先週の土曜日に所属している学会の研究発表会が開催される。
自分が,会長を務めている学会で,会長も今年度で任期満了。
来年度から新しい体制でリスタートする。
サイト管理も20年近くやってきたが,次の人に引き継げることになった。
ちょっとしたことだけど,解放された感じである。
例年,リタイアする会長は,シンポジウムの指定討論者を務めることになる。
今回も今まで通り,シンポジウムの指定討論者をして終わる。
自分が会長になったのは,2019年からである。
岡山理科大学を会場として,研究発表大会を開催。
もう5年前のことになる。
研究発表大会を開催したのが2019年2月で,開催すること自体が危ぶまれた時期である。
対面で開催した後,緊急事態宣言が出されることになる。
その後の経過はご存じの通り。
新型コロナウイルスが世界中で猛威を振るい,それから失われた3年,4年を過ごすことになる。
会長を務めた5年間。
結局,対面開催ができたのが,最初と最後の年のみである。
オンライン開催で,何とも言えない充実感のない感じ。
2023年になって,新型コロナウイルスは5類に移行し,やっと通常に戻った感じである。
まだ幸運だったのは,最後の年に対面開催ができたところである。
参加人数は少なかったけれど,会員に御礼の挨拶を直接言えて終えることができたのは良かった。
もちろん,自分の中では,研究発表大会自体には満足のいく成果は得られなかった。
なんか生温い感じで終わってしまった感があり,深めることができなかったのは残念である。
ただ,老兵は消え去るのみということを実感する。
こうやって,だんだん世代交代をしていく。
年配者がいつまでもいること自体,弊害でしかない。
何歳が適齢なのかはわからない。
65歳でも若い。
70歳でも若い。
見方によって人それぞれだろう。
政治家は,70代や80代がゴロゴロいる。
満足に歩けそうにない感じの人まで現役でいる。
でも,これでいいのだろうか。
今,裏金のことが取り上げられているが,今に始まったことではない。
これまでずっと同じような感じで政治家は,やってきたのだろうと思う。
でないと○○御殿などというものが建っていることがおかしい。
でも,その政治家を存在させているのは有権者である。
選挙にも行かない。
政治に無関心。
大きな団体組織が幅を効かせている今の図式を変えないと,どうにもならない。
これだけ不祥事が続いているが,自分が生きている間に政権交代なんてことも,絶対にないだろうと思う。
今の政権に代われる党がないのだから。
新しい党首だけを代えて,それで堂々と政権維持をしていくのだ。
国立大学は,通常は65歳定年であるが,再雇用で働いている。
私立大学なんて定年なんてあってないようなもの。
給料さえ気にしなければ,70過ぎても普通に働いている。
もちろん,健康であるということが絶対条件であるが。
でも,自分もそろそろ先が見え始めた感じである。
給料が半分になって働く気はない。
一度しかない人生,いつ命が尽きるのかわからない。
好きなことをして最期を迎えたいと思っている。
3月9日に,前勤めていた大学で退職記念講演会と祝賀会を開催してくれる。
ほんとにありがたいことである。
全国各地から大学院のゼミ生も駆けつけてくれる。
みんな忙しいと思うのに,ほんとに申し訳ない。
いろいろと理由をつけて,参加しない人もいる。
それだけの人間関係だったのだから仕方ない。
そんな中,わざわざ参加費や交通費を使って来てくれる人はほんとにありがたいことである。
感謝してもしきれない。
コロナ禍の間,先輩の方々は,このような祝賀会さえ開催できなかった時期がある。
そう思うと,ほんとに幸運であるとともに,主催してくれる前職の方々に感謝,感謝である。
獅子丸と散歩しながら,のんびりとしている。
退職祝賀会が終わったら,自分の中で,人生の大きな一区切りである。
これから特に,何かをしたいという目標もない。
長く務めてきた神戸市の各種委員等も世代交代をお願いしている。
今務めている但馬地区での研究会も令和6年度で終わる。
研究が終わったら,指導助言関連の仕事も遠慮するつもりである。
原稿依頼の方も忘れた時にやってくるが,これもやめようと思っている。
自分如きが何を言っても変わるものではない。
それが40年以上勤めてきて出た,今の結論である。
大きな病気もせず,健康でいられることだけで感謝である。
未だにコロナ感染が収まらない感じだが,感染症は,これからずっと続いていくはずである。
withコロナは仕方ない。
また,日本は,地震や津波などの自然災害も心配である。
最近,また活発化してきたような感じである。
南海トラフや東南海地震のリスクも高まっている気がする。
今のところ,まだ大きな被害や影響を受けず,無事生きていられている。
そういう意味で幸運に恵まれている。
生きているだけでしあわせ。そんな感じ。