『精神的不登校』という大きな問題にどう対応するか(2) | 札幌 家庭教師・物語作家わたなべ~小どもたちへの手紙~

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(現在は何気ない日常をアップしています)

こんにちは。

今日もお仕事モードのわたなべです。

 

 

札幌でプロ家庭教師・メンターとして活動させていただいています。

 

 

 

 

前回は、『精神的不登校』という状態には誰でもなりうる、

その背景には、いつのまにか進学・進級するという現状があるのではないか、

とお話ししてきました。

 

 

 

ここで、さらに進める前に、

『精神的不登校』という表現で、僕がどういう状態を想定するかを

説明しておく必要がありますよねニコニコ

 

 

 

僕個人の勝手な定義なのですが、

 

 

①普通に学校に行っていて、普通に生活を送っているけれども、

心はもう学校に通っていない状態

 

 

さらに崩していえば、

 

 

②身体だけ学校に行って、気もちは学校生活

(勉強、友人、部活、その他の活動)に入っていない状態

 

 

と捉えています。

 

 

 

もう一段階レベルアップ(?)した形は、

 

 

③きちんと学校へ行き、学校の活動でもしっかりと

成績・結果を残しているけれども、

それら勉強や活動の根幹的な味わいは結局実感できていない状態

 

 

というものも含まれるんじゃないかな、と思っています。

 

 

 

①や②は、例えば、先生がクソだから授業は全部寝ているとか、

行事はだるいから全部休むとか、

そういうあり方がイメージしやすいかもしれません。

 

 

(③については、とりあえず少し置いておきましょう。

おそらく、さらに奥深いところにつながっています。)

 

 

 

なお、僕は『精神的不登校』について、全く非難していません

そこにどういうメカニズムが働いているのか、

いち一般人として、あなたと一緒に考えたいのです。

 

 

 

どうしてこのような現象が起きてくるのでしょうか??

 

 

 

たんに心ここにあらず、という状態ともちがって、

自分に関わってくる事がらに対して拒む感じがあります。

 

 

 

この部分に、「いつのまにか進学・進級している」というのが

関わっているように思うのです。

 

 

 

前回もふれたように、いまの学校システムでは、

一定の年齢が来ると、それに見合うように作られた学校へ

入学し、そこで一定の年限を過ごします。

 

 

 

世界や日本の人々の教育に対する考え方も変化し、

そこへこれまで教育に取り組んできた方々の努力も加わるおかげで、

 

 

受験や入学の段階、進級の段階など、

それぞれのお子さんの関心に応じた道を選択できる形が

多くの学校で作られるようになっていますよね。

 

 

 

大学の学部の細分化などはものすごいものがありますし、

高校も、各種の(小)中高一貫校も相当に多様化しています。

 

 

 

幼少のうちから、そういう仕組みのなかに身を置くことは、

よほど他に定めて取り組みたいものがないかぎり、

プラスにこそなれ、マイナスには本来なりにくいはずです。

 

 

 

それでも、『精神的不登校』という状態・習慣は、

僕がみるかぎり、広く分布しているようなのです。

 

 

 

 

 

 

 

ここは本当に難しいと思うのですが、

小どもたち自身の、自分の人生への参画の程度がカギではないでしょうか。

 

 

 

超進学校である小中高一貫校に入学するのいいし、

王子様お姫様学校(?)に通うのもいいし、

 

 

普通に地元の学校を順々に進学するのも、

学校は行かずに自分なりの関心事に取り組むことを選ぶのも、

すべて完全にすばらしいです。

 

 

 

ただし、その各段階で、小どもたち自身が自分なりに感じて、

考えて、決めることができているのか。

 

 

 

もちろん、いわゆる大人と呼ばれる年代のひとに比べて、

知識も経験も能力も小さいけれど、

その各自なりに持ち合わせているもののなかで、

味わって判断できているのか。

 

 

 

ここがとてもとても大きなポイントだと思うのです。

 

 

 

未熟にみえるものを導いてあげたくなるのは普通のことかもしれませんが、

実はむしろ、未熟なものが未熟な自分なりに決めておこなうことこそ、

本当に価値があることなのではないでしょうか。

 

 

 

もし、「教育」があるタイプの人間を創りだすことではないとしたら、

この発想がどうしても必要になる気がしてなりません。

 

 

 

ですので、例えば中高一貫校を受験させる場合なら、

お子さん自身は正確に理解しきることはできないかもしれないけれども、

その学校の特色や、どういうことを学べるのか、どういう方向へ進むことになるのか、

などをきちんと示してあげること。

 

 

 

数学が将来役に立たないと感じるお子さんなら、

どういう発想で、どう考えるから、そう感じるのか、

逆にこのようにも捉えられるのではないか、

などたくさんお話しして一緒に考えることで、

 

 

 

いつのまにか入学して、いつのまにか進級して、

いつのまにか次の受験、あるいは就職で……

(いつのまにか転勤して、昇進して……)

 

 

 

という状況を、彼らのなかで減らしてあげることが大切だと思います。

(勉強に限らず、趣味、部活、遊び、旅行、何でもあてはまりそうです。)

 

 

 

ピーマンも、それがどういう食べ物で、どんな栄養があって、

どう食べるとおいしくて、どう食べると苦くて(でもそれも味わい深い)など

小どもたちが理解すれば、きっと彼らは彼らなりに試します。

 

 

 

 

二回にわたって書いてきましたが、やはり、

小どもたち自身にどれだけ関心を向けられるか、

そこがいちばんのポイントかもしれません。

 

 

 

そのためにも、僕たち自身も、自分がどのように考えて、

どんな発想・態度で小どもたちと関係しているのか、

ものすごく意識的であることが大切ではないでしょうか。

 

 

 

 

今日もお読みくださって、本当にありがとうございました。

 

 

 

難しいテーマに手を付けてしまったため、

内容もしっかりとまとまっていない感じがします。

 

 

また、別のときに整理して書いてみようと思いますウインク

 

 

 

 

 

わたなべ

 

 

 

 

 

 

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