この記事は、アメンバー限定にするかどうかちょっと考えましたが、少し厳しめのことを書こうと思うので限定にしました。いつか、全公開に切り替えるかもしれません。
今日、足跡をたどっていろいろな人の記事を斜め読みしている時に、ツインと結婚したいというのをガンガン書きまくっている人のブログを見つけて……げんなりしました。
というか失礼ですが……ちょっと具合悪くなったと言うか、吐きそうになりました。
それが、この記事を書くきっかけです。
その方を誹謗中傷するつもりで書こうと思ったのではないのです。
人それぞれの使命があるから、その方はその方のライトワークとしてそういうことを発信しているかもしれないし、私が具合悪くなったこと・こうして記事を書いていることにも意味があり、それならばそのブログは綴られるべきものだったということになります。ややこしいですが(笑)
私はよくセッションやライトワーカー講座などで、「アウトプットすることは大切」とお話してきました。
たとえネガティブなことでも吐き出すプロセスが大切ですし、そのような記事が多くの人の目に触れるのが×だと言っているわけではないのです。
そもそも、そのブログはネガティブなものではなく、とても素敵な言葉で、ピュアな愛に生きている感満載で、そのお相手を愛している・繋がっているということが綴られています。
でも、すごく低周波なのです。低次元のところでのつぶやきという感覚なのです。
何より、問題はその内容です。
ツインと結婚したい……
もしそれが、入籍とか挙式とか同居とかを指すのであるとするならば、
(まあ、そのブログではそういうことを指していたようですが)
その「結婚」、する必要あるんでしょうか?
私はかつて、こういう記事を書きました。最も反響が大きかった記事です。
これを活用し、あえて、同じ言葉を使って本記事のポイントを書かせていただきます。
以下、小タイトル
「ツインと絶対結婚したい」は却下
三次元のマトリックスにどっぷりはまったその感覚。なんで言い切っちゃうのか、首をかしげます。
ではもしこの国で「法律が変わりました。結婚制度が無くなりました」となったら、とたんにその人たちは統合できないのでしょうか?幸せになれないのでしょうか?
魂の結びつきは永遠であり、時も国も越えて発動するはずではないでしょうか。なのに、時代によって社会の仕組みが変われば、それに合わせて統合可・不可も変わるのですか?
結婚という段取りを踏まなければその人と一つになれないのなら、魂が、人が「愛しあう」「信じあう」ってどういう状態を指すのでしょうか。
「一緒に生きていきたい」という願いが二人の歩みに様々な影響を与え、信頼の大きな糧となったり内観の原動力となったりすることはあるでしょう。
でも、人が幸せかどうかの目安となり得るのはその「感情」や「生き方」であって、「関係の名前」ではないのです。
もっと言うなら、壮大な魂の旅路のお話で、今世の結婚がそのまま統合やゴールだと信じるのは無謀すぎます。
社会的に「夫婦」という関係の名前がなくても、それを飛び越えられるのがツインなのではないでしょうか。戸籍とか挙式とかハネムーンの写真とか、玄関にかかる一つの表札とか……
それがなくても「一緒に生きていく」というのを具現化できるのがツインで、入籍するとか夫婦になるとかは、その後に自然発生的に起こってくる流れの一つに過ぎません。
何より、まずは自分自身の人生がひっくり返ることへの覚悟を決められるかが、そのお相手との魂のつながりを物語る一つの現象です。
つづく
