札幌の不動産屋の言いたい放題

札幌の不動産屋の言いたい放題

以前は不動産の真面目なブログを書いてましたが、そっちは新しいブログに移しました。
不動産の事に限らず、映像作品や食べ物や人生など色々なことを書いてゆきます。


不動産に関する記事は『BEHEMOTH -札幌の不動産と歴史とか-』に統合しました。
 ・不動産売買、調査、流通実務における諸問題
 ・札幌の歴史(古地図・航空写真・郷土史)
 ・原野や山林などの市街化調整区域
 ・中古マンション売却・購入のノウハウ
  などの記事があります。是非ご覧ください。

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なんか、世の中見てると商売をするにあたって『仲間を集める』ことに執心している人があまりに多いように思います。

 

起業するのに、コワーキングスペースとかレンタルオフィスを使ったり、

セミナーとかSNSで商売のページを作るんだけど、
コンテンツは一向に充実せず、ジャンルやコーナーはあるけど中身はない。

『募集』って告知出して、それだけでずっと音信不通。

異業種交流会に行って、色んな会に入って、『人脈』を広げようとする。

 

この『人脈信仰』ってマルチ商法とかとも繋がる現代の病理だと思うんだけど、

『人脈』があるから儲かる、或いは商売が成り立つと考える合理的帰結が、非常に希薄なんですよね。

 

そもそも、『仲間を集める』事に執心する事自体が商売の本道から外れていると思うんです。

結果として『仲間が集まる』なら、そりゃー良い事なんですけどね。

 

集めるべきは『顧客』と『スポンサー』『パトロン』であって『仲間』ではない。

よく、異業種交流会で名刺交換をして、事業者同士で仕事を融通しあえる、という話を聞くのですが、

それって、仮に売上が上がってもその分、お礼としての支出をしなければ成り立たない理屈な訳で、

どこまでいってもゼロサムゲームでプラスにはならない訳ですよね。

 

『外からお金をもらってくる』という商売の本質的な部分を、理解していない。

『人脈』を維持する為に、『お返し』をするなら、それはプラスになり得ないし、

逆に『お返し』をしないのであればそういった『人脈』は維持できないでしょう。

 

別に『外からお金をもらってくる』というのは決して悪い意味ではないのです。

人にできない面倒なことや、高度な知識や技術を要する業務を行なって、

その対価としてお金をもらってくる、というのが商売の本道であって、

『人脈』によるお情けや人間関係でお金を融通しあうのは、商売の本道ではない。

 

だって、お金を使う喜び=消費の喜びって、サービスを含む『良いもの』が得られるからあるのであって、

『良いもの』ではないものを人間関係で買ったって、そりゃ喜びには繋がりませんよ。

マルチ商法的な商売ではそれをごまかす為に扱う商品を『良いもの』だって言うけど、

それはそのコミュニティの中だけの話であって、外側の広い社会の人々にとってはそうではない。

 

例えば美味しいものを食べたとか、素晴らしいものを買ったとか、大変なときに助けてもらったとか、

そういうことにお金を使って、『よかったな』と思うのが人間であって、

自分が儲かる為に、『人脈』を維持する為に『お付き合い』でお金を使ったって、幸せにはならない。

そして、美味しいもの、素晴らしいもの、大変なときに助けになるもの、っていうのは、

『お互い様』なんて生っちょろい関係で成立するものではなくて、

圧倒的な優位性を持つプロフェッショナルによって提供されるものであって、

そこに相互依存的な『人脈』なんて不要なんです。

 

それは料理で例えるなら一流のプロフェッショナルによる高級料理店の料理も勿論ですが、

極論すればコンビニ弁当ですらそうで、そのコストや品質に見合うものを、

その辺の人に作れるのか、或いはコンビニと『お互い様』の『人脈』を形成できるのか、

そういう風に考えると、『人脈信仰』っていうのは低レベルなスキルしか持たない人間の、寄り合いでしかないとわからなければならない。 

 

