ハノイ生活2日目


1日目はアートバイとクラクションで、ひかれそうになったり、

何気にびびっていたのだが、

2日目に入り、道路を堂々と横断、クラックションは気にならなくなり、

人ごみならぬ、バイク込みも悪くないなと思うと一気に楽しくなってきた。

仕事において、環境適応力というところが

自分の長所の1つでもあると思っているのだが、

どうやら旅においても環境適応する力があるのかも

とポジティブに捉えながら、朝の涼しい1日を迎える。


朝から翌日の世界遺産ハロン湾のツアー予約を済ませる。

別途ツアー情報などは記載するが、

私が読者登録をして、毎日楽しみに拝見させていただいている、

ある方のブログにも載っていた代理店でゲット!


1つづつ出来ることを増やしながら、

朝飯っス


朝からビールってこれぞ幸せ。


北海道で一旗挙げる漢のわりとまじめなつぶやき


カフェから見えるハノイの中心地

北海道で一旗挙げる漢のわりとまじめなつぶやき



その後、歴史を理解する為に、

ハノイの歴史博物館へ。

1回来ただけで歴史を知れるとは思わないが、

まずは、知ろうとする、知りたいと思うことから始まるよね。

これは、人の世界も同様。

相手の背景を知りたいと思うところから、

関係が深くなっていく。

北海道で一旗挙げる漢のわりとまじめなつぶやき


北海道で一旗挙げる漢のわりとまじめなつぶやき


ベトナムの歴史を紐解くと

中国との関わりが昔から深く、何回もの侵略を受けていて、

ベトナムの歴史は侵略との戦いの歴史だと何かの本に書かれていた。

事実、第二次世界大戦後も、

中越戦争、インドシナ戦争、そして有名なベトナム戦争と、

つい30年ほど前まで戦争をしていた歴史がある。

ちなみに、戦争が完全に終わったのが、1989年だから、

オイラ高校のときと考えると、まだまだついこの間のことだった事に驚く。


日本との関わりも深くて、昔は戦争で日本とフランスの二重支配による

略奪があったり、戦争の爪あとを残している部分もあれば、

戦後国交が回復してからは、日本からのODAが盛んになり、

鉄道網などの普及に一役買っている。


ちなみに、歴史博物館のテレビには、すべてJAPAN という文字と

ODAの文字が書いてあり、日本の貢献をうれしく思うと同時に、

もっともっとこれらの貢献を、世界にアピールすべきとも思った。


↓ベトナムについて。

ベトナムwiki



その後街を散策し、色々と廻ってきた。

気温22℃~25℃くらいだろうか。

半そでで心地よい陽気であったが、


街行く人は、みな、ダウンやらマフラーやら

かなりの厚着をしている。

見渡すと、クレイジーそうな欧米人と僕くらいだ。


「どんだけ寒がりやねん!」と一人で突っ込みながら、


そりゃ、おいら道産子だからね。




ホーチミン廟 でかいっす。ここで、昼ね。
北海道で一旗挙げる漢のわりとまじめなつぶやき


今は平和な世の中になっているよね。


北海道で一旗挙げる漢のわりとまじめなつぶやき

街はこんな感じ。
北海道で一旗挙げる漢のわりとまじめなつぶやき


バイクが多い。

ホンダがダントツで、次がヤマハ。

北海道で一旗挙げる漢のわりとまじめなつぶやき


北海道で一旗挙げる漢のわりとまじめなつぶやき

街を歩きながら思ったのは、この国が1986年に掲げていた

社会主義型市場経済を目指すという政策にもあるように、

この国は社会主義国であるというのを感じる。


これは、中心街の半径7,8キロ程の行動範囲なので、

もしかすると郊外は別かもしれないが、


まず、街には浮浪者が皆無であることに驚く。

そして、ゴージャスな家がないし、車や人のファッションも同様に、

一目で金持ち!

という人がいない。

故に商業施設も、ほぼ大差なく、カフェもスタバなどのチェーン店は皆無。


何だかベトナムの人は穏やかな印象。


レーニンさんの影響でしょうかね。

北海道で一旗挙げる漢のわりとまじめなつぶやき




とまあ、そんなこんなで今日は寝ます。


明日は世界遺産ツアーにいったあと、


深夜の寝台列車に乗って、一気にフエまで南下。

いくぜー!



最後に、印象に残っている写真。


湖のほとりでギターを弾く欧米人。


欧米か!
北海道で一旗挙げる漢のわりとまじめなつぶやき