私自身の思う「男らしさ・女らしさ」について語る時、私は必ず最初にこう言います。
「和田アキ子と小倉優子、どちらが女らしいかと聞かれたら、俺は迷わず和田アキ子と答える」
最初にこの台詞を聞いた人は、ほぼ必ず「アンタ何言ってんの?(°▽°)」…という顔をします。
そんな事にお構い無く、私は続けてこう言うのです。
「和田アキ子が映画やドラマで母親役をやっても、何の違和感も無い。普通に似合うと思う。反対に小倉優子に母親役は全く似合わない。」
「ルックスとかキャラとかじゃなくて、母親の似合う人が『女らしい女性』なんだよ。」
※ちなみに小倉優子は現在の彼女ではなく、「こりん星人」の頃の彼女を指します。
和田アキ子は背も高く体格も良く、あのキャラクター。
しかも若い頃に大病を煩い、子宮摘出に至った為、子供は産めません。
その和田アキ子に「母親は似合わないか」…そんな事はありません。
母親役が似合うであろう和田アキ子は、「女らしい女性」なのです。
逆に「こりん星人時代の小倉優子」には、ギャルママ役とて難しい気がします。
年齢もありますが、当時の彼女から「母親らしさ」は感じません。
「女らしさとは母親らしさ」、故に和田アキ子は「女らしい」のです。反対に(こりん星人の)小倉優子はかわいい女性ではあっても、女らしい女性ではないのです。
また同様に、「男らしさは父親らしさ」であり、ルックスやキャラに関係無く、父親が似合う男が「男らしい男性」なのです。私はそう思います。
…と、ここまで話すと、大体の人は「ああ、成る程」と納得してくれます。
「女らしさとは母親らしさ」、「男らしさとは父親らしさ」
「女らしくしなさい」とは、「そんな事では良い母親になれませんよ、母親の似合う女性になりなさい」
「男らしくしなさい」とは、「そんな事では良い父親になれませんよ、父親の似合う男になりなさい」
…と、そういう意味の教育だったんじゃないかと。特定のキャラクターを押し付けていたわけじゃない。
どこかのクソアメリカ人◯鹿女のような、「LGBTだのトランスジェンダーがどうだのと喧しく喚く奴等」に何を言われようが
「進歩的知識人ぶった勘違い野郎共」に否定されようが、私はこの意見を変えません。変える必要など無いものと存じます。
ちなみに
最初に挙げた「和田アキ子と(こりん星人の)小倉優子」は、かなり極端な例だとは思います。
しかしながら、極端な例の方がイメージが掴みやすく理解に導きやすい、と私は考えます。
例えば
「浅野ゆう子と浅野温子、どちらが女らしいか」
…などと言われても、好みの問題になってしまうでしょう。ハッキリ言える事は
両方とも「浅野」だという事だけです。
では「舘ひろしと柴田恭兵、どちらが男らしいか」
…と言われても、やはり同じ事です。ハッキリ言える事は
両方とも「あぶない刑事」だという事だけです。
まぁ結局は、両方とも女らしいし、両方とも男らしい、という話になるんですけども。
というわけで最後はネタで終了、今回は以上です。