それでも人は不安だから、群れて、仲間を探すことを優先してしまう。

仮に寄り合い所帯で、お互いに仕事≒お金を融通しあっているゼロサムゲームでも、

何かをやっているという実感が欲しくて、外から仕事を貰ってくる努力が出来ない。

 

けれど、そんなことをする前に、ホントは自分のスキルを磨いて、

仮にスキルがなければコストパフォーマンスで勝負をして、

とにかく外の世界からお金をもらってきて、自分に入るお金がプラスにならないと、

それは商売じゃなくてただの自己満足の仲良しクラブでしかない訳です。

 

そういう人たちにこういう事を言っても無駄なのはわかってます。

『元々学歴があって、元々金があって、苦労をせずにやってきた人間に何が分かる』とよく言われます。

多少学歴があろうがお金があろうが、無職の人も失敗する人もいるんですが、

まー学歴もお金もあった方が世の中楽にやってけるというのは私も同意見です。

ただ、私の学歴もお金も別に世の中を広く見れば大したレベルではないし、

それより学歴もお金もない人は、でもそれは今更どうしようもない訳だから、

同程度のレベルの生い立ちの人と比較してどれだけマシになれるかを考えた方がいいんじゃないですかね。

私は私よりもっとお金がある人や学歴がある人に対して、ひがんでも問題は解決しないでしょ、と割り切っています。

 

ホントに、『人脈信仰』っておそろしいですよ。

仕事をする、商売をする、お金を貰う、ということの本質が見えなくなってしまう。

 

人にお金を貰えるに相応しいだけの人間に、努力して、ならなきゃいけないんだよ。

 

その前提をすっ飛ばして『人脈』や『仲間』だけでどうにかなる訳ないじゃん。

人は、食事して、うんこして、生きていかなきゃならない訳で、うんこは食べられない以上、

どこからか食材を調達して来なきゃならないんだよ。

子曰く

人三十五にしてバリウムを飲み、
四十にして介護保険に加入させらる。
六十五にして職を失い年金を受給し、
七十五にして後期高齢者となる。
 
日本人である以上、社会保険からは逃れられないんで、合法的な範囲で節約しようとすると、
一つのタイミングとしては40までの介護保険がかからないタイミングで稼いでおく、
二つ目として、(現行制度では)65で給与所得を大幅カットして、他の所得と年金で食っていく、
75になる頃には後期高齢者健康保険の上限保険料を取られてもへっちゃらな規模の財産を築くか、
誰かに養ってもらうか、それが出来なきゃそこまで長生きしない。
 
うーん、難易度が高いですねぇ(∩´∀`)∩

私は不動産業の一環として損害保険の代理店もやっています。

 

先日、うちの損害保険会社の担当者が来社して、
この世の中の情勢でかなりストレスで参っているような様子だったので、
生き方の心がけ、物事のとらえ方の話として『魔界』についてのお話をしました。

彼は神奈川出身で大学を出て保険会社に就職をして、
主に保険契約者と代理店のクレーム対応をしています。
コロナウィルスの影響下では厄介なクレームが多く、参っているようです。

まぁ世の中色々な人がいるもので、
履歴書が『高校卒業・大学入学・大学卒業・現職就職』だけなんて人は、
世の中にはそういなくて、履歴書の左側の欄だけでは職歴が足りない人の方が、
少なくとも北海道では多いのではないかと思うのです。
いわゆる『職を転々と』という状態ですね。

私自身も、いわゆる新卒切符を投げ捨てて入った公認会計士事務所をリーマンショックで失職し、
師匠の税理士法人に拾われて、亡父に請われて札幌戻って入社して、個人会社を設立して、
その後従業員退職して既存の法人も引き継いでなので、32歳時点で都合4回退職金をもらっています。

世の中には『魔界』というものがあって、餓鬼道、畜生道と呼ばれるような世界で、
もうどうしようもなく醜悪で、きちがいじみた世界があるものです。

神奈川で893に軟禁された話は直接お会いする方にはよくお話ししますが、
自分のクレカで自分の店の売上を計上して、自前でショッピング枠を現金化してる美容師だとか、
生活保護を不正受給している人々であるとか、東京で色々なものを見てきました。

