8月に入って、私も旦那も仕事復帰しました。

「お母さん」が多い私の職場。みんな「おかえり〜」と言ってギューっと抱きしめてくれたり、目をうるうるしながら笑顔を作ってくれたり‥‥ありがたいです。


息子が突然倒れて、処置準備をするまでの間、先生も何度も呼びかけてくださっていました。私も何度も何度も名前を呼び、手を握り「息をして!」と呼びかけていたと思います。

息子は突然息が止まったようでした。先生が口から細いチューブで口の奥を吸引したけれど、何も上がってこず、看護師さんが持ってきた酸素マスクも役に立っているようには思えませんでした。


その場に居られず処置室を出ました。出たというよりもじっとしていられず、処置室前の廊下でウロウロ、立ったり、床に座り込んだり、ソファーに寄りかかったり座ったり。ずっと息子の名前を呼び「家に帰るって言ったやん」「家がいいって言ったやん」一人誰に話すでもなくベッドに寝ている息子にでもなくブツブツと泣きながらパニックになっていました。


旦那は息子が倒れてすぐに、帰った娘を呼び戻す為に電話をかけに待合室の方へ行きました。病院内は電波が悪くなかなか電話が繋がらないようでしたが、娘、旦那の実家、私の実家、私の姉、旦那の弟、とにかく緊急で連絡を取りたい親族に連絡をとってくれていました。


処置室前のソファーで泣き崩れていた私を抱きしめながら旦那も泣いていました。旦那に「ごめん。同じ車好きで自慢の息子だったのに、ごめん」泣いている旦那に申し訳なくてそう言って謝りました。

旦那は「アイツは頑張ったよ。ずっと頑張ってきた」そう言ってくれました。


10分以上心臓マッサージを続けていた先生から「骨も折れていると思いますが続けますか?」と聞かれました。娘がまだ到着していなかったのでもう少し続けて欲しいとお願いしましたが、息子の胸の辺りを見ると赤黒くなってきていて見ていられず、「もういいです。もうこれ以上痛い思いはさせたくないのでもうこれ以上はいいです」と旦那と二人伝えました。もういい。ずっと痛がってた。我慢してきた。きっともう息をすることはないと思いました。


せめて娘が到着するまでと、モニターをつけてくださいました。わずかに数値が出てましたが、それは本当に生きているのではない事は、母や叔母を亡くした時に知っていたので、モニターの数値はただの機械の数値でしかありませんでした。


娘と彼が走って到着しましたが、既にモニターですらただの線。娘に「ごめんね。お母さんが帰っていいって言ったから」と謝りました。娘は「お兄ちゃん」と何度も何度も呼んでいました。


先生が「ご家族が揃われたので、ご家族の時計でお亡くなりになられた時間を確認したいと思います」

と。

日付が変わった、00:04

息子は帰ってきませんでした。