに玄関を開ける。
そんな父でした。
小さい頃から私はその父のにおいが大好きでした。
そんな父は大して学歴にも興味がない人でしたが、
それでも私を中学から私立の学校へ通わせてくれて、私立の大学まで出してくれました。
少なからずお金持ちの子女が集まる中、
我が家の境遇で同じ環境にいた人は、私以外にはいなかっただろうと思います。
でも父は、
私が大人になって世間を知るまで、
私自身はそんなことにも気が付かないくらい正々堂々と私を守ってくれて育ててくれました。
だから私は、自分もみんなのお宅よりちょっと庶民的なだけで、そう変わらない家柄だと心底信じて胸を張って生きていくことができました。
私も相当、世間知らずの身の程知らずではありましたが、今思い返すとそんな父が誇らしいです。
父の戒名の最初の2文字は
「技峰」
です。
エンジニア(と言えば聞こえは良いですが)として勤めあげた父の姿を、ご住職が讃えてつけてくださりました。
人生のほとんどをこの仕事に捧げた父にとっては、これ以上ない光栄な名前だと思います。
そして、私はその父に支えられて今の人生をいただいてます。
「生きる」ということは、
本当に泥くさく地道なことの積み重ねだと父の背中が教えてくれてるような気がします。
もうすぐ、父を亡くして49日を迎えます。
49日まで父の魂はこの世にいて、
50日目に旅立つと言われています。
それ以降は、あまり思い出して泣いたりするのは父にとって良くないと聞きました。
父も、置かれた場所で修行に励まなければならないのに足を引っ張ってしまうのだとか。
だから、今はひとり時間を見つけては存分に父を思い出して泣いたり笑ったりしながら感情のままに過ごしています。
自分の気持ちに折り合いをつけて49日を迎える準備をしなければいけないと思っています。
そこかしこに肉体はなくても、父の存在を感じています。
これも49日を過ぎたら感じなくなるのでしょうか?
父は、そんなにこの人生に未練を感じていないような気がします。
70歳で亡くなり、今の時代では一般的にはちょっと早過ぎたよね、と言われる年齢でしたが、父が未練たらたらでいるような変な感覚はなく、どこか差取ったような、もしかしたらもう行ってしまったんじゃないか?と思うぐらいの清々しさすら感じるのです。
それがほんの少し寂しくもあり、
これでいいんだと思えることでもあり、
あとは私の問題なんだなと思うのです。