不動産屋をやるにあたって、札幌でも現在進行形で色々なものを見ています。

特に経営者として採用活動をしていると、応募してくるのは9割が『魔界の住人』です。
これは給与体系がどうだという話ではなくて、高給を提示しても同じ。
年間休日122日で有給ガンガン使えるホワイト企業でも、まともな人の応募は1割未満。

まともな人から採用されていくんですから、当たり前ですよね。

ですから、経営者をやっていると採用の場でそういう人と触れ合う機会も多い。

 

世の中には、反社会的勢力だとか、とんでもないクレーマーだとか、

精神的に正常ではない人とか、能力的に致命的欠陥を抱えた人だとか、

まー、色々な魔界の住人がいる訳ですが、

基本的には、みんな『悪気があってやっている訳ではない』んですよね。

むしろ、『自分は良かれと思って行動している』訳で、

世の中とか、他人がおかしいと考える訳です。

自分が悪だと思って行動する事はストレスですから。

魔界の住人もそうでない人も、基本的に『自分が正しい』と思っている。

 

就職面接に、ド金髪の電撃ネットワークみたいな頭で来る奴も、

スーツにスニーカーで来る奴も、実務経験ナシで月給50万貰えると思ってる奴も、

採用して1日でバックれて、夜中に事務所のドアをこじ開けようとガラスを割る奴も、

まー、みんな、基本的には自分が正しいと思って行動しているんですよね。

 

そういう『魔界』が札幌においては世の中のかなりの部分を占めていて、

それに触れることはあっても、その住人にはならないでいられることを、

義務としてではなく、なんとなーく幸福だと思わなければならない。

幸福だと思わなければならない、という義務感は心理的負荷になりますから。

 

魔界の住人達を見て、自分とは別の存在だと割り切って、

あくまでも仕事として淡々とこなして、感情と切り離すことが、

一つのストレスケアになるのではないか、とちょっと年上のおじさんとしてお話ししました。

 

私は既に魔界の住人ですけれどもね。

 

コロナウィルスの在宅勤務も含め、今経済界で起こっている実態は『人減らし』でしかない訳で、

コンピュータ化、マニュアル化出来ない仕事しか、人間には回ってこない訳です。

つまりは、サービス業における人間の仕事は『クレーム処理』が大部分になってくる訳で、

そこを割り切っていなければ、職にあぶれるか心を壊すかしかない、という実態を見極めなければならないと思うんですよね。

私は元々、純粋な創業者という訳ではありませんが、

とはいえ会計畑、経営をコンサルティングする側の立場なので、

『商売に失敗する人あるある』というのは、あるんですよね。

それに基づいて、『商売に失敗しないコツ』の覚書。

自分自身でもついつい忘れてしまいますからね。

 

①群れない

 経営者は孤独。

 雇ってる相手はどこまで行っても雇っている相手な訳だから、

 相談しようが愚痴を言おうが基本的には味方をしてくれる。

 (まー、それはそれでありがたい事ですよね)

 また、商売にまつわるありとあらゆる責任は自分にのしかかる。

 だから、共同経営とか、異業種交流会同業者グループという誘惑に負けちゃうんですよね。

 で、その人付き合いとか異業種交流会、同業者グループの会費とかで疲弊させられる。

 異業種交流会とか同業者グループで儲かる事なんかないですからね。

 それ以前に、自分の責任と判断において商売をする、という原則を忘れた時点で終わりなのです。

 

②飾らない

 事務所(建物・内装)、車、時計、服装、食事…SNSやらで共有される世の中ですが、

 飾ることばかりに執心してお金を使って仕事をしないんじゃ、そらうまく行きませんわ。

 特に、一人親方で独立したばかりの人が立派な事務所を構えたって何の意味もないじゃない。

 

③とにかく働く

 誰だって働くより遊ぶ方が楽しいんですよね。

 で、自分で商売をしている以上、時間は自分の自由になる訳です。

 自由な時間はどうしても遊んでしまう、だから遊ぶ、そりゃそーだ。

 その誘惑に勝てなければ、当然商売は左前になってゆくよね。

 

