先日、伯父(母親の兄)が亡くなり、昨日、仕事は昼過ぎに上がらせていただき、旭川での通夜に参列してきました。
最近は頻繁な交流もなく、一番最後に顔を合わせたのは私の結婚式に来てもらった時(約8年前)だと思います。
伯父は満60歳という決して長いとは言えない生涯でしたが、その生涯は短かった分太いものであったように思います。

伯父は経営者でした。

昨日の通夜では、会社員として呉服販売のトップセールスとなった後、現在の水産物小売会社を設立したと紹介されていましたが、私の記憶だとその前に、家電販売店を開業していました。おそらく今から25年前ほど昔になりますが、留萌駅の一角に店舗を構えていました。
私が初めて手に入れたテレビゲーム機も、私の親がその伯父から購入したか、または貰っているかしているはずです。
しかしその後、いつの間にかその店は閉店していました。おそらくうまくいかなかったのでしょう。それでも、今度は水産加工食品の製造販売で会社設立し、郵便局の「ふるさと小包」でヒットさせ、一時期はお年玉年賀はがきの賞品にもなっていたようです。
その後、今は主にインターネットを媒体とした販路で営業を続けています。

その会社も、実はこれまでに多くの紆余曲折を経ています。今思うと相当多くの、そして重大な決断を下してきたことと思います。そして、そのたびに会社を存続させる分、失ったこともあるように思います。それでも、トップとして実行しなければいけなかったのだと思います。

伯父は、とても社交的ですぐに誰の懐にも入り込むことができる反面、とても厳しい人でした。それ故、もしかしたら多くの人に恐れられ嫌われていたかもしれません。
しかし、今ならこう思うことができます。
誰にでも好かれることは不可能で、そして意味もありません。むしろ嫌われることを恐れず物事を実行してこそトップの役割なのだと・・・。


伯父さんと仕事について話したい。ずっとそう思っていましたが、実行できぬままお別れとなってしまいました。
ゴルフも一緒に行きたかった。それも叶いませんでした。
伯父がこの年で亡くなってしまうということを知っていたら、どうにかして叶えていたでしょう。
人間はいつか必ず死ぬとわかっていても、それを強く意識することって難しいですね。

対誰かとの時間も、自分自身の時間も、当たり前ですけど限られています。
このことは常に頭の中に入れておきたいです。