ここまでが一人商売の段階。

次からが一人商売でうまくいったときに気を付けなけらばならないことです。

 

④借金しない

 商売がちょっと上手く行くとね、もっと手広くやりたくなる訳です。

 銀行さんなんかも、金を借りてくれって言ってくるし、税理士も借りろと言う。 

 いい借金ってのも世の中にはあるんですけど、

 商売に成功するのも、失敗するのも借金次第ってところがあります。

 ただ、少なくとも銀行や信金との付き合いで、金融機関の都合で借金はしてはならないですね。

 いらん付き合いで投資信託買わされたり保険に入らされたりしますからね

 

⑤人を雇わない

 商売がちょっと上手く行くとね、自分も楽したいしもっと手広くやりたくなる訳です。

 でも、人のマネージメントなんてのはとっても大変なお仕事ですし、

 何より社会保険料がバカみたいに高いんで、最近はやってられない。

 世の情勢や働き方改革で、きちんと意思疎通できてない相手を雇うのはリスクでしかない。

 もし人を雇うのであればきちんと意思疎通が出来るようにしなければなりません。

 人を雇えば、当然責任が生じますから、ずっと給与を支払い続けなければならない。

 よっぽど上手くやれるだけの自信がなければ、人なんて雇わないことです。

 

 

まぁ、水は低きに流れ、人は易きに流れる訳で、これはどうしようもない。

ただ、失敗の要素なんてのはこの5つくらいしかない訳で、これは気を付けなければならない。

ちなみに私は④・⑤が守れてませんから、人にエラソーに言える立場ではないのですが、

本来的に、ゼロから商売を立ち上げてゆくのであれば、このすべてを満たして生きていきたいものですね。

身の回りの物品に無頓着で、車も時計もスーツもいい加減。
高級品を買おうとも思わないし使い潰したら新しい物を買えばいいじゃないか、と考えています。

ただ、現在使っているビジネスバッグはえらい気に入っていて、代わりがないのを危惧しています。
二本手の持ち手で鍵付きのワンタッチ開閉というだけなんだけど、実店舗にもネットにもなかなか見当たらない。

まず、ワンタッチ開閉でなくファスナー開閉が大多数。
ファスナー開閉って時間かったりでワンタッチ開閉の方が使い始めるとはるかに便利。

で、ワンタッチ開閉のカバンはなぜだか二本手がなくて、木製ハンドルかプラやナイロンでもかなり小さな持ち手ばかりなんですよね。
荷物が重いのでいわゆる『女子持ち』のように肘に持ち手をかける場合が多いので、小さいハンドルだとそれが出来ないのです。
この2つの条件を満たすものがなかなかない。
たまに見つかっても開口が小さくて不便な造りだったり…

同じ製造会社のシリーズでも私の使うタイプは出てないし…
うーん、色んなバリエーションがあった方が良いと思うんですが、オーソドックスなものばかり作った方が在庫リスクがないからいいのかな。
こだわる富裕層はオーダーメイドするんでしょうし、普通の人は在り物で満足するか、そもそもビジネスバッグなんて時代遅れで使わない。

ネットでカバンを探してたら理想通りではないものの面白いものがあったのでポチってしまいました。

縦長の革製でワンタッチ開閉のバッグです。
木製ハンドルなんで、希望通りではありませんが、ちょっと面白い。
このくらいは開閉して欲しいんですよね。
奥にあるものも取り出しやすいですし。

カバンの問題って割と切実で、持ち物を減らせない不動産屋としては、カバンの使い味が変わると仕事の仕方も変わってきてしまう。

汎用品に慣れるべきか、成金になってオーダー出来るようになるか。
どうしたもんでしょうかねぇ。
毎年2〜3月は仕事がキツ過ぎて嫌になってしまうんですが、その生活ももう8年。
この1年は土日祝の休みがなくなり、平日の代休も殆ど取れない。

自分が好きでやってる商売の道だけど、従業員を食わせて、顧客を安心させてゆくのに身を削るのはあまりに辛い。
働きたくない、働きたくない、働きたくない…
…そんな風に勝手に追い詰められて、嫌になって、気力が失われてしまう事もあります。
ある程度まではパワーでねじ伏せますが、もういよいよと仕事が手に付かなくなったら、仕事を放り出すしかない。
1日寝てみるとか、ガっと酒飲んでみるとか。

自分で選んだ人生だもの、従業員に対しても顧客に対しても、自分の能力の範囲で向き合っていくしかない。

従業員に反旗を翻されたり、顧客に逃げられることもあるかもしれないけど、それはそれぞれ相手方の都合と考えるほかない、私が100%コントロール出来る事案ではないのだから。

『自分で選んだ人生じゃないか』
そう思って自分を追い詰めてもよくないし、
逆にそう思って無責任になってもよくない。
けれど、それ以上に問題なのはそうとすら思えない事だ。

今の人生は自分が選んだ訳じゃない、世の中が、親が、友人が、学校が、職場が…色々な外部的要因によって追いやられただけ、そう思う人の多いこと多いこと。
そりゃー、そうですよ。
誰だって社会という枠組みや他人との関係性の中で生きてるんですから。
じゃー、その中で自分に一切の選択権が与えられなかったかといえば、そうじゃないでしょう。

母親に『産んでくれなんて頼んでねぇよ!』なんて言う中学生じゃないんだからさ、
そして社会や他人は貴方のお母さんじゃあないんだからさ、
だから、自分の人生に、自分なりの責任と矜持をもって生きてゆきましょうよ。


…なんて言えるのは恵まれているからだ、と怒られる事もあるけどね。
他人が恵まれているのか否か、誰に判断が出来るというのか。
私は不動産業者とは言いますが、
単純に売り買い貸し借りをする仕事は多くありません。

処理困難な案件を整理し、利害調整してゆくのが私の仕事です。
、よくある話としては地主さんの相続の揉め事を解決するお手伝いをする、という物があります。

相続に限らず、様々な交渉や調整において痛切に感じるのは、
『人は誰も自分が善人だと思っていたい』という事なんですよね。

自分が善人である為には利害が一致しない相手を悪人にしなきゃならない。

やれ、故人の面倒を一番見たのは誰だとか、
就学や結婚、独立などの時に誰かが優遇されたとか、
兄弟なのだからすべて平等にすべきだとか・・・

それぞれの言い分があって、それが折り合わない時って、大抵は相手が悪人だ、という話になってしまう。

勿論、誰が特定の側に非がある場合もありますが、その人にしたって善人でいたい訳です。

これが一番の問題なのだ、という認識が大切だと思う訳です。

例えば遺産を着服したり家賃を滞納した人も、『生活苦で・・・』とか『病気で・・・』という風に、自分は悪くないんだという自己弁護を始める。

多くの人は『あなたが悪い』という非難を受けたくないのです。

どんな交渉であれ、『相手を善人にしてあげる』事を意識する事で、格段にやりやすくなると考えています。

双方に非がない問題ならば善悪を問題にしない。
相手に非がある問題であれば、悪として糾弾するのではなく、問題の解決を主題とする。
自身に非がある問題ならば、それを侘びた上で問題解決を図る。

理性的に重要なのは調整と解決なんですが、多くの人間は理性より感情を優先します。

善悪を切り離して折衝する、これほど大切な極意はないな、と思います。

札幌の不動産業界におけるドローンの運用について、かなり突っ込んで一連の記事を書きました。

札幌の不動産屋、ドローン活用を語る① ドローンの必要性
札幌の不動産業界で想定されるドローンの使途や、その背景事情について紹介した記事です。

 

札幌の不動産屋、ドローン活用を語る② ドローンへの規制
ドローンへの法規制のうち、主に航空法による制限をまとめています。

それだけではありきたりな記事ですが、札幌では具体的にどのあたりの場所で高度制限があるのか、紹介しています。

 

札幌の不動産屋、ドローン活用を語る③ 運用機材の紹介

実際に私が運用している機材の性能と法規制について紹介しています。

そしてこれから要注目のドローンについても紹介しました。

『働き方改革』という名目で、うちの会社を5月から完全週休二日制にして3ヶ月が経過します。

従来、いわゆる『4週6休』制をとっていて、土曜は隔週休み、日曜日を毎週休みで、うち日曜は電話対応と入居者対応の為に当番で2人出勤してもらっていました。
(もちろん、休日出勤には代休が付きます。)
 
ただまー、この人手不足の折、そういう勤務体系って非常に求人ウケが悪いと思うんですね。
なので、土日は入居者対応1名のみの当番にして電話は私の携帯に転送するようにして完全週休二日制を導入しました。
月に2日以上休みが増えて勤務日が20日程度になる訳ですから賃金は単純計算で1割増しです。
不動産売買やコンサルティングはもっぱら私の仕事で従業員はほぼ管理業務に携わっていますからノルマがどうだという話もありません。
 
よく『社長がそんなに働いてるなんて労働集約的でマネージャー失格だ』と言われるんですけど、
じゃあ中長期的視野から組織運営を抜本的に改革出来るのは誰なんだよ、と思う訳ですよ。
 
そもそも人手不足だという環境下で従業員の待遇を上げて人員を充実させようというのに、従業員にシワ寄せが行くのでは何の意味もない。
(勿論、仕事量は1割減になっていないでしょうから多少のシワ寄せはありますが、それでも休日の増加で負担は減っていると判断します。)
 
そんなこんなで、土日の会社の電話は私が受けている訳ですが、意外と行動が制約されます。
まず、日中は資料を見ながら電話を受けられる状態を確保する必要があります。
×→高速道路(停車出来ない)、映画館、美術館、図書館、講演、セミナー
→電波の悪い場所、賑やかなイベント会場など
 
土日はお客様との打合せが入る事も多いですが、お客様との話の途中で電話に出ることを説明せねばなりません。
 
友人と会うにせよ、事情を理解してくれている間柄でないと難しい。
寝ている訳にもいかないので、週末に思い切り飲むことも出来ない。(知人からは『思いッ切り飲んでんじゃねーか』と言われそうですが)
 
まだ3ヶ月ですが、これが結構孤独でシンドいものがあります。
まー大人しくブログでも書いてよーかと思ったんですが、歳のせいか集中力が・・・
 
まー、三十路もとうに越した独身者が孤独なのは当たり前な訳ですし、自分で決めた事には責任を負わにゃならんのですが、もうちょっと土日を有意義に過ごしたいなぁと思う訳です。
 
人員が充実して組織が強くなれば、私も土日に仕事して、平日に思う存分休む、という方向にシフト出来ますが現在のところ平日も殆ど休めず。
 
まー、過渡期的状況として割り切っていくしかありませんね。
 
 
お客様からしばしば『何か良い節税ありませんか?』と言われるのですが、
まー、政策で優遇されてる金融商品買うとかそういうありきたりな話でないと『趣味を商売をする』他ないと思うのです。

基本的に『使ったお金以上に税金は安くならない』という原則があって、
良く言われる『車を買う』とか『映画を撮る』ってのは結果として税金は安くなりますがお金が残る訳じゃありません。

そこで『どうせ使うお金をどう経費にするのか』という視点が重要になってくる訳ですが、経費にする為にはそれを商売にしてしまえばいい。
勿論、経費にするにはそれに見合った収入が必要ですが・・・

あとは、税金が発生する現在の商売を趣味にする、というのも正攻法ですね。

そうやって、商売を好きになると、だいたいの大きな出費が経費になって、まぁ子供に関する出費や医療費、被服費以外の負担は限りなく圧縮出来るのかな、と。
被服費を経費に出来るのは役者など非常に限られた商売だけなので、被服費と医療費に金がかからない人がお金持ちになる、という事なのかも。
『ママタレ』なんてのは、生活費を経費にする為の方便なのかもしれません。

まー、そうでもしないと合法的な節税ってのはほぼ不可能といっても良いかもしれません。

それがイヤならウソの申告をする、とか。
まーそこまで行くと『節税』じゃなくて『脱税』ですがね。